裸の枝に実る柿/菊西 夕座
菊西 夕座さんのコメント
ポイントをくださった皆様、柿がたくさん実ったようで、うれしいです。
読んでくださった方々も含め、感謝します。

ひだかたけしさん。

 郷愁の余韻を深く残すことができたようで、思わぬ収穫を得た喜びでいっぱいです。

 いつも余計なことをくどくど説きがちなのですが、すらすらすらっと読み手の胸に言葉を手渡すことができたようで、その点も余計な枝葉を切り落とした表現がうまくいったようでよかったです。

 ひだか先輩のように滋味豊かで突き抜けた境地へと成熟できるよう、これからも世界と共鳴していきたいと思っております。ありがとうございました。


りつさん、ありがとうございます。


洗貝新さん。

 人の家の柿を勝手にもいではいけません。たしかに、ひと昔前の世代である洗貝新さんの方へと枝は伸ばしましたが、もいでよいとは言っておりません。ましてやクマが近くにいるのであれば、食わせる前に、通報してください。たしかに『翳りゆく部屋』ということで、不穏な影が忍び寄っていることは暗示しました。でも、その影は、目の下のクマのようなものであり、目の下からふもとへ下りて行って、洗貝新さんを襲うようなことはしませんから、どうかビクビクしすぎないようにお願いします。民家の近くでビクビクしていると、挙動不審で余計に怪しいです。目の下のクマとは明らかに違うクマの影が見えたなら、それはもはや郷愁ではなく猟銃の出番です。火急(かきゅうといっても、かきではないです)通報してください。

 さて、私も洗貝新さんの『「思い出の渚」の冒頭歌詞を検証してみる~』に刺激されて、日本の歌の歌詞に言及せずにはいられませんでした。
 私が気になったのは、なぜ荒井由実さんは『翳りゆく部屋』(ベアではありません、ヘヤです。ベアーだと熊になってしまいすので注意)で「わたしが今死んでも」なんて、いきなり「死」をもちだしたのか? 「死ねば輝きが戻る」とでも思ったのか? ということでした。それはおそらく、わたしが今死んで暗くなれば、宵闇の中でランプを灯した部屋が窓に写るように、部屋(恋人と暮らした当時の部屋の)の輝きが戻ると思ったのだろう、という解釈をどこかで述べたかったのですが、それを述べる「機」を逸していたところ、ちょうどよい柿の「木」があったので、干し柿がひっかかった窓も近くにあることだし、窓から窓へと写すにはよいタイミングだと考えた次第であります。

 しかし、「青い影」や「G線上のアリア」の影響があるというのは知りませんでした。てっきり「青い柿」や「熟柿洗浄の秋や」の影響かと思っておりました。勉強になりました。ありがとうございます。たしかに「もう熟柿洗浄の秋や」の影響なら「秋」川さんの歌声のほうがぴったりでしょうね。なにしろ「千の柿になって」の人でしょう? ちがう? G線上の影響? 「線」上ならやっぱり「千」の~の人のほうがぴったりでしょうね、

 ちなにみ私は由美さんの曲なら「経る時」とか「海を見ていた午後」、「真珠のピアス」とかが好きです。「陰りゆくベアー」は怖いから普段あまり聞きません。


atsuchan69さん、ありがとうございます。 

りゅうさん、ありがとうございます。 

唐草フウさん、ありがとうございます。
 
月乃 猫さん、ありがとうございます。
 
みじんこさん、ありがとうございます。
 
本田憲嵩さん、ありがとうございます。
 
海さん、ありがとうございます。 

wcさん、ありがとうございます。 

花野誉さん、ありがとうございます。
 
弥生 陽さん、ありがとうございます。 


---2025/11/03 18:40追記---

---2025/11/03 21:54追記---