異文化/水菜
水菜さんのコメント
 孤蓬様、明けまして、おめでとうございます。
旧年中は大変お世話になりました。本年も何卒よろしくお願いいたします。m(_)m


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弧蓬様

ご指摘、有難う御座います。
二元論で観たもの……ですか……?
極端な例を……少し観てしまったものですから、思わず思ったままを書いてしまいましたが、何か変なことを私は、言っていますか……?

その方は……、ひどく適応が難しくなっていて、適応障害になってしまわれていたから、
普通にその方の息がしやすい、その方が生き易い環境のままで居たのなら、その方は自らの思うように生きられていたのだろうなと思ったのです。

その方が生き方を変えるためには、先ず、精神から、考え方から、物の見方から、変えなければならない極端に正反対な環境に移られたのに、その方は、その自らの考え方を変えることが出来ないから、適応障害になってしまわれたのです。

私は、適応出来ないことが悪い訳ではないと思います。環境に適応出来ないのに、無理にそこに移ってしまったことがその方にとって良くなかったのではないかと思います。

自らが望まない環境におとされることほど、辛いことは無いと思います。

それでも多くの方は、そこに適応しなければならないものなのかもしれないけれど、やっぱり無理はしてしまいますよね。順応するまでは。

そのことを思います。

私は、自分を変えたいのですが、そういうものを観る度にそんなふうなことを考えます。



---2016/12/31 16:27追記---


孤蓬様
初めに、お名前の間違い、申し訳ございません。私は、全ての方のお名前を暗記出来るよう、音とイメージでお名前を覚えようとするのですが、孤蓬様の表記を弧蓬様としてしまったのは、私が潜在的に、孤という漢字があまり好きではなく、気をつけなければ、私が好きな漢字、弧になってしまうところを慌てていた為にそのままにしてしまっていたように思います。……申し訳ございません。孤という漢字の意味にも孤蓬様の想いがあるはずなのに反省しております。申し訳ございません。落ち込んでいます……。

二元論的な考え方……というご指摘については、自らでは意識したことのない、着眼点で、動揺しております。
すこし、時間をいただけますでしょうか……?

申し訳ございません……。
---2017/01/03 19:49追記---

  孤蓬様

時間がかかってしまい、申し訳御座いません。待っていて下さったこと、感謝致します。自分の考えが、纏まりました。返信を失礼致します。 

>>自分の好き嫌いを一切出せない
>とおっしゃいますが、貴台の言動を見ますと、好き嫌いで物事を判断していらっしゃる部分が相当あるのではないかと思います。
>ただ、好き嫌いの感情を普段は無理に押し殺していたり、素直に好き嫌いを表明できなかったりするだけではないでしょうか?

>貴作の中で出てくる「相容れない」「異文化」「溝」という言辞は、他者と御自身と二>項対立式として捉える思考で、二元論的です。

>エリートと非エリート、精神と肉体といった二項対立も貴作に登場します。
>二元論的思考は、結局根底に於いて、好き嫌いの判断、敵と味方の判断との親和性が大です。

>貴台が先だって私や花形氏に示された激昂や、肉親の方への感情などは、畢竟、好き嫌いの判断に値ざしています。


好き嫌いの判断に根ざしているという孤蓬様のお言葉に、私の人としての未熟さを突きつけられた気がして、動揺しました。

有難う御座います。

お陰で、このいつまでも生意気なクソガキである私も、現実を見始めることを覚え始めたようです。自らの好き嫌いという原始的な感情に向き合うということは、ひどく苦痛に思います。それが純粋な感情なのだと認めることは、とても苦しかったです。

孤蓬様のお言葉に全面的に同意を致します。

私も、二元論的な考え方で物事を見てしまっているからこそ、そう見えてしまったのだと今なら解ります。

人の感情に根ざすものを解きほぐしていくと、最後に残るのは、ひどく原始的なものなんですね。私は、それを昨夜、自らの感情の動きで知りました。私的なことなのでこちらでは控えます、そのとき思ったのは、人としての常識や、良識というものから見ることというものとはまた違う、大きな自分というものの括りなかで、私は、どう思うのか、どうしたいのか、ということでした。そして、その私が、どう思うのかという部分を解きほぐしていくと、それは私の過去の嫌な思い出などには直結しない、隠されたところにある、私の本当の部分の気持ちだったから、私は思ったんです。過去の思い出に反応することは、自分の気持ちを知ることじゃない、って。原始的な感情は、反応なのかというと、反応なのだろうと思います。けれど、そこに隠れている何故それを行うのかという本当のところの気持ちはまた別なものがあって、私は、思います。好き嫌いであるけれども、好き嫌いだけでそうしたのではないのだ、

孤蓬様、気持ちが伝わらないと(しんに)思う場所、気持ちが伝わらないと(しんに)思う方に、わざわざ、ことばを言おうなどとは誰も思わないのだろうと私は思います。

クソガキで申し訳ございません。

失礼致します。

---2017/01/03 20:47追記---
   
  孤蓬様

 本当に、有難うございます。すみません……。

>「好き嫌い」の感情に支配されている自らの心情に、まともに向合い始められたのは重畳であると存じます。

>>好き嫌いであるけれども、好き嫌いだけでそうしたのではないのだ、
>「好き嫌いだけでそうしたのではない」との仰せは当然です。

>ただ、好悪の情というものが、人の判断を大きく左右するということは、厳然たる事実です。
>要は、そこから目を逸らさぬ覚悟を持つか持たぬかという所でしょう。

素敵なお言葉、本当に有難うございます。

私は、ここ最近のいつくかの自らの行動と結果、そしてそこから起きる変化に目を向けて、孤蓬様のおっしゃられるお言葉が正しいと自らで思います。

憎しみや、恨みなど、負の感情を持ち、甘えられずに育ったとき、人はその甘えたいという欲求を依存として他の誰かに向け、叶えられ続けないそれを、人間関係の破綻として目にしながら、自分を見失い、苦しみますが、もし、その人にひと握りの勇気があったなら、憎しみや恨みなど負の感情を持った自分の一番向き合わなければならない人にこそ、自らのそのままを向けるべきなのだと

向けたことで、確実に変化し、変容していくなにかは、必ず、あるのだということ

そして、そのひと握りの勇気を持とうとするとき、一番必要なことは、自らの大きな自分という括りの中の気持ちであり、向き合う覚悟と、向き合う自分への責任なのだと

そう思います。

孤蓬様が、仰るように、

>ただ、好悪の情というものが、人の判断を大きく左右するということは、厳然たる事実です。
>要は、そこから目を逸らさぬ覚悟を持つか持たぬかという所でしょう。

その覚悟は、人が自我を取り戻す為に必要なものだと私は、理解しました。

時間がかかってしまい、申し訳ございませんでした。

けれど、

>「好き嫌い」の感情に支配されている自らの心情に、まともに向合い始められたのは重畳であると存じます。

と、褒めていただけたことは、素直に嬉しいことです。また、

>>好き嫌いであるけれども、好き嫌いだけでそうしたのではないのだ、
>「好き嫌いだけでそうしたのではない」との仰せは当然です。

と、私の考えもきちんと受け取って下さり、感謝致します。

もう少し、ましな自分になれるよう、精進致します。

本当に此方に来て下さり、有難う御座いました。また学びを頂けました。嬉しいです。

失礼致します。

---2017/01/03 21:21追記---
---2017/01/03 22:47追記---
---2017/01/04 13:03追記---

孤蓬様 様

 ゆっくり出来るのも今日までですね。明日からは仕事始まりです。私は、転職のゴタゴタで本年は、新しい気持ちで新たな仕事先です。頑張ります。

>貴台は、昨夜少なくとも2回(21:21、22:50)、コメントを書き改められています。
>何所をどのように書き換えられたのですか?

追記の時間、気になってしまわれたのですね。すみません。
なんでもないことなのやもしれませんが、私自身が気になったところは、気付き次第、直すことにしています。今回、2回に分けて直したのは、引用符と、新年のご挨拶の言葉です。(ご挨拶の言葉は、書き込みをしていなかった為です)

引用符の訂正については、
どうにも、まだ現代詩フォーラム様で詩を書くことになってまだ2ヶ月と少しで、少し慣れていなかったり、ぎこちないところがあり、今回も、引用符をつけすぎてしまい、コメント欄では表示されないのですが、投稿した後に、引用符が引用させて頂いた大切なお言葉の妙な所に挟まっていることがあり、それを幾つか修正しました。

今回、修正してやっと気づけたのは、引用符は、文章の初めだけで良いのだということで……。すみません。基本的なことを知らない阿呆なので、時折、このようなヘマをしてしまいます……。温かい目で見守って頂ければ……、とすみません。

訂正した箇所を現代詩フォーラム様では、書く部分が設けられていますね。すこし、書きづらかったのでそれは空白のまま訂正をしていたのですが、今後は、どこを訂正したのかそういったことを明記しようと決めました。

ややこしいことをしてしまい、申し訳ございません。
ご指摘有難う御座います。

失礼致します。