詩の日めくり 二〇一六年十二月一日─三十一日/田中宏輔
足立らどみさんのコメント
---2021/07/04 18:49追記---
 「ちなみに、「知覚の扉」というのは、ブレイクではなく、ハクスレーの言葉だとあとで知りました。」って、私からの田中さんへのコメント(去年の2020年11月11日)の「ガリレオは偉い(^^) 」というとても短いログの中と通じているようにも思えて、数ヶ月過ぎての返信なのかなと返答文を書いてはみますけど、最初に結論から言って、扉の話って、いろいろあるけど、哲学か何かの深淵では同じステージで一緒に描かれているという意味合いの内容を伝えたいのですよね(なんとなく)。或いは弘法も筆の誤りというたとえ話をなさりたかったのですか?いきなり、ピンポイントすぎて、あまりに深いところはわかりません。

 こういう微妙なテーマって、生きていく上で、形而下を全面的に良しとする古参方の多いこのサイトで書いても良いのか、いつも通り、労多くて功少ないのか、不安ですが、アンチとして書いてしまいますと、個人として、発端(inception)の空海さんの隠し拡めてきた密教がキリストの思想だとエセ体感出来たのは20才過ぎてお酒の味を知ってからでしたし、景教というキーワードは中学でも習っていたはずなのに、二つを結び付けることはしてこなかった。「知覚の扉」のテーマから遠ざかりました。「狭き門」の真剣さ、切実さは密教の極意にたどり着いていた空海が最澄に送ったとされる三通の手紙のなかでの(諸説あり)、目の前に来て、直接会って話さないと伝わらないという気持ちととても深いところでリンクしていると思います。避けたいけれど現実の世界で起きる戦争の刻は、相手と直接会って話すことが大切なのだという言い分が正しいのは良くわかります(自分なにが言いたい、何目線だ?)。更に脱線すみませんよ。

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is, infinite.

たしかに、こういうフレーズは個人的には出来たら実音で聴きたいものですね
---2021/07/04 18:55追記---