用意/スナ菊西 夕座さんのコメント
面白い遊びをされているようで、この風変わりな電車に乗り込んでみて、いろいろと発見できる喜びを味わっているところでございます。
たとえば、横向きの「耳」に座りたいと思うとありますが、どこにそんな席があるのかと探してみると、「渦巻く」というヒントがありまして、それがどうも適度に綿が詰め込められた「クッション」とありますから、なんだここに座れるのかと気づくわけですね。適度な綿というのは耳カスでは困りますが、脳ミソかなんかなんでしょう。たしかに耳も渦巻いてますから、これがクッションの柄というわけですか。フムフム、なかなか面白い席だなと尻を近づけてみたくもなります。
それからですね、「椅子が走って居ります」というのも電車を表現する方法としては変わった視点でよいと思います。「居ります」といっているけれど、もうみんな降りちゃってるから、だれも座って「居らない」のですけれど。このへんの言葉遊びも、ただの電車ではないとうことで、好感がもてます。
それから、いたしかたない板倉くんとか、西くんとかも意味があるようでして、菊西のことではないにしても、よい乗客を乗せていると評価できます。
それから時計をなくした手首に、電車をかさねて、皮からはえている毛を数えるように、席を数えているあたりの時の潰し方とでもいいましょうか、このあたりの合成遊びがこの詩の醍醐味なのでしょうね。
特に「皮から映えて居る」というあたりに、語句への確かなこだわりを感じます。「生えている」ではないんですね。「映えている」という「反映」を表しているいるわけで、この「反映」こそが、「正面からご覧、頂きまして も、同席という状態」につながってくるという仕掛けであり、つまりは正面の窓に自分の座っている姿が映っているというわけですな。これは電車特有の窓の配置であり、だれも座っていないからこそ、自分が座っているのがわかるという反映が実現できて、実にむなしくも楽しいわけです。
こういう虚しさを遊びにかえようとする熱意と工夫には、いつまでも拍手を送りたい気持ちになります。まだまだ探せばいろいろと語句の反映があるようで、そういう意味で愉快な「用意周到さ」だと思います。