某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉/石村
秋葉竹さんのコメント
そりゃ、そうだ、と思ったり。いや、違う、と思ったり。刺々しいなぁ、と引いてみたり、なるほどなるほどと前のめってみたり。書き流した風だけど、すごくバランスがいいから、読みやすい文章にするようにはちゃんと整えていただいているようで、わたしには絶対に書けないなぁ、わたしは書き流すだけだからなぁ。

それはそうと、なんで珍しくも長々と感想を書いているかというと、ですね。まぁ、この文章に、ですね、いろいろと思うところはあったりするのですがね。
一番、あ、これ、アルアル、と思った言葉があって。

>手応えのあった作品ほど反響が鈍く、どうってこともない出来に終わった作品のほうがかえって反響を集めたりするもんだ

たぶん、この文章を読んでまず、あっ、わたし以外にもそんな経験しいて、それをこういうところで《暴露》してしまってる人がいるんだ、という感想をいだかされました。
いや。ほんとうにそうではなくてですね、ほんとうはけっこう多くの方が経験しているいわゆる《詩人アルアル》だと思いますよ。でも、瞬間いだいてしまった『《わたし》には、わかる』という気持ち。
この『わたしだけがわかる気持ち』が大事なんだと、どこかで聞いていてですね、わたしもいつかは、なんとかそんな風な文章を書きたいなぁ、と思っていながら、ぜったいこんな上手には書けないのがわかるから、キビシいなぁ。
あっと、じぶんのことばかりですみません。
でも、けっきょく詩人なんて三流でも自称でも、一流でも二流でも、じぶんのことを書きたいだけのモノノケですもんね(って、さいごにけっこう『わたしだけがわかる気持ち』になっていただける文章を書いたつもりになって、終わらせていただきます、って、そんなこと書くからおまえはダメなんだ、よ)。