某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉/石村
石村さんのコメント
皆様、愚にも付かぬ駄文に目を留めてくださり有難うございました。

ひだかたけし様、過分のお言葉有難うございます。アフォリズムというよりアホの妄言であります。

アラガイの兄さん、名前が複数形になったんだね。感想、何を言ってるのか全然分からんが面白く読ませていただきました(笑)。まあ、アラガイさんがまともに評するような価値のあるものでは全くない落書きだからね。感想くれただけでも有難いことです。こちらもぺこり。

一輪車様、ご高覧有難うございます。詩と詩人は元より無駄なもの。無駄なもの、排されるものの側に留まるのが詩を書く人間の態度だと思うのですが、無駄を排する側の思想に無自覚に絡め取られている阿呆ばかりがどうしても目についてしまうのですね。やんぬるかな。

秋葉竹様、確かにこんなにいっぱい感想を書いて下さったことは記憶にありませんね(笑)。嬉しくも有難いことです。
「《わたし》には、わかる」「わたしだけがわかる」という感慨、はい、あれですよね、あれ。他人に説明しようとすると平凡な概念にしかならない、そんなの私にもわかるよと言われてしまうけど、いや、そうじゃないんだよな、これは私にしかわからないことなんだ、というもどかしいような感覚。詩でも小説でも批評でも、それくらい個人の聖域に入り込んでくる言葉にはなかなか出逢えない。平凡な言葉で言えば「実感」ということになるのでしょうが、実感という経験は常に平凡ではない。全くパーソナルな《事件》なのですよね。物書きとして、そこに届く言葉だけを書けるようになりたいものです。

らどみ様、ご高覧有難うございます。これには「若い時の日記」は含まれておらず、今年の4月1日から5月6日までにツイッター上に記した妄言をほぼそのまま記述しています。タイトルと日付と最終日の記述のみが虚構です。ここから「内なる改革」を読み取って下さったのは、書いた当人にとって興深い発見でした。有難うございます。