何を書くか。どう書くか。そしてその先で、何を書くか。/いとう
タマムシさんのコメント
もちろん完全な賛同票ではありませんし、そもそも賛同を得るために書かれたものではないでしょうからね。個人的な見解を読み手に考えの材料として提供してくれていることについて、良いと思いました。
詩の変遷を時系列的に追いかけていったら、確かにどれだけ時間があっても足りないです。また、それぞれの時代において分化しているし、その波及の仕方は均一ではないし、だから好みのような感覚は完全には捨て切れない。(つまり網羅すること自体は重要ではない)そう考えています。
だからって、詩を書くことに対する安易さを容認したくもないので、その過程として、その実例(実体験)として、ある意味犠牲を覚悟して書かれたものだと読み取れました。
それは、わたし自身も感じるところがあるので、こうして蛇足とも思えるコメントを寄せています。

では肝心なことは何なのか。
そこに触れることは難しいです。ですから、わたしもわたし自身を実例として、さらに材料を提供しようと思います。(便乗ってことですね)大差はありません。違う点だけを挙げるとするなら、感性を理解しようとする努力でしょうか。現代というくくりにおいても年代的な差はあります。感じ方の違いには、単純に「驚き」ます。そして、そのことには「謙虚」であろうと心掛けます。それをふまえた上で、さらに自分を客観的に読むことが、いまのわたしのアプローチの方法です。

なんて、参考にもならないことかもしれませんが、便乗させていただきました。(いとうさんすみません)
本当のところ、わたしは個人的には、才能を羨ましく思います。そして、それが自分に無いことを自覚した時点で、わたしは探求の道を選ばざるをえなかったわけです。ですから、自らの感覚に疑念を持たない方には、余計無益な文章でしょうから読み流してください。(というか、いいかげん長いですね。重ねて陳謝いたします)