詩の批評と題する散文批判/……とある蛙
鵜飼千代子さんのコメント
傾聴に値すると思います。(ちょっとかっこつけました)
--コメント更新ログから 来ました。

ざらっと、今、思いつくことを全て書き出して問題提起をされたと読みました。
この一文の中で前半と後半を対峙させると相殺してしまうような気もするのですが
相殺してしまうから、現状の詩は盛り上がらないのかもしれません。

「詩は多様である」

ということをお護りにして、自分の詩作に引き寄せた論を聞かせていただく機会は
大切だと思います。

本論にもある通り、
詩は
「みんな違ってみんないい」
から、選をするのも同じ詩友の中で選ぶなどと烏滸がましい、、、というような
あるけどありえない、時代を反映した詩人の気持ちも読みました。

そこを強く押すと、綺麗ごとの上がすりのお話ばかりで、本音が聞けなくなって
しまうんですね。

「詩は多様である」

ので、我田引水理論であるなら、「そういうお話なら、きざらしに雪駄でひとり書いていきます」と
あっさり離脱するのも詩人でありましょう。
そういう人は、詩集を出している詩人でも沢山います。

現代詩フォーラムのIDの若い番号を辿っていただきますと、
清水鱗造さんや清水哲男さん、鈴木志郎康さんなどの名前も確認していただけますが、
詩の団体に属していない詩人です。



この論は、一文として突き詰めて隙のない論文にするのではなく、
文節ごとにその道に精通している人に尋ねたり、あちこちから検討してみる
ものだと思います。

夫々の詩を書く方がそうしてきて、現状がこの通りなのでしょうし、
「行き詰まり」も「現代詩は死んだ」も、何十年も続いているのでしょう?

もしも、蛙さんとフォーラムでのやり取りだとか面識が無くて、
「この文章をどう思いますか?」と尋ねられたら
「随分太いワラシベですね」とにやっとお返事するでしょう。
わらしべ長者とかけてね。

蛙さんとコメしあっているから、この前のオフのような機会があれば
卓袱台ひっくり返しておまけに蹴りあげて、結論無し のような
その時に思ったことだけ、お酒で頭がついてゆかず、話しそびれたこと沢山
みたいな!

詩の現状は、どこか沈まない船があって、それに乗れば生き延びられるというのが
今無いんです。

「100年後」



個人情報保護法も詩人にとって煩わしい取り決めだと思いますが、
ネットが絡んでくると、そうばかりは言っていられませんね。

著作権についても、詩人は歌謡に対して、元来優越であったため、
搾取について寛容であったのですが、
日本が他国に対して、特許の意識が低く苦渋をなめることになった過去があるように
「権利」については、特にネットに表出している詩はフリーのボキャブラリーソースと
捉えられると救いがないのですが、紙で殆ど知られないまま無かったことにされるの
よりはネットで沢山の人が読んでくれていた方が救いがあると思います。

夜は、人通りの無いところを通るな

です。



「動く歩道」は、色々なお免状同様、金次第だという現状は確認したので、
それとは 離れて、本論で語られているような 日本の詩の問題にひとつひとつ
向き合って行きたいと思います。

こういうことは、ずっとそれに対して取り組んでいても、自分に対する風当たりを
心配して、年をとるとなかなか書けなくなります。
ので、
書くような、同じ考えを持つ若手を「スケープゴード」にするところがあります。

私も、まだまだ若手なので、御合判を。

だけどね、
「自分はもう死ぬから」
私をスケープゴードにせずに、ドンキホーテになったソウルメイトもいるよ。
パンチョ間に合わず、かな。



ここまでわかっているのだから
黙られるのは、損だから、先様のお話を聞いて打診したいなって思います。

蛙さん、ライフワークとして、腹をすえてじっくりいきませんか。
なにか、わたしは蛙さんの出現に勇気をいただいています。^^



---2011/05/15 22:28追記---

サンチョでした。ごめんなさい。
---2011/05/16 09:35追記---