さみしいひと/水菜
水菜さんのコメント
>間村長 様
作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。
間村長様の作品世界を泳がせて頂けて、すごく震えるような、楽しい、不思議な読後感、気持ちになって、こちらの詩に帰ってみてしんみりしました。この作品を目にされて、間村長様は、どのような想像を膨らませて下さったのだろうと、嬉しくなります。この作品は、過去作品で、当時の作風になっています。当時は、色やモチーフを自然のものから取り入れることが多かったのです。特に、色を作品世界に点のように散りばめることが好きでした。この作品は、カメラアングルも考え始めた頃だったので、遠目から見る姿と、やまびこを入れることで、奥行きを持たせようとしていたように思います。情景をイメージしやすい形です。当時の心情を今、新鮮に思い出すことが難しく、申し訳なく思います。ただ、すごくさみしかったのだけは、覚えています。
今回、こちらに来て下さり、本当に有難う御座いました。(*´∀`*)嬉しかったです。失礼致します。
---2016/12/18 08:54追記---

蛾兆ボルカ 様

作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

>『我らは清らかな光の発見にねざす者ではなかったのか!・・・季節の上に死滅するひと>びとを遠く離れて。(地獄の季節/ランボー)』という詩句を思い出しました(^-^)v

素敵なお言葉を有難うございます!『ランボー』ああ、久々に『ランボー』を聞きました!『ランボー』と言えば、『一人だけの軍隊』の映画化作品、社会から孤立したベトナム帰還兵ランボーと、たまたま街を訪れた流れ者というだけでランボーを排除しようとした保安官との戦いを通して、「ベトナム戦争によって負ったアメリカの傷」が描かれている、あの名作ですね!「この山では俺が法律だ」は、名言です!https://www.bing.com/images/search?q=%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%bc&qpvt=%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%bc&qpvt=%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%bc&qpvt=%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%9c%e3%83%bc&FORM=IGRE
シルヴェスター・スタローンのあの完璧な筋肉は、ランボーの説得力を強めましたよね、と、もう、超興奮してしまい、よくよく見直したら、有名なフランスの詩人さんのランボーの方だったのかと、よくわからない意識の沈みを覚えました。すこし不思議な心地です。

アルチュール・ランボーは、私には魅力が難しい感じがして、どうにも苦手です、英語も出来ないのに、フランス語はもうお手上げもお手上げです、言葉が違うだけで、楽しめない読み物があるってとっても悲しいですけれど、でもやっぱりわからないです、ごめんなさい、「母音」というタイトルのソネットを読んでみようと向き合ったことが一応あるのですが……、全くお手上げでした、ごめんなさい、、

>『我らは清らかな光の発見にねざす者ではなかったのか!・・・季節の上に死滅するひと>びとを遠く離れて。(地獄の季節/ランボー)』

という、蛾兆ボルカ 様が、引用してくださったお言葉は、すごく綺麗です。なにか清らかで厳かな感じがします。素敵です。こんな返信しか出来ずにすみません……、

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 04:18追記---

羽根 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

この作品は、過去作品なのです。この詩を書くとき、どのようなことを思っていたのか、今全て思い出すことは難しいのですが、それでも、強くイメージに残る作品からの光景は、昔も今も寸分足らずに変わっていないことに気がついて、ああ、私はこのイメージでこの作品を作ろうとしたのだってふっと思いました。この頃の私は、詩を絵を描くことと同じように考えていて、なにか絵を描くように、言葉を書いていたんです。言葉が絵の具替わりのような感覚かもしれないです。でも、なかなか上手くいかなくって、、何故って、普通絵なら、説明なんて要らないんです。抽象画でさえなければ描いたものがそのまま受け取られます。色だって、タッチだって、雰囲気だって、絵はそのまま受け取ってもらえば良いんです。でも、詩はそれが違っていて、この時の私は、語彙も少なくて、(今もあんまり多くない汗)言葉でいっぱい説明しても、やっぱり描きたいものが逃げていく気がして、それで、シンプルにしてみようって思ったんだったと思います。でも、絶対入れたいフレーズがありました。それが、『あれは、さみしい人』ってフレーズです。この作品は、この言葉ありきで出来上がったようなものだと思います。そこから菖蒲を付け加えて、(菖蒲って栄養が足りないと薄い青色になるような気がするんです)だから、この菖蒲は、貧弱でひょろひょろの菖蒲。ゆらゆらゆれてます。その頃拘っていたことが、通り過ぎて混じり合わない人たち、約束事というような考え方だったので、それらを混ぜ合わせて、さみしい大地と繋げたのでした。やまびこは、遠近感を出したかったんです。絵を描いているみたいに、ちょっと遠くの割れた谷間の向こうも画面におさめたかったから。
舞台裏ってあんまり見せるものではないんだと思います。すみません。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 05:02追記---

宣井 龍人 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

この作品は、過去作品なのですが、過去の作品を見ていて、今の自分の作品とは、違う趣に自分でも苦笑します。この頃の自分は、今よりもずっと苦しかったから、様々な叫びが、今よりもずっと作品に染み出ていたような気がします。それが少し良くないとおっしゃられる方も当時いらっしゃったので、一概には、どちらが良いかという結論は出ないように思います。それでも、その時にしか描けない感情や、その時にしか描けない言葉、思いがあるのだろうなって今になって思います。今私が書いているようなものを過去の私は、絶対に書けないと思います。それは、そういうことだと思うんです。過去作品を振り返って、懐かしさを感じるけれど、でも、今はあの頃よりもちょっとはましかなと思ったりします。言葉を書いても、細かい感情は閉じ込められないけれど、それでも、その欠片くらいは、作品に足跡みたいにほんの少し残されているから、そういうものかなと思ったりします。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 05:05追記---
白島 真 様
 
 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

  この作品は、過去作品なのですが、語らないことが、効果を生むこともあるってことなのでしょうか。そのようなことをぼんやり思います。語りすぎてしまうことがある自分には、区切りが上手くつけられないことの方が多いのですが、こういう詩の場合は、ここまで、って言葉が止まってしまう時があって、それが語り終わりなのかなと思います。
言葉の終わりって、気持ちが終わるって時な気がして、あまり明確に終わりってしたくは無いのだけれど、でも、静かに終わる感じが理想です。すみません。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 11:01追記---

ミナト 螢 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

私は、さみしさっていう感情に、そんなに悲壮感を抱いていないのかなぁってこの作品を振り返って思います。ゆらゆらしているから、まるで、やわらかく踊っているみたい。あの頃はそんな風に思って書いたのかな、なんだかやっぱり、詩として表出してくる言葉は不思議です。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 11:10追記---

るるりら 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

自然の木々や大地は、なにも言わないし、動物たちもなにも言わないけれど、それなのに、なにか私たちの心を癒すから、それって何故なんだろう、と思います。
やっぱり、息づいているからでしょうか、
そういったものが、なにか心に語りかけるからでしょうか、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 11:17追記---

 レタス 様
 
 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

なにか、ぼんやり、象徴の大切さを思います、飛び抜けてなにかがあるとき、その時には、その象徴の姿が代わりに語ってくれるから、それ以上の言葉を噤んでも良い、そんなような感覚です、たとえば、この詩に、今にも命枯れそうな菖蒲を登場させていなかったら、さようならする可愛い大地を登場させていなかったら、やまびこを登場させていなかったら、この詩に形はなくなってしまうから。そんな風なことを思います。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 11:24追記---

まい子プラズマ 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

それにしても、この作品の菖蒲は、とんでもないところに生えているって作品を見返してみて、ぼんやり思ったのですが、でもそれは私のイメージ上の話で、皆様のイメージは違う菖蒲の姿なのかもしれないですね、そんな風なことを思って、やっぱり、詩って難しい、そんな風に思います。沢山の言葉で飾っても、イメージを表現出来なかったり、少しの言葉でイメージを表現出来ていても、そこに浮かび上がる絵は違うかもしれないことが、とても難しいし、面白いです、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
 ---2017/01/01 11:30追記---

石村 利勝 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

言葉の説明の先に広がるイメージの絵や、自らが目にしているものの先にイメージする絵って、それが、現実と重なると嬉しくなります。そういったものたち、この作品には、さみしさというイメージみたいなものが、絵になったけれど、少しそれはさみしい絵かなとも思ったりします。この時はこのイメージを書きたかったのですが、振り返ってみると
すこし違って見えてくるのかもしれないです、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 11:34追記---
梅昆布茶 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

ひとつのイメージが固まるまでに、沢山のイメージが削除されていく、そんなふうなこと 梅昆布茶様は、考えたことありませんか……?私は、あります。……と、いうよりも、そのような作品作りをしています。決まった言葉、決まったイメージのその過程に振り落とされていくイメージのそれらは、無駄なのかというと、そんなことはなくて、そのイメージの切れ端は、またなにかのおりに違う先のイメージの言葉におさまることがあって、そういうものが、あるから、言葉は欠乏しないのかなって、思います、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 11:39追記---

志水圭 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

たとえば、イメージの本流が、別のところにあって、それを掴み取れないとき、私は、もどかしい思いをするけれど、詩の言葉を見つけるときは、そんなふうなときもあれば、言葉ありきで生まれるものもあって、この違いはなにかしら、と思ったりもします、
感情を言葉にするとき、イメージを言葉にするとき、見たままの感動を言葉にするとき、
やっぱり、なにかが変わっていて、そういうことを思います、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 11:45追記---

Lucy 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

このようなコメント欄で返信をしているとき、私は、砂浜でトンネル掘りするときのような気持ちになります。色々作るんです。トンネルの周りには町があるものでしょう……?そうして、トンネルを開通したり、橋を作って、川に見立てた水を流したりしたいのです。でも、いつもトンネルは一回で上手く開通しないから、そっとそっと何度もトンネルにチャレンジして、出来上がったら、その周りに川を作って、それで時間オーバーです、町は完成しないの、でもトンネル成功したから良いかな、ってそんな感じの、、すみません。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
 ---2017/01/01 11:48追記---

闇道ナツ 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

たとえば、誰かの眼差しが、自らをすこし助けてくれることもあるように、この作品の中の菖蒲も、周りの眼差しが菖蒲を助けてくれることもあるのかもしれない、って思います。
大切なものは、いつも目に見えないけれど、眼差しを注いでくださる方は、いつも、自分をおざなりにされがちだから、そういうものって、申し訳ない気持ちになります、でも、その眼差しがなくなったら、自分がさみしいから、やっぱりそれをやめないで欲しいって思ってしまう、そういうものって、よくないですね、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 11:54追記---

竜野欠伸 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

この作品の菖蒲は、たった一輪しかなくて、ゆらゆらしているけれど、自然界には、そういうもの沢山あるのかなってぼんやり思います、それに、花には花のコミュニケーションがあって、連携があるのかもしれないです、たとえば、みつばちが花の蜜を吸うついでに花粉をあしにつけていく様子が史上の喜びかもしれない、陽を浴びて、水を吸い上げるとき、生きてるって思うかもしれない、もしかしたら、花粉が次の花に辿りつくときに、なにかやり取りなんかしていたら面白いなと思ったり、そういった世界の本当を私は見えていないから、人がただ自らの意識に押し込んで作りこんだイメージはそれが人工的なものなのかなとぼんやり、思ったりもします、

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 12:00追記---

星丘涙  様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

イメージの切り取りの中の美ってあると思うのですが、言葉の中の美って、それは、やっぱり音の連なりなのでしょうか、

母音なのでしょうか、母音をイメージするなら、響きから色や、イメージが自然と入ってくるということなのだと思うけれど、きっとそれは、言語によって、色や、イメージする状態も変わってくるのかな、と思います。

こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 12:05追記---

ヒヤシンス 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

ヒヤシンス様の作品世界を泳がせていただいて、まるで本当にそのようなことが起きているかのような魅力的な作品世界に酔いました。ヒヤシンス様が、この作品を目にされ て何を感じられたのかなって、私、嬉しくなります。素敵な作品を読ませて下さり、有難うございます。

この作品の中の菖蒲を観ている人は、きっとさみしさを感じているのだけれど、切り取った世界の中の自然は、きっとそういった人の感傷とは切り離されたところにあって、その隔絶された感じがこのさみしさを感じている方の孤を浮かび上がらせるのかなという気も、ほんの少しします、

今回、こちらに来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 12:12追記---

小林螢太 様

作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

たとえば、私は、ひとりの世界に没頭する時間がとても好きですが、決してその世界では、孤ではないのですよね、勿論、人と笑い合ったり、怒られたり、慰められたり、するときも、孤では無いのですが、そういう時間とはまた違うひとりの世界に没頭する時間がとても好きです。たとえば、阿呆みたいになにかを熱心に調べ始めたり、急に思い立って切り絵を超集中して始めたりします、この詩の中に書いたさみしさは、そういう熱中さもすこし私は感じ取ったりしていて、熱のこもった目線を感じるから、この人はさみしさを熱心にみつめているなってそんな感じで、(この人って過去の自分なんですけど)そういう感覚で、変な感じです、過去と会話する、みたいな、すみません。

今回此方に来て下さり、本当に有難うございます。失礼致します。
---2017/01/01 12:18追記---

fiorina 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

たとえば、タイムマシンがあったとしたら、 fiorina様は、どんなことに使いたいですか……?

私、タイムマシンって、あったら、ぐちゃぐちゃになりそう!って思って色々と混乱しそうになるのですが、タイムマシンに乗って、たとえば、私が私を未来に連れてきたとしたら、過去に私は存在するのでしょうか……?とか、そんな感じです。私思うんです。タイムマシンに行きたい理由ってもう会えない人に会いたいからだと、そうしたら、未来に連れてきたくなります、それに、タイムマシンがもしあったら、私は、怖くて過去にはいけないかもしれない、私は、臆病なので、嫌な予感ばかり考えてしまって行かないかもしれないです、
過去の言葉と向き合うってすこしそれと似ている気がするのですが、過去の自分は勿論変えられないのだけれど、今度、未来に向けての自分になにか残すのって面白いなって思いました。未来の自分との会話です、今の私は過去と会話するけれど そんな。すみません。

今回此方に来て下さり、本当に有難うございます。失礼致します。
 ---2017/01/01 12:24追記---