革命なんか笑い飛ばすんだよ、実際の話/ホロウ・シカエルボク
朧月夜さんのコメント
ウェブネイティブならぬAIネイティブにとってはカウンターになる文章かなあと思い……うーん、なぜか「作品」とは言いたくない気がしました……革命家たる思想家は何もなさない、革命家たる野蛮人は暴力で社会を変える、という今までそうであったという意味で前半部分には首肯するのですが、そこで首肯するだけだと、単に「素直になれ」「大人になれ」「芸術家はもうからない」ということを謂いしているだけであって、大人に「なっちまった」読者が「時計仕掛けのオレンジ」とかを読むように、「俺にだってこんな暴言は吐けるんだぜ」という共感を引き出すという意味合いにおいては、商品価値を持った文章だと思うのです。ですが、「ホロウ・シカエルボクは柔軟になったのか?」と迷わせるような文章でもあり、おしまいに「考えてもごらんよ、時代を変えるのは戦争じゃない、たったひとりの人間の知識や経験なんだ」ということで、かろうじて「これは詩だ」という思いに立ち返れるのですが、ちょっとその文言の登場が遅すぎると言いますか、前半の主張ともかみあっていないように思えてしまいますし、AIが理路整然とした文章を紡ぎ出す時代に、こうした矛盾を許容した文章というのは個性を表すという意味合いにおいては貴重と言いますか、重要だとは思うのですが、ずっとホロウさんの詩を読んできた読者にとっては、作者の自己紹介文のように見えてしまうのではないかなと、すこし危惧します。ホロウさんの詩が矛盾を内包しているところ、今まで読んできてあまり目にしたことがないので、今回は「おや?」と思ってしまいました。なんと言うんでしょう、「罵倒した対象が己自身だった」みたいな、……そういう作品なかったでしたっけ? なぜ論点がぶれてしまったのかな? という思いは持つものです。これに対して、「いや、ずれてなんかいないぜ」というご意見も多分お持ちでしょうし、それを聞いてみたいのですが、何を「糸」として紡いだ文章なのかなあ、と。句点がないので、わたしが読み違えているかなあという反省もあるにはあるんですが……。それはそれとして、「ターゲットの定め方がそもそも間違っているんだ、ひとりの人間に話すつもりでやらなくちゃいけないのさ」ということはわたしもいつも思っています(まあ、文学の一手法ですが)。その対極としての「全体主義の暴走」でしかない「革命」に喧嘩を売っているのかな? 「俺の言葉が分からなければ、この矛盾が分からなければ、芸術家気取りなんてすんな」というメッセージを多分読者は受け取るだろうと思い、「じゃあどうすれば良いのさ」については、ホロウさんの今までの詩がすべてを表していると思うのですが。まあ、読者にとっては入り口も必要ですしね。論旨についてはうなづけるものですし、マルコムXなしにマーティン・ルーサー・キングは存在し得ないともわたし自身は思っていますし、ガンジーについては民衆をイギリス政府からインド政府に売り渡しただけだとも思っていますし、今後の革命とは「一人を変える」というところから始まるようにも思うのですが、革命についてもう少し踏み込んだ考えを聞きたいな、ということは思いました。

返コメありがごうございます。多分革命という言葉にこだわってしまったのでしょうね、
---2024/09/22 06:23追記---

「わたしは」という言葉が抜けていました。
多分革命という言葉に<わたしは>こだわってしまったのでしょうね、
の意味でした。済みません。
---2024/09/30 12:45追記---