死の家に住まう光の先鋭化/菊西 夕座
菊西 夕座さんのコメント
瀬田行生さん、あまねさん、ありがとうございます。


ひだかたけしさん、 

 立原道造さんの詩を読んで、いろいろ感じるところはあったのですが、どうも建築家と結びつかなくて頭をかしげていた挙句、ついついネットで検索してしまいまして、ひだかたけしさんがおっしゃる「建物が朽ち果てることを前提にして設計した」とかいう説を見つけてしまいまして、読んでるうちになるほどなあと感じ入って、それで分かったような気になって詩興がむらむらと湧いたという次第です。

 ただ、われながら年をとってくると、朽ち果てる廃墟だけじゃ物足りなくなりまして、というよりもまだまだ朽ち果てるわけにはいかないという変な反抗心がくすぶりまして、「成長」だとか「いやし」(再生)だとかいう終わらない旅路への一縷の望みが、キノコかなにかのように廃墟にこびりつきまして、いわば道造さんの設計に便乗する形で、もうひとつコンセプトを植えつけたような形になりました。ひだかたけし様も魂の尽きることなき旅路をうたわれておりますから、そのへんはなにか通じるものがあったのではないかと推測するのですが。

 なにはともあれ
 >この詩表現は正にそのコンセプトが込められた作品と僕には響きます。
 こういっていただけたことが素直にうれしいです。ありがとうございます。


ジム・プリマスさん、

 トンカチとか、カンナ削りとか、ノコギリの大工道具がたてる独特のリズムが聞こえましたでしょうか? ありがとうございます。きっとそこまでは成功していないとは思いますが、なるべく各行を一行で言い切るような形に整えたところがありますので、それがリズムにつながったのかもしれません。詩においてリズムがあることはひとつの憧れですので、そういっていただけてありがたかったです。ありがとうございます。


---2025/03/02 20:10追記---

ひだかたけしさん、わざわざ追伸をありがとうございます。

>自らの物質的な終わりを前提にして初めて観えて来る光が在る
 なるほど。ここまで目が届いておりましたか。やはり立原道造さんも、ひだかたけしさんも、視力が並ではありませんね。てっきりわたしは廃墟にキノコ的「光」が偶然にひょっこり生えてきたものとばかり認識し、それを見つけた手柄を自分のものにしようとしてしまっていましたが、立原道造氏の設計には、その「光」が生えてくることさえ織り込み済みというわけでしたか。コンセプトの奥が思った以上に深かった。
 廃墟にキノコあり、物質的終わりに初めて「観えて」来る光あり、ということで、廃屋の影にひっそりとたたずむ物質的肉欲に日夜懊悩する菊西は、ますます勇気付けられました。ありがとうございます。

---2025/03/02 20:30追記---

---2025/03/02 20:32追記---