父を見舞う/Lucy
乾 加津也さんのコメント
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後でコメントを書かせていただきます。^_^
---2013/09/04 16:04追記---
人の人たる所以が愛であるなら、埋もれそうな愛の蘇生も詩人の務めかもしれない

日常の見舞いの出来事で、4つの連はそれぞれ観察、会話、比ゆ、別れである
共にした生活のあらゆるシーンがあってもよさそうだが、この連では入院生活の父を描いている。作者の中ではこの時期の父との関係のほうが、よりリアルなのだろう


 杖をついて歩けていた頃のように
 まだ 口からご飯を食べる事が出来た頃のように
 ベッドの上に
 自分の力で起きあがれた頃の父のように
 いたずらっぽい目をして


しめっぽさにあっても前向きで爽やかな作品に仕上げることで、情のぬくもりが密度を増して溢れるようだ
ほかに小道具がないので散らばらず、小品としてまとめるならそれもいいかもしれない
思うのは、重複する「ゆっくり」を別で表現する方法はなかったかということ。そこに他の可能性も同時に生まれてきて、作品の幅が深まることもある
(ただし失敗すると収集がつかなくなることもあるが 笑)

また、この状況にあっては発話の重さにとくに傾注しなければならないのに、「という(と言う)」の多用。さらに思い切って会話を厳選し、あとの会話の事実は描出に変えられないのか(・・・良い作品ほど、難癖をつけたくなるものだから、やむなし)
それでも、わずかな所作の描出で愛を届ける力には感動する


 と手を振ると
 ゆっくり少しだけ/右手を持ち上げ
 握ったままの手を/ほんのわずか
 ゆらゆらさせる


ゆらゆらさせる(で終わる)この愛くるしく結ばれたひと言にはあらゆるものが押し寄せてくるようで、ポイントやコメントを超えて心からの賛辞を贈りたい

とか、書いてみました。失礼はお詫びします。

---2013/09/07 08:05追記---

良いと思います。ご承知の通り正解はありません。作者がすべてです。私は自分の勉強としてコメントを書かせていただきました。
ご好意に感謝しております。^_^