漆黒に彩られた翼-陽鳥に捧げる唄-/りゅうのあくびるるりらさんのコメント
---2016/12/10 11:24追記---
おはようございます。
わたしが この詩から受け取ったのは「均衡」「バランス」でした。
幸福と不幸の匙加減についてを 思いました。でも
わたしが この詩からいただいた最大の宝物は、むしろ「鎖骨」です。
わたしにも 鳥と同じものがある。という当たり前を再認識できたことが、
わたしには ことのほか嬉しかった。
拝読した日の一日は、一日中 自身の鎖骨が誇らしかった。
もったいなくて すぐにレスなんかしたくなかったほどです。
幸福と不幸との間のかすがい部分、蝶番部分を わたしは 思います。
わたしにとって この詩は、ただの詩ではないです。
かねてから わたし自身が鳥好きであったことを再認識しましたが、それだけではないです。
鳥の構造になぞらえば、自己の有り様を再点検する手かがりが この詩にはあります。
≫いつも翼は途方もない悲痛を隠していた
≫ すらりと飛翔を描く軌跡は
≫ まるで死神に宛て命の手紙を運ぶように
≫ しっとりと手紙を
≫羽根のあいだに仕舞うようにして
いつも鎖骨は 途方もなく悲しみと繋がっています。
かなしすぎると 人は背中を丸めるものです。だれもが想像の翼をもっているが絶望すると想像の翼の出番はなくなります。
いつかは 必ず訪れるのが死ですから だれもが死神への手紙を持っている。
けれども 幻の鳥が すらりと飛翔の軌跡を描くとき、パッションがあるのを感じました。
人として 想像の翼を羽ばたかせるとき、なにかしらの生きるための手段が浮かぶ。
広い視野でものを観ようとし、自由に 創造力を翻して生きることができると、私は
想うのです。