鏡像 【改訂】/リリー
朧月夜さんのコメント
「完」ということは、これで「鏡像」は終了なのでしょうか。ですが、小説は抒情で終わってはいけないのです。作者の抒情は読者の抒情を生まないためです。小説はストーリーの終了をもって終わらなければいけません。もっとも、最近では「詩的」「エッセイ的」な小説も多いのですが……。ですが、わたしは小説においては平凡な小説が好きであり、評価します。意外さは、プロットの内部になくてはならない。音楽を聴いてどのように心地よいのか、ということと考えを比べてみると分かりやすいと思います。唐突に旋律(メロディー)が終わっても、それは不完全な音楽です。終わりの音がどれだけ美しくても。例えば、新ウィーン楽派などの現代音楽でも、そうした「聴衆への失礼」はしていません。ポピュラー・ミュージック、いわゆるポップスにおいては、メロディーの音量がだんだんに減衰していく「フェイド・アウト」の技法が使われていることも多いですが、これは「明確なメロディーの終了」ということに音楽家が迷ってしまった結果でしょう。分かりにくい言葉で申し訳ありません。リリーさんの作品に即して語れば、小説を抒情(情感)を持って終わらせる場合、その抒情(情感)のある程度の「持続」が必要なのです。「え?」と感じさせて文章を終わらせるのではなく、「あー、そうなのかあ」と感じさせながら、だんだんに文章を終わらせなくてはいけないのです。それが、作家の「忍耐」なのです。大変でしょうけれど、がんばってください。