辺見庸『眼の海』を読む/石川敬大アラガイsさんのコメント
「自動起床装置」から「もの食う人々」そして、自身の地下茎を吐き出したような「反逆する風景」と、記者時代に鍛え上げた、その鋭い観察眼、しかし、彼自身組織時代に培われた客体視する弁別を拒否するかのように、作品のなかでものの見事に自己内部への撞着として透過させる 。
いまでも某テレビ番組で放映された一場面が目に焼きついています。それは少女の傍らに座り、まるで、その内臓へと潜り込めない癌の痛みを共有するような大きな肩の重さと、どうしよもない境界への隔壁、それはやりきれない断絶への慟哭だった 。