白裂――WHITELOTUS/ただのみきや
ただのみきやさんのコメント
 読んでいただきありがとうございました。

 らてぃさん、ポイントありがとうございました。

 松岡真弓さん、ポイントありがとうございました。
コメントもありがとうございました。
 そうですね。そういうイメージも混入していると思います。
 象徴どうしが重なり合ってゆらぎながら詩が成り立っている
 そんな風にしたかったのかもしれません。

 有希穂さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 うれしいコメントです。

 北大路京介さん、ポイントありがとうございました。

 竜野息吹さん、ポイントありがとうございました。

---2016/02/28 18:10追記---

 殿上 童さん、ポイントありがとうございました。

 鷲田さん、ポイントありがとうございました。

 闇道ナツさんポイントありがとうございました。

---2016/02/29 20:06追記---

 雨の音さん、ポイントとコメントありがとうございました。
 音や視覚も詩の一部かと思っています。それを中心とは思っていませんが。

 羽根さん、ポイントありがとうございました。

 梅昆布茶さん、ポイントありがとうございました。

---2016/03/01 20:44追記---

 田中恭平さん、コメントありがとうございました。
 春が間近にせまったような日が続いていましたが、また雪が降りました。
 白い雪も綺麗なのですが少しがっかりしています。
 雪が解けるように自らもイメージの中で溶け出して春へ夏へと往きたくなりました。
 鏡は池の表面を示し、池は自分自身の心あるいは精神を象徴しています。
 水面に世の中を映しながら、少しだけよどんだ水の底(本性)が見えるような。
 一般的な宗教的なモチーフというよりも、心の中のものを詩という形で表現する
 ことを蓮に例えています。心の中のものが見えるところに浮上し溢れてくる。
 しかし蓮(詩)はその人の心の闇や泥の奥に隠されたものの全てでは決してない。
 そのようなイメージがこの詩に込められています。
 蓮は仏教ができるよりずっと前から蓮であり(あたりまえですが)
 ヒンズー教(古くはバラモン教)との関わりは仏教よりも古く
 宗教人口で言うならば蓮と言えば「仏」と言う人よりは「神」と言う人が 
 おそらく世界的には多いでしょう。
 わたしは詩の中で「神」と書く時、大まかに二つの意味があります。一つはわたし自身
 がクリスチャンですから「神」とは聖書が語る三位一体の唯一絶対の神です。もう一つ
 は、世の中で特に決まった信仰を持っていない人が語る、少々曖昧な概念としての神
です。この作品の中では両方に広がりを持たせています。「神」という言葉を読む人
が無意識に自分の「神観」に合わせてイメージを広げられるようにです。
 「雪=時」は絶えず降り積もり景色を白紙に戻し刷新する白い雪と時間に共通性を
 感じたからです。もう一つの意味は秘密ですが。
 聖書の中で神は沢山の比喩を用いていますが、神を信じる人でもそうでない人でも
 自然の中にさまざまな比喩のようなものを見い出して感動したり、驚いたりすること
 があるのではないでしょうか。特に詩を書く人は。
 神はサインを残しませんから、わたしたちはそれを新しい比喩として用いるのです。
 
 田中さん
 わたしはあなたに認めてもらいたいと思っている訳ではありません。
 わたしの作品が嫌いならもう読んでいただかなくてもまったく構わないのです。
 ご自身の見識をふるってコメントを書き込みたいならお好きにしてください。
 個人的には、真の読解には知識だけではなく偏らないまっさらな心とその詩作品に
 対する尊敬が必要だと考えますが……
 まあ、どうぞお好きなように。

 では、見限っていただいたということでよろしくお願いします。

 Xさん、ポイントありがとうございました。

 ヒヤシンスさん、ポイントありがとうございました。

 世江さん、ポイントありがとうございました。

 吉岡ぺぺロさん、ポイントありがとうございました。

 夏美かをるさん、ポイントありがとうございました。

 媒体さん、ポイントありがとうございました。









 
  

 
 
 
 
 
 
  
---2016/03/01 22:34追記---

---2016/03/01 22:51追記---

---2016/03/02 17:38追記---

---2016/03/02 17:51追記---

---2016/03/05 17:24追記---

---2016/03/06 17:37追記---

---2016/04/02 23:21追記---

---2016/05/02 22:44追記---