詩のしくみについて/たま
アラガイsさんのコメント
人にやさしくわかりやすく解説されていますね。
前田さんへのコメントでは書きそびれたのですが、野球では投手の投げるボールを活きている、などとよく解説がされます。これは気持ちのこもった、謂わば魂の入ったボールだと言うことでしょう。何故そんなことが言えるのか?確かに球の回転数や速さなどの違いは計算機で証明もできる。しかしそれだけでしょうか? 見た目には違いがわからなくても打者を抑えてみせる。気合いのこもった球を投げる投手には必ず迫力のある態度にも現れてきますね。その気合いが手にした道具やモノにのりうつる。このような表現は直接相手と対峙するスポーツなどではよく使われます。同じようにモノを作り出す人間にも言えることでしょう。魂がのりうつる等々とはよく言われますが、脳を使い見た目の物差しで判断することや、計算機では計り知れないものが生き物には潜んでいる。だからこそ個性豊かに表現できる力もあればその価値もある。優れた直感力とはそうして養われるものでもあるのでしょう。
もちろん死んだような言葉で詩を描くのは可能ですが、これも生きている存在の証に過ぎない。 言霊とはよく言われます。無意味であれ何であれ、動作するその行為とは生きる目的のために使われる力であり、魂の力が言葉にのりうつらなければ意味は薄く無いに等しい。優れた作品とは、そのようにして出来上がるものではないでしょうか。