コーダ/水菜
水菜さんのコメント

間村長 様

  作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

この作品も、過去作品です。『コーダ』雀の糞が、作品の中に出てきますが、つまり、これは、私が自分の中の制約を破ろうとしたぎりぎりの言葉を初めて作品に登場させた時期のものです。この作品は、自らの中を抉りだすというよりも、当時、このような作品を投稿していた場で、私の詩作への勉強不足を本当に物凄く叩かれていて、詩をテクストと表現する場で、作者不在の詩の形というものや、技巧的なものを書けない自分や、洗練された美がよくわからない自分に、物凄く反発心があって、半ばヤケクソで叩きつけたように書いた最初の作品です。その当時の私は、物凄くイメージすることに執着していたので、半ば酔ったような作品ばかり書いていた気がします、その中で出来たものです、この作品もいっぱい怒られました。私、なんだか怒られてばかりなのです、現代詩フォーラムではもうあまり、怒られたくはない、、(´;ω;`) 

この作品を今、見て思うのは、余白が見える作品なのかなってことなんです、
上手く言えないのですが、頭の中の空白に叩きつけるような感覚、そんな

すみません。

今回、此方に来て下さり本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。
---2017/01/01 14:26追記---

羽根 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

この作品で下敷きにしたものを此方に提示するべきなのか、かなり迷います。私は、この作品を初めて置いた場所が、形而上学批判の一部、テクスト論を掲げている方ばかりの場で、その当時、私が、半ば妄信的に信じていた著書ありきの考え方(フランスのポストモダン思想全体の流れ、たとえば、ハイデガーの存在と時間とか、サルトルの実存主義とか)を自分の当たり前と思っていたので、その時も下敷きにしたものを説明出来なかったですし、してはいけないような状態だったんです、
今は、なんだか、テクスト論も、実存主義も一緒くたにすれば良いじゃない。という感覚なので、下敷きにしたものを提示したとしても、読者の方々が受け取られたものこそが宝石で真実だ。と、思っています。自分の主張なぞ、そういった意味ではクソだと思うようになりました。(勿論自分限定です)何故なら、その方が詩の世界がより広く想像の羽根を広げるように自由になるように思うからです。私の今の考え方は、どちらかというと、ルソーの『言語起源論』が、一番しっくりくるかなという感覚です、なので、今はこれを一番感じて詩を見つめてます、、
もはや自分でも何を言いたいのかわからなくなってきましたが、、帰着点見失いました、、すみません。

今回、此方に来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 14:32追記---

まい子プラズマ 様

 作品に目を留めて下さり、ポイントまで、誠に有難う御座います。

>以前はこういうのを描きたいと
>想っていたのですが、いつのまにか
>アタシは笑いを取る方に走ってしまいました。
>この作品読んで反省しました。
>素敵な作品ありがとうございました。

素敵なお言葉、誠に有難うございます。嬉しすぎて、色々心の中が大変です、面映かったり、赤面したり、めちゃめちゃ嬉しかったり、やっぱり、嬉しかったり、
本当に有難うございます。そんなに褒めて頂けるなんて、こちらに提示して、この作品も報われます。本当に有難うございます。

まい子プラズマ様の作品は、すごく瑞々しくて、明るい、まるで光が降り注いでいるかのように感じるものばかりで、笑いというよりも、繊細で洗練された明るさを感じます。心が晴れやかになる感覚です。いつも素敵な作品を読ませて下さり、有難うございます。
なんだか、嬉しすぎて言葉が上手く出ない、モゴモゴした感じになってしまいます、
反省なんて、、恐れ多いです、、でも、もし、この作品を気に入っていただけるのなら、すごく嬉しいです。すみません。
今回、此方に来て下さり、本当に有難うございます。嬉しかったです。失礼致します。

---2017/01/01 15:02追記---