読むことのスリル──ひだかたけし小論(1)/おぼろん
ひだかたけしさんのコメント
まず、僕の詩作品群をこのような評論の対象にして頂いたこと、深く感謝します。

そして、「ひだかたけし」という私性抜きにして、優れて自立した評論作品である、という点で評価ポイントを入れさせて貰います。

さて、時間について、ということですが、
一点、疑義を。

「分裂」という僕の詩について、おぼろんさんは以下のように評論しています、

〉ただ、そこには季節を通り越した「変化」だけがある。「水銀灯」「夕陽」「白壁」……そのどれもが、(あるいは失われた)過去、すなわち「時間」そのものを表しています。いくつかの抒情、または叙景が「何億年もの時間を経て」という一点に集約されているのです。

しかし、筆者としてはこの詩表現は“瞬間”を抉り出し並列しているので、「変化」や経過としての時間ではありません。

氷河が崩れ落ちる、というその瞬間/光景を捉えているので、崩れ落ちるまでの「何億年もの時間を経て」という生成時間を表現の的にしていません。

それは、「線形時間/風景」と「瞬間/光景」との絶対的相違です。

これは僕の詩表現における核心(時間観)に関わることです。

如何でしょうか?何か、僕の誤解でしょうか?

追伸

以下、ゆっくり続きを読ませて頂き、その上でコメントあればさせていただきます。ゝ

追伸2 「大河に崩落していく氷河は何億年もの時間を経て」は、何億年もの時間を経て今マサにこの瞬間にー、ということです。ここの表現はちょっと冗長かな…






---2023/03/16 17:55追記---

---2023/03/16 17:59追記---

---2023/03/17 14:43追記---