僕が思う現代詩と合唱の関係について(7)/赤青黄
赤青黄さんのコメント
かのっぴさん:僕もかのっぴさんのレスの通りだと思っています。
       ですから、最初は友達に付いて行ってなんとなく合唱を始めた人でも、
       この魅力にぐいぐい嵌っていって退部するときには「合唱最高!」っ
       てなる人以外と多かったりするのです。
       嬉しいコメントでした!ありがとうございます。
       
浪玲遥明さん:コメントありがとうございます。   
       
       コメントを一読してなるほど、と思いました。
       まあどこまでなるほどなのかはアレなのですが汗
 
       (他の団体の合唱人の方々はどうか分かりませんが)  
       僕も含めた部活の皆は「現代詩=解釈ができるもの=共感が覚えられるも
       の」だと思っているふちがあるのかも。
       
       具体的に言うとしたら(文極での月間選評を読んではっとしたのですが)皆
       現代詩=j-popの歌詞と同じ基準で詩と向き合っているのかもしれませ
       ん。

       だとしたらちょっとこれはマズイかなーと思いました。
       
       
       これは、余談なのですが、
       
       実は一度だけ僕達も詩に対して「解釈」を放棄したことが一度ありまして
       
       そのときの詩は池澤夏樹氏「ティオの夜の旅」だったんですけれども
       この詩に限っては解釈がまったく出来なくて悪戦苦闘したのを覚えてい 
       ます。

       で、「もう無理なものは無理だっ」と先生までが悲鳴あげちゃったので
       解釈をあきらめ、曲の中でつむがれる摩訶不思議で魅力のあるフレーズ
       を生かす練習に切り替えたんです。

       そしたら案外その作戦が有効で、結果的にいいところまで曲を持っていけ
       たことがありました。

       ちょっと長くなっちゃってすいません。
       ありがとうございました。
       


       

       
---2013/02/21 02:54追記---

まーつんさん:コメントありがとうございます
       僕は、合唱以外のジャンルの音楽に携わったことがないので
       実の所あまり音楽全体のことについてはよく分からないのですが
       それでも、音楽の醍醐味の一つとして「誰かと誰かがセッションする
       こと」があると思うのです。ここで僕が言っているセッションとは
       バンド仲間みたいなのもそうですが、作曲家や歌い手のような関係や
       演奏者と観客などの関係も含めたものです。
       合唱の場合だと「詩」あり「作曲家」がいて曲を起こしそれをみんなで
       「合唱」し「観客」に披露する。このプロセスがものすごく面白いと僕
       は思うのです。
       
       これから僕が書くことが、現代詩及び合唱の魅力をつたえることに
       少しでも貢献できるよう(拙い文ではありますが)頑張りたいと思います
       嬉しいコメントでした!
      

こひもともひこさん:ポイント&いつもお読みくださりありがとうございます。

---2013/03/13 20:35追記---
北村 守通さん:ポイント&お読みくださりありがとうございます