我と来たれや善き阿呆/……とある蛙……とある蛙さんのコメント
>月夜見さん いつもポイントありがとうございます。
>Cloudy Bayさん いつもポイントありがとうございます。
>近藤孝次さん ポイントありがとうございます。
>遊佐さん いつもポイントありがとうございます。
>羽根さん いつもポイントありがとうございます。
>YUKI子さん ポイントありがとうございます。
> 孤蓬さん コメントありがとうございます。
これでこの戯れ歌も浮かばれようというものです。
>文語と口語が入り混じり、どうも不自然な印象です。
作者の意図としては、この詩は声に出して読むことを前提とした戯れ歌なので、全部ぞんざいな話し言葉です。
文語文法などという大それたものを使う イト はありません。七五七五七五七五の調子に合わせて作ったものです(最終連だけ別)。歴史的仮名遣いはちゃかしです。
なお、元の原稿は全て口語で現代仮名遣いです。
不自然と感ずるのは感性の問題だと思いますので答えようがありません。
失礼しました。
---2009/08/02 21:11追記---
>2弦さん いつもポイントありがとうございます。
>吉岡ペペロさん いつもポイントありがとうございます。
---2009/08/02再び 21:47追記---
> 孤蓬さん 再びコメントありがとうございます。
まぁ少しほろ酔い加減で面倒くさいのですが、御挨拶しなかったのでは失礼と思い、少しだけ書きます。
私の書いた詩について言葉の意味が分からない人は何人いるでしょうか(上手い下手は別にして)?少なくとも一般になじみのある文語表現しかしていません。ほとんど口語でも使われる程度の文語表現です。我とか善きなどは文語を意識せず意味の分かる言葉です。調子もあっていて自然なはずなのですが、不自然と感ずる人がいるのなら言葉の選択を間違えたのでしょう。
言葉の意味に関していえば文語で統一するよりはるかに分かりやすいとと思います。死語で言葉遊びしているよりましだと思います。
しゃべり言葉と言ったのが誤解を生んだかも知れませんね。歌謡みたいなものをねらってます(遊びなのにオーバーですね)。捨てられた七五調の復活ですね(七五調の繰り返しは何かいい感じで読めます)。
言葉は伝達手段です。また、進化してゆきます。ですから、口語と文語が混合した文章について、死語に近い文語を中心に文章を理解するのは論が逆立ちです。むしろ、文語表現自体何らかの効果を狙ったものと理解すべきです(ちょうど長屋の住人が芝居の台詞をうなるようなもの)。
※もっとも俳句の切れ字としての「かな」を終助詞とだけ解説し、口語表現があるからといって不調和と断言できる感性にはついてゆけませんが。
※仮名遣い自体 その時代、場所の発音のあてはめ作業であることを理解すべきです。本来、発音は暫時変わっていっているはずですが、仮名遣いは統一性が必要なのでそうも行きませがん。
なお、食ろふては二重の意味で問題があるはずですが、実際、現代俳句の作者で使用している人が まま、使用していることが認められますので試しに使ってみました(笑)。まぁ「魂の底を喰らう」という極めつけの言葉を使ったある種の仕掛けとして書いておりますので、適当に誤解して下さい。
失礼。
---2009/08/03 20:46追記---
>孤蓬さん再々度のコメント重ねてありがとうございます。
過去の文語表現は既に日常語ではありません。文語の存在意義はせいぜい古典の鑑賞の、保守的あるいは懐古趣味のある定型句のお師匠さんさんの権威付の道具程度です。
しかし、少なくとも一般になじみのある一部文語表現はある種、意味の膨らみがあり、口語文で使用しても生きてくる場合があります。
少しでも文語表現を口語文の中でも生かそうとする試みがあってもよいと思います。その試みをぜひあなたのような学識のある方に実行してもらいたくターゲットを定め、この詩を書いたつもりです。つまらない添削しているよりずっと建設的だと思いますが。
以上あまりにも議論がかみ合わないので少し自分の文語表現に関して感ずるところを書いてみました。
ここまで本文 後はおまけ
「切れ字」に関しては捨て去れと言う議論もあります。口語俳句を徹底するためですが。
定形俳句の成り立ちが連歌の地発句の独立という性格があるため、独立した短詩表現を一七文字で維持するため、詠嘆のための終助詞である「かな」などが切れ字として使われてざるを得なかった。それで慣用的に「切れ字」として使われてきたのだと思います。いわば、切れ字は定形俳句側の俳句の俳句らしさ維持のための小道具のひとつなので、文語であるという理由だけで不調和とは言えないと思います。前回、それだけを理由には不調和という添削は出来ないはずである事を述べたに過ぎません。まぁ他の理由も僕の頭では理解できませんけど。
あと歴史的仮名遣いについて
楽しく勉強させていただきました。勉強不足でしたので。
万葉仮名は表音を意識したものだったそうですが、藤原定家や僧渓沖は表記方法として仮名遣いを考えていたそうで、しかも歴史的仮名遣いは表記法としては正字扱いする人がいるそうです。無知だったのでびっくりです。仮名っていうのは表音的なものだとばかりおもっていました。勉強不足でした。
平安時代末期には仮名遣いに混乱があるとして定家が仮名表記は音韻似合わせて万葉仮名や入手可能な書物の仮名遣いについての比較及び中国の音韻書と定家時代の京都の発音と比較して決めていたようです。十分表記法と表音文字との関係は意識していなかったようです
渓沖は定家の仮名遣いのおかしいところを発見し、(オのアクセントの問題などで) 万葉集を基準にし、奈良時代の書物や平安時代の書物の用例を参考にして統一的な表記法としての仮名遣いを作り上げたようです。もちろん発音だけではなく、表記法としての仮名使いですから、時代が変わっても使えることを目指していたようです。そうは言っても渓沖の時代でも仮名表記は音韻に合わせようとしており、そのほか漢字との関係での仮名表記を定めています(表意主義を入れているといえましょうか)。
元禄時代から一般の人はそんなことは気にしていませんから実用文書については当字や適当な仮名遣いのオンパレードです。
?現状の音韻との不一致であること、?地域的な音韻の差も採取していないので、厳密な意味では統一ある仮名遣いは知識階級を除けば。困難だったようです。
結局歴史的仮名遣いが国民に行き渡ったのは 日本万歳 の明治時代からです。
江戸時代には既に言文一致の萌芽のみられた文書は存在しており、一時代古くなりました。漱石などが変えて行ったのはご案内のとおりです。
結局、音韻を原則としてその例外としてのかな漢字交じり文の読み方を付加した表記方法として、歴史的仮名遣いが存在します(結局表意主義を付加したもの)。現代仮名遣いも制定当初、極端な表音中心ですが、結局比率はともかく似たような構造になっているようです。
別に歴史的仮名遣いを本気で使おうとか、そのようなことはワープロの発達した今、勝手で、私はそんなこと問題にしていません。どちらかの仮名遣いをは支持しようなどとはこれっぽっちも思っていないので、ただ慣れている方を使うだけです。
私の文章で影響を受ける人も無く日本語の混乱にもなりませんし、一方意味が十分通じるということではデタラメだとも思っていません。
勉強させていただいたことを感謝します。私には歴史的仮名遣いも現代仮名遣いも結局同じ土俵のうえでの程度の差でしか思えないので、これ以上考える必要も無く、今回の議論で問題にしよう(仮名遣いの問題は政治的な臭いがします)とも思っていません。
※定家の仮名遣いも一部和歌では使用しているようです。
適当に勉強する機会が出来て楽しいです。学んだことはすぐ忘れると思いますが(笑)。
ふだん我々が考えもしないことを議論しているのでことや形式的なことだけ延々と議論できる国語学者及び小説家はエラいなぁと思いました。結局、歴史的仮名遣い肯定論者も、古典の理解などの外具体的メリットの提示はないですね。非常に急いで読んだ
ものですからよく分からない部分もありますが。
ありがとうございました。
「正しい日本語」に関しては 感性が低い のでは無く 0 です(笑)。全く別の視点で書いてます。
失礼しました。