別れの一日(ひとひ)/伊那 果
伊那 果さんのコメント
石瀬さん、ルナクさん、ありがとうございます。
孤蓬さん、細かく読んでいただいてありがとうございます。
「とどまる理由が・・」は単なる誤植なので、直しておきました。

前回に引き続き、現代語と文語のご指摘なので、今回はあえて反論。
私はこのくらいの併用は、違和感はないように思います。例えば、「きみが歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えむとする」(寺山修司)「指からめあふとき風の谷は見ゆ ひざのちからを抜いてごらんよ」(大辻隆弘)「なかなかに親しめぬ男傘にいてわが右腕は濡れ初むるなり」(梅内美華子)というような詠み方をしている歌もかなりあります。完全に口語で読んでいると歌人というと、俵万智が真っ先に思い浮かびますが、私はあのスタイルは、すべての歌に使うと自分には軽すぎるような気がしています。
それから、私は逆に字余りに非常に違和感があり、意識的にやるとき以外は避けたいという気がしています。「5・7・7」のリズムのうち、「7」は多少崩してもうまく流れると思いますが(「5・8・8」といった具合に)「5」を崩すとかなり詰まる感じがするので、言葉の意味が崩れないのであれば、文法を多少無視するのもありかな、と思っています。
生意気な意見ですみません(^^;;)
---2008/02/29 13:55追記---
孤蓬さんは相当、文法に厳密な方なのですね。
私はそこまで文語、口語と分類する必要性、というよりそこまでかっちりと分けることなど可能なのかな、とむしろ疑問です。
そういうのを嫌う方々が非常に多いことは認識していますし、できるだけきれいな日本語で、という気持ちはもちろんありますが、言葉というのは変化をしていくもの。
短歌はやはり「歌」だし、同時代性も大事な気がします。
と、いろいろいっていますが、以前もいったとおりここに載せている歌は本当にはじめのころに作った歌ばかりで、私も「変だなー」と思うところがたくさんあります。
特に意識してなかったのですが、最近作っている歌はやっぱり、口語になっていますね。ここには当分、古い歌だけを載せるつもりです。こなれていませんが、すみません。