酔歌 - 2 / ****'04/小野 一縷
雅 羊々さんのコメント
 いくつか読ませていただきました。とは言いながら、実のことを言えばほとんどを途中からで読み飛ばしてしまいましたが。なんか疲れてしまって。「感覚体としての言葉」と「意味を表す道具としての言葉」、言葉の持つ作用のうち大まかなこの二つのうち、後者の理解と使用は見事とお見受けしました。多分私より上手いです。特に意味を反発させることによって発生させる尖鋭的な、力学的方法において。(これをされると酷く疲れるんですけれども面白いのは面白かったです)
---2010/03/10 16:00追記---
ご事情理解しました。(詩とコメントのギャップもよく分かりました(笑))
「道具」と言う言葉自体ニュアンスによってどういうものがこもってくるか分からないものですけれども、少なくとも詩作品を見る限り、即物的な意味での「道具」、利用するためのもの、として使っている感じはします。言い換えれば「ことだま」という利用法を極めて回避しているような。
これ以上突っ込むことは止めておきましょう。死者の魂には安易な心構えで触れることなかれ、というのが自分のスタンスですので。

通りがかりの一人に過ぎませんが、その方が今は安らかにあられることを望みます。失礼しました。