深奥ミナギル/ひだかたけし
朧月夜さんのコメント
「揺り籠から墓場まで/墓場から揺り籠まで」は、ちょっと見安易なような気もします。ですが、この言葉が現れるのは、「永劫の大洋/打ち寄せる波」を受けてのことなのですね。これを、読者は見逃してはならないように思います。ひだかさんの「時間観」については「読むことのスリル」のなかでも書きましたが、余裕綽綽々でいると作者からのパンチを食らう。これはそうした作風の作品かなあ、と。最後の二行を読んで、「まあ、そうだよなあ」と。ただ、今現在の人間の議論の標準である、物理学、生物学、経済学、政治学などからは離れた記述もほしいかなあ、と。この言葉で伝わりますでしょうか? 「天才になってください」というのが、わたしのひだかさんに対する認識なのですが、こういうことを書くと外部の読み手の方、およびひだかさん自身にどう思われるかは分からないのですが、例えばゴッホの書簡集などを読むと、そこに表されているのはゴッホの理性であり、少しも狂人には見えないのです。ですが、ドストエフスキーの書簡集などを読むと、どうでしょうか。これは完全に狂人の手紙です。ボードレールの手紙にも近いものがあります。詩の読み手はインスピレーションが下ったときのみ発言すれば良いのですが、(もちろん、心のなかに仕舞われる叫びも、本質的に叫びです)動物のように、ではなく、理性の保持者として、こういう詩を読んでほしい、などと感じます。
「自然を引き受け進化スル自然」──凡庸なようでいて、深いと感じます。