哀しみを司るたとえ/soft_machine
アラガイsさんのコメント

いい具合に飛躍の展開が考えられている作りですね。一連から二連は、小さな目線から大きな視点へと客体化された町への思いが語られています。この視線はぼんやりと浮かぶ三連にも続き、思いはきみとしての回想で綴られます。ぼんやりと、なので(きみ)とはたぶん語り手自身の思いを託してあるのでしょう。そして四連目からの語り手は現在形の思いとして展開されます。これはまさにテクスト的な飛躍の展開を示唆するわけです。 うううむとタイトルかな、「哀しみを司るたとえ」文中とダブられていますが、たとえ、喩えには読めないので漢字にされれば例えでしょうが、何かしっくりこないので平仮名にされたのでしょうね。ちょっとイケてない印象ですね。哀しみを司るたとえ。これはこの文をそのまま引用して具体的な動作(例えば悲観的な出来事や体験とか)で表したほうがいいような気もします。

誤字脱毛発見

---2023/08/31 06:53追記---