僕のエゴと言い訳/ichirou
鵜飼千代子さんのコメント
吐き気がしてごめんなさい。てか、そういう反応を意識して書かれた詩だと思うのですが、アサガオに名前はつけない、ですね。市民農園を借りているのですが、最近のトマトの苗は「アイコ」だとか「ももこ」だとか、ハーレム気味。ホーム桃太郎の苗も買いましたが、今年は名前忘れた昔の何とか何号というしかめつらした、素人が育てにくそうな昔味のトマトの苗も植えました。

わたし個人の、アサガオに自分を準えて読んだ感想としては、自分でも選んだけれど相手にも選ばれて、この作品のアサガオとは違う人生を生きていることに幸せを感じました。拒絶しても罠にはめて思うようにしようとする勢力はありますが、「あなたの好きにして」とこのアサガオは言ったのか。どちらにしろ、話者は自分のアサガオを愛していない。タレントと同じ「商品」の扱い。この詩を褒め称える人も同じ。家畜や商品としての「アサガオ」に対しての話者の執着ですから、「アサガオ」が恋人や嫁でしたら、お相手は押し付けられる幸せの形に、眼を閉じることの出来ない金魚の昼寝のように、眼を見開きながら口から泡をこぼすのでしょう。世の中の不幸を、アサガオの種を、手のひらにのせてじっと見つめる気分になった詩でした。