見ても見えんでもナンニモナイ 〜まどみちお「傑作」(『うふふ詩集』より)〜/白井明大
石川和広さんのコメント
おっしゃりたいことはわかるように思うのです。

しかし屁理屈のようですが、知的にあるいは上手にはことばにできなくても、その詩が自分に入ってきた、あるいは自分にはまどさんならまどさんの何かが確かに届いたということはあるように思うのです。
食い物ならはっきりしてます。どんな調味料か、作り方は説明できないかもしれない。でも自分がうまいと感じた確かさは残りますね。
あるいは解説はできないが、ある野球選手のプレイがすごいとわかる。
この確かさは揺るがない。もちろん持つ意味も、その時には定かではないこともあり、また後でそんなによかったかなと思い直すこともある。

けれどなんだかしらんが自分にとってはよかったということのゆるぎなさがある。
私は白井さんの話は丁寧だと思う。しかし私とわかる・わからないの使い方はちがうのかもしれない。
白井さんのわかる・わからないは知的な方向に傾いている。
しかし感動とかつまんないとかはもっと全体的なもんじゃないかな。
知的なものはつまりわかる・わからないのことは大切ではないといいたいばかりに、感動とかおいしいとかそういう確かさを何かあやふやな方向にずらしているんじゃないかなと。
芸術だって飯だってスポーツだって、身体をもった人間が感じるので、深いレベルでは、この作品が好き、これはまずいと判断しているのではないか。
しかしそれが何なのかたしかめようとして書いたり考える。だから白井さんのいうことはなんとなくアベコベなんでないかなと。


---2008/11/21 11:00追記---
ありがとうございます。自分も触発されて小文をものしてみました。なんとなく原点というかそこを強調したかったのです。白井さんに伝わってうれしかったです。