名前と番号/HALるるりらさんのコメント
初読した際には V・E・フランクルが 収容所での自殺者について、この詩とよく似た思いに囚われた人々は自殺した。と、書いていたことを 思いました。自らの命に絶望せずにすんだ人とは 芸術的活動<歌を謳う人、神に祈りをささげる人、ユーモアをもった人>は、自殺をしなかったと記してます。そして人は いかなる場合でも<収容所のような環境に追いやられたとしても> いかに生きるかという選択があるとも 彼は記していたことを 思いました。
レスのやりとりを拝見することで、彼の存在もこの詩と関係があると知りました。そういえばHALさんは、収容所のある場所に行ったことがあると、おっしやっていたことを 思いだしました。かの土地に行けば、囚われた人々の絶望を思わずにいられないのでしようね。
けれど、 V・E・フランクルの功績は、収容所のような暮らしであっても 意味を感じて生きた人々はいたという報告です。 V・E・フランクルの本は、自身の番号のある暮らしから生まれたものであり、いかなる人生にも意味があることを V・E・フランクル自身がその著作 その生き方で証明していることを忘れてはいけないと 私は思います。
---2013/04/25 15:53追記---
拝見いたしました。けれど、詩文には 収容所の話とは 書かれておられないので、さまざまなことを 思いました。たとえば、番号とは言っても 野球の永久欠番の背番号とか 逆に 栄誉となることも あったりして、人の心とは 不思議なものですね。
簡素な詩文ですが、さまざまなことを考えさせられました。
ありがとうございます。