五行歌、KEY OF LIFE/ひだかたけし
朧月夜さんのコメント
昭和初期の文学青年たちであれば「作者の平安を願う」とでも書いたのでしょうね。今もそうか。ひとつ前の作品である「君へのファンタジー」とともに、作者にとってはいつになく明るい作品だと思います。あるいは「君へのファンタジー」を批評した方が良かったのかもしれませんが、作を汚してしまうような気もして。この作品は作者のいつものような詩的戯れ(あるいは研鑚)に似ているようでもあり、でもどこかその苦闘から脱したような爽快さ(読者は必ずしもそうは思わないのかもしれない)があり、ある程度のコミュニケーションを取っているわたしにとっては、やはり「作者の平安を願う」といった心持ちになるのです。堀辰雄なんかは残酷で、「おふぇりや遺文」を書いた小林秀雄にたいして「もっとデモンに憑かれろ」などと煽っているのですが、現代は、ひだかさんが盛んに作品のコメントを書いているようには相互理解や研鑚の出番はなく、作家は変人、などと捨て置かれてしまう時代です。ですが、ひだかさんのような現代では珍しいストイックな作者にとっては、この作は単に一つの着地点、なのかもしれません。わたしは芸術家は不幸たれ、そして研鑚せよ、と言うタイプではないので、この詩のように一時の安らぎを現したような作について、かけるべき言葉を(本来であれば)思いつきません。「戻り水を飲みながら家への帰路探求する」というのが、あるいはこの詩を読み解くキーポイントなのかもしれない。作者の過去の詩をあたれば、この詩人はコンビニエンスストアのイートインなどのコーナーで安逸を得ていた。「家」に対して一つのステップが必要だったのです。でも、この作品では真っ先に自分の部屋へと帰ろうとしている。あるいは見落としやすいことかもしれませんが、作者にとってこの抒情はいたって珍しいものであるのです。わたしは「作者は幸福たれ」と言いたいスタンスの持ち主ですが、こう言ったらひだか氏はどう反応するかな。いつものように詩をめざすことの厳しさ、をもって反論されるのかな。今日はいつになく体調も良いので、「藪から蛇」になってみますか。ですが、この作はひだかたけしという詩作者にとっては珍しく救いがある作品だと思います。作者が一瞬手にした安逸というのを、読者は見逃してしまうべきではないと思うのです。褒めて怒られるのは本意ではありませんが、こんな何気ない作にこそ、芸術家が生きて幸福だった証明がある、と思いません? 詩をとるか幸福を取るか。わたしは迷わず幸福を取りますが……。作者は迷わず幸福を捨てて詩的高みへと向かおうとするのだろうな……。もしひだか氏が昭和初期に生きていたとしても、氏は批評家泣かせの作家であっただろう……と、この何気ない作を見て思います。