鏡像 【改訂】/リリー
朧月夜さんのコメント
筆力がありますね。才能なのか、研鑚の結果なのか。少し推測するのは、自問自答を繰り返した結果、それがちょうどよく小説に合う文体になっているのではないか、ということです。先日の作品へのコメントで、ひだかたけしさんが、リリーさんについて散文に舵を切ったのですか? ということをおっしゃっていましたが、こうした散文における才能を十分に発揮させずに仕舞ってしまうのは、勿体なくも思います。ですが、「詩こそわたしの本領」とお考えになっているのであれば、あえてそれを制止するものではありません。小説は書けば書くほど分からなくなり、乙一氏や角野栄子氏のように「楽しんで書いている」と明言されている方などを見ると、わたし自身は呆然としてしまうのです。リリーさんが今回小説に挑戦されていることは、さらなる詩のステップアップのためなのでしょうか。となると、ひだかさんが見抜いたように「散文的な詩」へと回帰するのでしょうか。今の時代、そうした詩の手法は十分にありだと思います。リズミカルな表現に取りつかれていたわたしなどは時代遅れだと思っており、実際今はわたし自身は詩を書いてはおりません。
先ほどまで「読まないで」とコメント欄に書かれていたようですが、読ませていただきました。十分に読ませる力、読める内容を持っています。ストーリーがどうとか、プロットがどうとかいう西洋的な小説の形式ではなく、落語に範をとった近代の日本の小説のように、登場人物のやりとりが面白い、人間の描写が面白い、読んでいてこれらの人物はいったいどんな人物なのだろうかと思わせる、そうした人間の魅力を引き出せていると感じます。僭越ですが、リリーさんは豊かな人生を送ってこられたのでは、とも思うものです。こうした表現がもし失礼であれば、ご容赦ください。あくまでも、創作に特化した職業作家と比べると、実人生から多くのものを得てきたのではないか、想像力だけでは表現しきれない経験をしてきたのではないか、と感じさせるのです(それが真の共感を呼ぶのではないか、と個人的には思っています)。何が良い、悪いではなく、リリーさんなりの感性の表現を目指されますことを、祈念しております。