あこがれ/ひだかたけし
ひだかたけしさんのコメント
今迄筆者が何回か使い、ここでも云う「霊」とは、例えば、『日本的霊性』(岩波文庫)にて鈴木大拙が以下のように述べでいるものに相当します。

「精神または心を物(物質)に対峙させた考えの中では、精神を物質に入れ、物質を精神に入れることができない。精神と物質との奥に、今一つの何かを見なければならぬのである。二つのものが対峙する限り、矛盾・闘争・相克・相殺などということは免れない、それでは人間はどうしても生きていくわけにいかない。なにか二つのものを包んで、二つのものがひっきょうずるに二つでなくて一つであり、また一つであってそのまま二つであるということを見るものがなくてはならなぬ。これが霊性である。今までの二元的世界が、相克し相殺しないで、互護し交歓し相即相入するようになるのは、人間霊性の覚醒を待つよりほかないのである。いわば精神と物質の世界の裏にいま一つの世界が開けて、前者と後者とが、互いに矛盾しながら映発するようにならねばならぬのである。これは霊性的直覚または自覚によりて可能となる」。

「宗教意識は霊性の経験である。精神が物質と対立して、かえってその桎梏に悩むとき、みずからの霊性に触着する時節があると、対立相克の悶えは自然に融相し去るのである。これを本当の意味での宗教という。一般に解している宗教は、制度化したもので、個人的宗教経験(霊性的直覚)を土台にして、その上に集団意識的工作を加えたものである」。
()内、作者ひだかより付加。