魚は脳内で泳ぎ、肉体は泳げないのでdance! と叫んでみる 『 情熱の国スペイン 』/狩心狩心さんのコメント
リハビリ中。
---2008/08/05 17:00追記---
詩は、物語ではない。
詩は、小話ではない。
詩は、日記ではない。
詩は、描写ではない。
詩は、言葉ではない。
詩は、会話ではない。
詩は、独白ではない。
詩は、健康ではない。
詩は、宗教に近い。
詩は、祈りに近い。
詩は、ビーム兵器に近い。
詩は、真空空間である。
詩は、説明文の代用ではない。
詩は、消費した生命の記録であるが、
それよりも早く先を走っている、前方にも後方にも伸びて
四方八方にも伸びて、
つまり一つの惑星が「ビッグ・バン」した時のように
永遠に無限に伸び続ける、ある種の線状的エネルギーが形成する空間の変化を見て
勝手に人類が夢見た幻想的な時間。
ただし時間は進行しない、方向性のない時間。
方向性があったとしても、どうせゴールラインは人類の思考速度より速い速度で遠ざかる。
詩は、体積のない、たった一つの点。
詩は、存在であるが、何者にも許されず、常に抑圧されている。
だからこそ、詩の中で言葉は自由に羽ばたこうとする、
だから人間は、詩の中に情緒や風景を感じるだろうし、
いやでも、詩というものは人間固有の感覚ではなく、
すべての存在たちが所有している「核」であるから、。
ある種、遺伝子に近い。
遺伝子は暗号コードに近い。
もし科学がそういう謎をすべて解き明かしたとしても、詩が何であるか理解できないだろう。
なぜ宇宙が存在しているのかという科学哲学的な意識と詩は密接であるが、
要するに、詩は「そのもの」であるから、
それを何らかの側面からでしか認識できない人類の感覚機能や思考は、
永遠に詩の存在を捉える事はできないだろう。
詩は、常に何かの代用で表現されるから、
詩自体が、詩的に隠喩される、
という矛盾を持っており、
話が長くなるので今日はこれで終わりにする。
---2008/08/11 11:03追記---
情熱が私に上陸する 社会を処刑して
---2008/09/25 13:18追記---