首無し村/散布すべき薬物の所持2
散布すべき薬物の所持2さんのコメント
文法の間違いなど、詩作をする上であるまじき恥ずべき不勉強お詫びいたします。
次作からは、より鋭く推敲し、言葉遣いなどを細かに吟味した上で投稿したいと思います。

ご指摘に基づいて、
・格助詞の「の」を消しました。
・「黒き」→「黒い」など、全体を口語体に直しました。
・「長きに渡らん」などを、別の表現にかえました。
・「いただきの傲慢なれ」と「桑畑永遠なれ」の『なれ』は文語体ですが、台詞と認識していただければ幸いです。

>孤蓬さま
ご指摘と丁寧な解説ありがとうございました。

---2010/05/05 17:31追記---
まず、孤蓬さまの名前を間違えていた事を謝罪します。
失礼いたしました。

再度ご指摘を受けまして少々考えました。

・「いただきの傲慢なれ」は『なれ』でなく、「〜であれ」という意味の『たれ』の方が、正しい用法かと思いまして、直しました。すなわち、「いただきの傲慢たれ」=「いただきのように傲慢であれ」或いは「いただきの如く傲慢であれ」という、「神」に対する台詞的言い回しとして捉えていただきたく思います。尚、「いただき」は「頂上」の意味です。
・「かむあがりて」から直した「てりかがやき」に関しては、考えた結果、元の「かむあがりて」に戻しました。古語ですが、現代詩的な表現上の例外として受け取っていただきたいです。
・「滄海沈みたまえ」の『たまえ』に関しては、特に敬意を表したつもりではないですが、「滄海(=大海原)」「桑畑」は知っての通り「滄海変じて桑田となる」という成語から連想した言葉です。詩の表現に関しては十人十色の受け取り方があると思いますが、「青海原を沈ませたく思う」「永遠に桑畑であってほしいと思う」という意味の台詞的言い回し、そして成語の「滄海変じて桑田となる」のたとえから連想して不自然ではないと思ったのでそのままとさせていただきました。

孤蓬さまのように「意味がわからない」という方が多いかもしれません。それに自分自身、詩の意味や内容について「この表現はこういう事を表している」とか「こういう意味だ」と提示できる明確なものがあるわけではないです。また、あまり口数多くても野暮ったいと思います。もし言う事があるのなら、「卑屈で全てにおいて消極的な一現代人の心理」を『首をなくした村』として表現したつもりだったという事です。

---2010/05/05 19:18追記---
再考・訂正しました。
孤蓬さま、(的確なご指摘について)度々ありがとうございました。
文語表現に関しての無知を恥ずかしく思います。
また度々お世話になるかとは思いますが、日々変化していく日本語の特質上、現代詩としての表現が必ずしも正しい文法や言葉遣いや用法で成り立つとは思いません。なので、もう少し「正しい物事・ルール・情報など」から逸脱した目線で見ていただけると嬉しいです。とどのつまりは「お手柔らかに」という事が言いたいだけなのですが。笑

尚、この前の追記で説明しきれていなかったようでしたが、「滄海」には敬意を表していると考えても不自然でなかったのでそのままにいたしました。

---2010/05/05 20:50追記---
まず、「滄海」の矛盾についてですが、
>「滄海沈みたまえ」の『たまえ』に関しては、特に敬意を表したつもりではないですが、
という部分は、「『たまえ』は敬意表現だ」と指摘を受ける以前の意見ですので、「特に敬意を表したつもりでは『なかった』のですが」とすべきだったかもしれません。混乱させてしまったのでしたら申し訳ありません。

「滄海成桑田」に関してですが「『青海原が(当時ありふれていた)桑畑になってしまうように』世の中の移り変わりが劇的である」といった、やや否定的なニュアンスであると自分は感じました。作中では、この「青海原」という強大で前向きなイメージのものを沈みたまえと否定するような心理、対して「桑畑」のようにありふれていているもの(すなわち「取るに足らないもの」という個人的解釈をしました)を永遠なれと思う心理を表現したつもりです。
それがあったので「青海原に沈んでほしい、だが青海原の強大な力には敵うまい」といった自己相対的な心理のあらわれとして、敬意表現でもおかしくはないかな?と自分は感じました。何より「たまえ」としたときの音の語呂が他のどれよりも良いと思ったのでそのままにさせていただきました。決して「敬意を表する必然性」があるとは思いません。

孤蓬さまは日本語や文語に関しての造詣が深い方かとお察しいたします。正しくない日本語の用法などがさぞ目に付くと思います。それに関しては無知をお詫びいたします。ですが、「小児や外国人による【片言】のような表現」とコメントで言われるところなどをみると、否定的で断定的な態度であらゆる人々の作品を見ているのではないでしょうか。この蛇足的な一言から感じるものは、少々言葉が悪くなってしまいますが「指摘をして作品を改善してほしい」というより「自分の知識を公にひけらかしたい」或いは「この無知な者を徹底的に刺激したい」というような印象です。今までの指摘が孤蓬さまにとって初歩的なものであったのなら、私信等で耳打ちして下さった方が自分としてはありがたかったです。
孤蓬さまが詩というものをどのように捉えていらっしゃるかは解りませんが、自分は、日本語は破壊するのが容易な言語であると思い、意図的であるかどうかを抜きにして破壊された表現としての「詩」もあるのではないか、と思います。稚拙な日本語のアラを見つけて指摘するよりは、以前の追記で申したように「逸脱した目線」で読んでいただけるのが本望であります。

---2010/05/06 11:33追記---
ようやく孤蓬さまの意図がわかったように感じます。
それであれば、実際に間違った文法などを使っていたことは事実なので、決して自分もこれ以上反論できるものではありません。
「こじつけ」といえばそうなのかもしれませんが、正直なところ、以前の追記で申したほど深く考えた上ではなく、例えば「滄海」の件に関しましては、「音的に響きがよく、障りが少なく感じたのでそのままにした」というのが自分の気持ちです。
自分で納得したもの(表現方法や音の響きなど)をなるべく曲げる事なく「そのままにしておきたい」というのが本音でありました。
ご指摘を受けた上でも「これはアリじゃないかな」と判断したという事です。

文語や古語に関してご指摘を受け、「ああ、確かにこれは変だな」と思えばその箇所を直したりもしますが、「音はこちらの方が響きが良いな」と思えば、表現などは変えないつもりです。
孤蓬さまのご指摘自体は煙たいとは思いません。間違った用法などをそのままにしておく方がずっと恐ろしいとも思いますので、これからも何か目に留まることがありましたら、よろしくお願いいたします。
ただ、ご指摘を受けた後については自分で判断したいと思います。
ではまた。