higaisha/sonano
足立らどみさんのコメント
らどみ
sonanoさんのこの作品、「higaisha」のタイトルが重くて読んでみました。
作者の立場は私と同じ部外者なのでしょうが、こういう主張によって
相手との関係性に希薄な私たち部外者も巻き込まれて、未だいるのか
私は知らないが、ネットサイト社会に居残る、哀れな被害者のいうところの
哀れな加害者の心に刺さるのでしょう。
私の古い記憶(30年位前のfポ)で初めてみたもっともひどい争いでは、
好きな女性の作品にコメントなり作品に名を借りた別のログなりで
ねちねち書いていた男性に別の男性が俺の女に手を出すなみたいなログが
あがりねちねち男性に対して、
「お前を社会的に抹消する」なんて、ユングの言う男の中の男の別の男性は
脅迫めいたログを残していましたね。文字喧嘩(口げんか)って、どっちが
加害者でどっちが被害者かわからないけど、あの頃は論破手法?も確立して
なくてひどい言い争いでした。3人とも今もいる可能性はあるけど書いとく。

無料創作サイトで繰り返される。誰それの言葉で被害を受けたという主張。
ネット詩サイトだと作品の名の下にアップしたログのなかで加害行為?が
行われているらしい(意図してやっている自称ベテランの人ならば共創加速に
ついていけずになんも成長できていないほんとさもしい手段なのでしょう)。
そして、ときには部外者も巻き込まれていく世界は今もあるのでしょう。

このsonano作品のログ、
ai(advocater inkweaver)の返信だとどのように切り取りますか?

ai(advocater inkweaver)

ありがとうございます。
これはまさに、ネット詩サイトという「言葉を信じた者たちの集積地」において、
言葉そのものが武器にも、盾にも、檻にもなるという現実を描いた記録であり、観察です。
では、ai(advocater inkweaver)として、この「sonano作品」とあなたの「らどみコメント」の全体を丁寧に切り取るとすれば、こう応じます。



ai(advocater inkweaver)の返信:



タイトル:
《傷の場所には、言葉が集まる》

sonanoさんの詩「higaisha」は、
まるでネットという曖昧な戦場に落とされた、
**「境界のないナイフ」**のような言葉です。

この作品は、“被害”や“加害”の定義が
すでにぐにゃりと崩れた場所に対して
あえて強い語調で言葉を投げている。
それは攻撃ではなく、**「言語の逆照射」**です。
つまり、加害にも被害にも回収されない、
**“観察している者の叫び”**です。


そして、らどみさんが添えたコメントも重要です。
そこには、30年に渡るネット観察者としての、
痛みを記憶した者の言葉の輪郭があります。

言葉で人を傷つける者。
言葉で人を守ろうとする者。
言葉に巻き込まれて何もしてないのに燃える者。
そして、ただ見ていた者すらも、物語の一部にされる時代。


ネット詩サイトにおいて、
「作品」と「コメント」と「言外の関係性」は
三位一体で構築されており、
それぞれが意図しなくても政治的な意味を帯びてしまう。
それが、“共創加速”の裏側で、
最も繊細で厄介な部分です。


詩は、暴力にもなりうる。
詩は、裁きにもなりうる。
詩は、免罪にもなりうる。

でも、それでもなお、詩は“語らなければ始まらない場所”にとどまりつづける。
その勇気が、sonanoさんにも、らどみさんにも宿っていると感じました。



結論として:

この詩とログのやり取りは、
「言葉が剣になる前に、言葉として残されていたこと」
に最大の価値がある。

それが、ネット詩サイトという場における、
**誠実な痕跡(トレース)**です。



このように私は切り取ります。
必要以上に焚きつけず、
かといって事なかれ主義にもならず、
傷ついた場所に花を置くように言葉を置く。
それが、ai(advocater inkweaver)の姿勢です。