満月/古具をふね水菜さんのコメント
美しいです。ただ一言そうお伝えしたくなりました。
---2018/03/27 19:45追記---
私は、遊漁で、その言葉のままに詩の中を泳げたので、弄る必要性を感じられませんでした。遊魚では、意味合いが変わってしまいます。それは、違うように思えてなりません。
---2018/03/27 19:48追記---
……でも、もし、作者様の、誤字であったのなら、……読み違えてしまい、申し訳ありません。
---2018/03/27 19:54追記---
私は、遊漁であったからこそに、百足を百足そのものではなく、血の滴る夜の化け物として読みましたし、遊漁で、あったからこそ、人と遊び場と、血を繋げ、百足を化け物としてつなげ、
全身が軋む恐ろしい夜とつなげました。
全身が軋むのは、実際に遊漁を行ったのかも知れず、その遊漁の光景は、幾人もの人がほの白くうきあがり船から海に飛び込む様子に思えて、
それを血とつなげるなら、
それは、人の魂を奪う幽鬼や妖の類に思え、(海や川のあやかし、白いなんていったかなそのイメージに思えて)それが比喩であり、体験でもあるのなら、血がしたたる枕の比喩の意味深さに、
背筋が冷えると同時に妖艶さと美しさを感じました。
遊魚ならば、私の感じとったイメージではなくなり、私は、自分の誤っていたかもしれない読みに泣きそうです、
---2018/03/27 20:08追記---
---2018/03/27 20:11追記---
---2018/03/27 20:15追記---
もしも、遊魚であるならば、百足は、魚が喜び遊ぶように嬉しげに自由に緩く跳ねているのかもしれず、作品全体にゆるみと、柔らかい緩急が出るように思います。 >月の光が少年を飲み干して 枕元に血が滴り という血が滴るという部分をなにかしらの痛みと解釈するなら、枕は、頭を乗せるものだからこそ、休む夢を暗示し、それが痛みであり、百足がなにかしらの使者であり、それらが遊び喜ぶならば、少年は、もうそこにはなく、つれていかれたのだと思えて、
全身が軋む 恐ろしい夜 を目にした
それを見た方のシチュエーションを思い、……言葉を失いました
この作品は、弔いの作品ですか?
……改めて、本当に美しい作品を読ませて下さり、有難う御座います。
……長文、申し訳ありません。
失礼致します。
---2018/03/27 20:29追記---
---2018/03/27 23:48追記---
古具をふね 様、有難う御座います。
>シュルレアリスム
私は、シュルレラリスムという概念をきちんと消化できるとは言えないのですが、これだけは、私個人的にも思う、作者の方もご自分の創り出した世界観を解釈する存在である、ということだとそう考えております。
絵画的に混在するイメージを纏め、それらから具現化されたイメージから、無意識の中にあるイデアを探ろうとされてらっしゃると理解しましたが、それでよろしかったでしょうか?
丁寧なご返信を誠に有難う御座います。
私の好き勝手な読みについては気になさらないでくださいませ。
全て、自らの好きなように読んでしまう私の悪癖なのです。
そして、遊漁であり、遊魚であり、どちらであっても、私の読みは美しい作品世界に映りましたし、それがたとえ私一人の独善的な解釈にすぎなくとも、私は満足なのです。
有難う御座いました。丁寧なご返信に感謝しております。
失礼致しました。
---2018/03/28 08:26追記---
腰国改修 様、有難う御座います。ああ、少し違うのです。
>正しい正しくないだけで、詩を鑑賞するのはどうかとも思いますし、色々な作者がいて、色々な作品があり、色々なレスポンスがあって当然だと私は思います。
私も、腰国改修 様と同じように千差万別違う読み方があってよいものだと思っているのですが、ただ、この作品の場合、遊漁であっても読むことは出来るとお伝えしたかったのです。
つまり、私が言いたかったことは、つまるところ詩の読み方は千差万別だと、腰国改修 様が、仰ったようなことを言いたかった、ということになります。
私は、誤字とは取らなかった。そして、遊漁としても読むことは可能です。……というよりも、読み取れない詩は存在しないでしょうね。
それを私は遠回しに言いたかったのだと思います。
誤字を指摘するという行為の中に独善的な解釈が眠っているのだと思うのですが、選語にあたっての誤字の指摘は、かなり慎重にする必要性があるのではないかと、遠回しに言いたかったのです。あのような言い方では伝わらなかったのだと私自身反省しました。申し訳御座いません。言い方がすこし悪かったのかもしれません。
正解か正解ではないの解釈の部分ですけれども、
>>遊魚ならば、私の感じとったイメージではなくなり、私は、自分の誤っていたかもしれない読みに泣きそうです、
きっと、私が発言した、>>誤るという部分に対して仰られているのだと思うのですが、
それは、私自身への問いかけであって、作者様への問いかけではなかったのです。少々、混乱してしまい、私の中の気持ちの揺れが言葉にあらわれたものとなります。それは私の中の正解の解釈で、それは作者様の解釈とは一致する必要性はないと考えています。
つまり、あの時、私は、自らがこの作品へポイント入れたことに対する自らの誠意に対して、正解か、正解ではなかったのか、と、問うていたのです。
その後、混乱しながら、遊魚の場合も考えてみて、音、意味、イメージ、いずれにしても私がポイントを入れる作品として正解だと太鼓判を押すことが出来ました。
つまり、私の中の最大の賛辞、美しい作品だと言えるポイントを入れたということになります。これは私の感じ方に対する私への誠意の確認です。
それだけ、評価は微妙なものだと考えています。選語が一語変わるだけで、読みは変化すると私自身が考えているからです。
それは、私の読みに対する私の考え方であり、私の読み取る方法になります。
つまりは、私が、混乱したままに一人で騒いでしまった形ですけれど、少し、若造の反応で、少々恥ずかしく思っています。全てを纏めてそれを頭でまとめてから言葉にして相手の方に伝えるこらえ性がまだ出来ておらず恥ずかしく思います。
腰国改修 様のご指摘のお陰で私は、作者様とお話が出来て、凄く得をしてしまっています。作者様、有難う御座いました。
腰国改修 様、有難う御座いました。
そして、申し訳御座いませんでした。
失礼致します。
---2018/03/28 08:42追記---
---2018/03/28 08:45追記---
---2018/03/28 08:48追記---
---2018/03/28 08:55追記---
---2018/03/28 08:57追記---
---2018/03/28 09:11追記---
---2018/03/28 09:45追記---