fellowships/あすくれかおす白井明大さんのコメント
もしかしたらじぶんも感じているのかもしれないけれどもことばにまだされていない、そうした感覚をすっとことばで開いていらして、詩にとってたいせつなことが、あすくれかおすさんの作品でなされているのを感じました。目をみはりました。
作品すべてを拝読して、その思いが確かになりました。
「fellowships」の
切り取り線に沿って歩く
内側よ 自分のものになれと思って
の「内側よ 自分のものになれと思って」にはっとさせられました。
以後、三連、五連の比喩にも、気持ちを持っていかれました。
最終連の「咲かないように」と「閃いて」の対比が鮮烈で、この鮮烈さと、「気をつけていたのに」や「もういってしまった」のフラットさとが生み出しているバランスが、あすくれかおすさんの詩のありよう(読んでいて心地のよいことばの表れ方)を象徴的に表しているのかもしれません。
四連のみ、わずかに比喩にものたりなさがありつまずいたのですが、反面、この四連でクッとことばのテンションが他より上がる、そうした詩の流れのつくりかたを他の詩でもなさっていらしたので、いちがいに、この連の比喩についての私見をたよりに否定するものではありません。もしかしたらですが「誰かに火を/とも」すことで「蝋になる」三連や、「夜の波だってものすごくまっ白」と視線を向ける五連のほうに、より、あすくれかおすさん独自のまなざしが感じられるからかもしれません。
いずれにしましても「クマメモ2」にたちあらわれる、不思議な世界との向き合いかたや、「大切な光」で正確になぞろうとするような命への手つき、散文に記されていくときの確かなことばの進み方など、はっとさせられることの多かった御作品でした。