月と靴と冷蔵庫/為平 澪アラガイsさんのコメント
非常に酔興(ユニーク)な三つ巴の取り合わせですね。さぞや苦心されたことでしょう。ヒラメが閃きにちょっとウィンク。そうでもないのでしょうか。例によって少し辛口の空回りでコメントさせてくださいませ。
月と靴と冷蔵庫。まったく自由な取り合わせで素晴らしいとは思うのですが、その計算式がプラスかマイナスのイコールで終えてしまうのにはやはり物足りなさを感じてしまいます。あたまのわるい私がちょっと首を捻る様な、少し複雑な方程式にまで変化されていない不満足感が残ったりしてしまう訳です。 月と靴と冷蔵庫。これは同じ目線なのですね。なぜ靴なのかが上手く異化されてはいないから文の中で冷蔵庫が機能的に活かされて読めない。もちろん海のイカではありませんよ。月とは常に地上からみつめる母の眼差しでもあるわけですが、それに寄り添うのは宇宙を取り巻く万物神の元へ昇天を果たした父親の眼差しでもある訳です。地球に生活にどっかりと根を張る冷蔵庫とは、わたしの生活を占める身体の一部でもある。わたし自身の動きでもある足元の靴が何故行動的な動きを示さないのでしょうか? わたしでもある靴が具体的な動きを見せてこそ、この詩の主題でもある冷蔵庫の中身は、超現実的な問いかけの中で現実の答えに導かれるのではないでしょうか。
かなり惚けています。かに星雲的空説をぶちまけてしまい、誠に失礼いたしました。
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わからないですね。申し訳ないです。もう少しわたしの空説をわかりやすく解説いたしますれば、冒頭から靴を履かせてはならないのです。靴の表現は(地球が靴を掴むから)でよいと思います。文章に直接表現した靴と語義との関連性を持たせてならない。あとは野菜畑や生活指数の中を具体的に、そして黄泉の国を抽象的にあなたがあなた自身の足で歩き廻れば答えは自然に冷蔵庫の中身に導かれる。そのことによって、タイトルの月と靴と冷蔵庫が異化の関係に置かれグッドだと、わたしの酔狂なあたまは思いました。
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たとえ酔っていても解説を貼るのならばいい加減な批評を置いてはならない。一応推考し訂正してあります。
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追記
そうですね。余計なことでしたね。失礼いたしました。ここは褒め言葉主体でまあるく収まる場所でした。今度から冗談にも批評めいた記述は一切無しにしましょう。その方がお互いの為になる。