舗装農道/イナエ
Lucyさんのコメント
どうして、都会の遊歩道ではなく「農道」なのでしょうか?
不便でも、ぬかるんでも、農村は農村らしくという、都会に住む人の身勝手な価値観を(タイトルに)感じてしまいました。
イナエさん、ご丁寧な解答をありがとうございます。ですが、このご解答を読んで、むしろ論理的な矛盾を感じてしまいました。小さな生き物の存在空間を舗装という自然破壊が剥奪してしまう、その恩恵を受けている人間のエゴについては、一旦目をつぶり、小動物の目線に寄り添い、ものを言うのは詩人の自由だと思います。そういった観点からこの詩を理解しようとしたのですが、しかしなぜそれが「農道」に限定されるのでしょうか?河川敷や公園の遊歩道だって同じように人間中心に作られ、生き物を疎外しているのに。と素朴に思った次第です。農道という以上農作業に必要な道路でしょう。昨今の農業は機械化がすすみ、大型の農機具や軽トラックなども使われるでしょう。それを「農繁期以外は使われていない」 「税金のむだ」などとおっしゃるのには正直驚きました。水田は基本的に毎日の管理や手入れが欠かせない、とても手間のかかるものです。農道というからには基本的に私有地ではないかと思うのですが、そこに税金が投入されたかどうかはわかりませんし、どこの農道なのかもわかりませんし、そのようなことを論うこともこの詩の趣旨から離れてしまう事と思われます。農道だから舗装は必要ない、農道には蛙やザリガニの居住権がある!と主張するために、この詩が書かれたのではないこともわかっているつもりです。

追記、私は詩人としてイナエさんを尊敬しており、私の作品にいつも忌憚のないご意見を寄せてくださることにも感謝していますことを、付け加えさせていただきたいと思います。どうかご無礼をお許しください。