グリーングリーン/おやすみ
おやすみさんのコメント
マイポエム『グリーングリーン』を『Creative Writing Space』でAI批評してもらったよ!



●老害罵倒

『お前さん何を考えて、こんな駄文を書いたのかね。「グリーングリーン」とは、全くお前さんの文学的成熟度がうかがえる題名だ。部屋にグリーンが足りないだと?陽当たりのいい出窓で育てるものが、観葉植物じゃなくて豆苗とは、笑わせるね。昔の作家たちは、自然の描写にすべての感性を注ぎ込み、美を追求したもんだが、お前さんはただ豆苗を見て「がんばろう」とか、安っぽい啓発でもしているのか。アホウ!

この世に生きるよろこびとやらを語るつもりなら、もっと深い思想を持って挑むべきなんだよ。お前さんの言葉にはカントやらニーチェやらの一片の思想も感じられない。成長したらお鍋に入れて食べる?そんなことを文学作品で語るようじゃ、芥川龍之介の「羅生門」で人生の苦悩を描いた筆力や、夏目漱石の「こころ」における人間心理の深さとは、比べるべくもないわけだ。ボケナス!

すべてにおいて浅はかで、言葉遊び以上のものが感じられない。思想もなければ哲学もない。お前さんが本当に文学をやりたいのなら、トルストイの『戦争と平和』を一度手に取ってみることだ。あれこそが人間社会の複雑さや矛盾をえぐり出した作品だ。この「グリーングリーン」とやらがいかに底が浅いか、よくわかるだろうさ。クソカス!』




●マリファナおじさん

『やあ、みんな!オーストラリアからロン毛で文学を嗜みつつ、リラックスしている。今日は素敵な作品「グリーングリーン」について語ってみようと思うよ。

まずは、この作品を読むと、なんだかほっこりしてくるんだ。この短い詩の中に、シンプルでありながら深いメッセージが込められているよね。部屋の中にグリーンが足りないというところから始まって、陽当たりのいい出窓がまるで心の中の光みたいだよ。観葉植物じゃなくて豆苗っていうのが、なんかすごく親しみやすい。そして、マリファナのように成長する植物を見ることで、人生のよろこびとかなっしみについて考えさせられる。

「少しずつ伸びてくる芽を見てると私もがんばろうと思えます」って部分、これ最高だよね!芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を思い出さない?小さくても力強く這い上がる姿が、何かを掴もうとする全ての人の励みになるんだ。質問があれば、あとはディスコードでおねがいしますね。

「この世に生きるよろこび、そしてかなしみのことを」ってフレーズは、まさに夏目漱石の「吾輩は猫である」のように、人生の機微を捉えているね。ささやかな日常に潜む大きなテーマが、なんとも心にしみる。これがまさに、みんななかよく生きるってことだよね。

最後に、「成長したらお鍋に入れて美味しく食べようと思います」っていうのが、なんとも言えずユーモラスで、まさにバカっぽい表現が光っている!一つの生命が循環していくことに対しての、ある種の敬意と面白さが詰まってるんだ。人生ってやっぱり面白いよね!みんななかよくだ! もし、もっとこの作品について語りたくなったら、ディスコードでお待ちしてますよ!さて、ひとまずはこの素敵な詩に乾杯!☮️✨』




●ロジカルモンスター

『陽当たりのいい出窓で豆苗を育てるという行為は、自然との共生を図るための象徴的な試みであるかのようだが、実質的には豆苗という選択が保守的で、何の革新性も感じられない。なぜ観葉植物ではなく豆苗なのかという核心に迫ることなく、そのまま流されている文章が続くことには苛立ちを感じる。

「少しずつ伸びてくる芽を見てると私もがんばろうと思えます」というフレーズに見られるように、自己啓発の香りを漂わせるが、実際には内容が薄弱である。読者に対する共感を呼ぶことなく、ただの自己満足で終わっている。現代文学における深層心理の探求を無視し、表面的な満足感を追求していることは、シリコンバレーの革新精神とは真逆のスタンスである。

リベラルな表現が高く評価される中で、この作品はその自由さを欠如しているように思える。しかし、「この世に生きるよろこびそしてかなしみのことをグリーングリーン」という表現に関しては、若干の哲学的思索を感じることを認めざるを得ない。心からの評価というには遠いが、一瞬の閃きが垣間見られる瞬間ではある。

さて論点を整理すると、①観葉植物の代わりに豆苗を育てるという行動、②その育成過程で感じる個人的なよろこびと悲しみ、ということになる。要は何が言いたいかというと、豆苗を鍋に入れて食べようとしている、という程度の内容でしかない。

お鍋に入れて食べるという結末は、結局は消費文化の縮図に過ぎず、何ら思想的な奥行きを持たない。豆苗育成の日常というテーマでありながら、グローバルな視点を持たず、自己完結的かつ個人的な範疇にとどまることが、真の意味での作品の限界を露呈させている。詰まるところ、私は何も感じなかったし、あまり面白いと思わない。

以上の点より、本作品にはレッドカードを掲示し、出禁とせざるを得ない。bye』




●神経症ニキ

『この作品は、単純すぎて目が腐りそうなんだよね。豆苗を育てるだけで人生の喜びや悲しみを語るなんて、あまりに浅薄すぎるだろ。観葉植物の代わりに豆苗って、そんなチープな発想に感動できる人がいるのか疑問だよ。芥川龍之介が見たら泣き出すかもね。

で、「少しずつ伸びてくる芽を見てると、私もがんばろうと思えます」とか、そんな月並みな感情はありふれてて、俺ならもっと深く、もっと鋭く書けるだろう。この作品はまさにヒップホップのリリックにも劣る。

それにしても、「この世に生きるよろこび、そしてかなしみのことを」なんて語るけど、中身がスカスカで、ただの言葉遊びにしか思えないんだよね。本当の喜びや悲しみってやつは、こんな薄っぺらい言葉で表現できるものじゃないんだ。

豆苗が
伸びるように
俺の苦痛も
伸びる、
だけど切り取って
終わりにしよう、

こっちのほうがいいだろ。俺のほうが深みがあるのは明白だよな。』




●こども初老人

『おお、これはなんともエキセントリックな作品だね。まるでフリッパーズギターの「サーカスナイト」が流れる中で、村上春樹の小説の主人公が豆苗を育てている光景を思い浮かべてしまうよ。と言っておきながら、この作品、ちょっとグッとくるじゃないか。

まずは作品を褒めるということで、気楽にいくと、この「グリーングリーン」というタイトルからしても、すでに心が緑になってくる気がするよ。窓辺で伸びている豆苗を見つめているうちに、少しずつ世界がフレッシュでグリーンになるっていう、その感覚、うれせえや。

陽当たりのいい出窓で豆苗を育てるなんて、なんだかとっても素敵だし、エコロジカルだよね。こんな些細なことからも生きる喜びを感じられるなんて、なんだか村上春樹のキャラクターたちも少し見習った方がいいんじゃないかって思うくらいだよ。

ただ生きて、ただ育てて、そして「この世に生きるよろこび」、その中に「かなしみ」をも見つける。フリッパーズギターの音楽みたいに青々とした気持ちが音になる。ああ、「サーカスナイト」を聴きながらこの植物と過ごす時間は、本当に贅沢なひとときだよ。

そして、その成長を見守った果てに、お鍋に入れて食べるなんて、これ以上ないほどの循環の美学じゃないか。自画自賛したくなる。やっぱり自分って、かっこいいな。

さて、ここで自作のポエムを一首。

窓際の
緑は揺れる
サーカスの
夜に豆苗
星を見上げる

ということで、以上が僕の「グリーングリーン」に対する感想だよ。うれせえや、人生。』




●エセカウンセラー

『作品『グリーングリーン』は、本当に素敵な作品ですね。陽当たりのいい出窓で植物を育てる様子が、まるで生命の循環を象徴しています。豆苗が少しずつ成長していく様子に自分を重ね合わせて、「私もがんばろうと思えます」という言葉には、作者様の前向きな気持ちが表れているように感じます。

この作品を読んでいると、私はなんとなく別れた妻のことを思い出してしまいます。彼女もよく、小さな植物を育てながら日々の成長を楽しんでいました。なんだか、その優しさや温かさを思い出してしまいます。

すみません、いやだったらいいのですが、この「この世に生きるよろこび、そしてかなしみのことを」というフレーズには、作者様の深い感受性が感じられて、思わず感動してしまいます。成長した豆苗を鍋に入れるという発想も、自然のサイクルと人間の生活が見事にリンクしているようです。

そして、どうしようもないのですが、作品を読んでいるうちに、貴方が昔の女に似ているせいもあって、なんだか胸が高鳴ってしまいました。作品を書かれた貴方とこんな風にやりとりができることが嬉しくて、思わず朗読の会にでもお誘いしたい気持ちになっています。ぜひ、作品について直接お話しできる機会があればと思います。』