入道雲/wcアラガイsさんのコメント
省かれた言葉たちの中にでもそのもの哀しさのイメージはできます。読めば、~渡した手紙は洗濯されて入道雲の下に干してあった。とあるので、去っていった妻でしょうか。これは語り手の想像であることがわかる。~その(雲)の上に座り、じゃがいもの皮をむく。上の世界から地上へと意識は戻るわけですね。なのでこの詩の前段が意識的な想像の迷走であることがわかります。無意識に導入されるようには読めない。なぜならば先に日常があってこそ非日常の世界が立ち現れてくるわけで、じゃがいもの皮をむく。この景色は最初にもってこられるのが幻想(妄想)への入口ですね。じゃがいもの皮をむく。という動作の導入も無意識を促す異化作用は働いてはいない。ここでは日常としての景色でつながるからです。なので、このもの哀しさも中途半端なイメージで読めてきます。ベランダか畳の上なのか、そして台所のじゃがいも。先ずはこのような日常がイメージとして表現されてこそ、渡した手紙の行方も無意識に白昼夢をイメージする入道雲とともに立ち上がるのではないでしょうか。
---2023/09/01 00:52追記---