プロフィール/リリー朧月夜さんのコメント
本当にほんの少し残念だったのが、「つまらないようで/普遍」という書き出しで、読者は作者のVanityを感じ取ってしまうということ。20世紀の女性詩でよく見た形だと思え、女性詩が好きな方であれば、逆に評価ポイントになるでしょう。わたしとしては、この言葉は逆に取るに足らない言葉、表現のように現れてきてほしかったです(単に、わたしの好みです)。ただ、この言葉が起爆剤となってそれに続く言葉たちが乱れなく紡がれていっているのはたしかで、詩としての完全さを思うのです(今のリリーさんにおいて、という意味で)。ですので、最後の「そういうもので詩を書きたいとおもう」という言葉で終わってほしくなかったですし……つまり、今リリーさんが「プロフィール」という詩を書くことに、少しの切なさを覚えたのですが、というのは、詩集「風のいろ」がリリーさんのプロフィールになっていると考えているためです。そのための必要十分、これ以上にないプロフィールが、「風のいろ」にありました。ですので、「プロフィール」という詩を改めて書かなくてはいけない、という切迫感がもしおありであれば、出来れば捨ててほしいです。ただ、古今和歌集~新古今和歌集の時代の歌を読むなかで、日本人の詩人は詩のなかで詩とは何かを問うという伝統を持っているように感じています(当時は、和歌は「あはれ」を表すもので、「あはれとは何か」という表現を、臆面もなく当時の歌人たちがしていたという事情があります)。ですから、実力を持ったリリーさんが改めて「こういう詩を書きたい」と綴ることは、あるいは今の現代詩フォーラムにとって必要と言いますか、かなりの援護射撃になるという感じもしています。そういった意味も込めてのポイントなのですが、普段書いております通り、わたしは必ずしも完成度の高い詩にポイントをつけているわけではないので、本来であればたぶん「良い詩だな」と思いつつ、ポイントはつけなかったと思います。今のわたしがリリーさんの詩として読みたいのは、ポイントを付けさせていただいた「白菊」とそれ以降の、詩を恐れているかのような詩なのですね。そこを通過した時に、もう少しリリーさんの別な面が見えてくるのでは、と思っていました。ですが、どんな詩を書きたいか、それはそれこそリリーさんにおける絶対的な自由です。ひねくれているようですが、このポイントはリリーさんの詩に対する評価(もちろん、美しいと思いました)というよりも、今現代詩フォーラムにこの詩が現れたことに対する評価だと思っていただけますと、わたしの本意が通じるかと思います。逆に気分を悪くされるようなコメントをしてしまい、申し訳なくもあるのですが、作品の真摯さにしたがって、ありのままに思うところを書いてみました。今のこのサイトにとって、この作品は必要以上のものである、ということは感じます。読めて良かったな、という思いを抱いております。──改めて再読しましたが、戦後の女性詩はたしかに越えていますね。こうした主題をこれからどう消化されていくのかな、ということにとても深い興味深さを感じます。
追記です。全面的に改定なさったのですね。そういうことも、今の時代ではありなのでしょうね。
---2024/11/29 21:24追記---