現代社会と僕と/フクロネヅミ宮川さんのコメント
あたりまえなものもあたりまえじゃないものも
同じように力をもって同じように在るんじゃないかと思います。
自分の中にあるあたりまえはあくまで主観的なあたりまえでしかないし、
全体的な普遍的な客観的なあたりまえは、
たとえ自分では把握できてると思っても実は
把握できっこないものなんじゃないかと思う。
そう思っといた方が納得できる気がします。
世の中について。
いろいろあって世の中や自分に対して、
嫌悪を感じたり「これでいいのか」と思うこと、
私もありますけど、
結局世の中ってやつは懐が深いというか広いというか。
ある一面で、
世の中にとって
良くないなんてことはなくて
世の中は大概のことを受け入れてしまう。
「いいのか?」ということについて
苦しむのは自分や自分によく似た人だけ。
世の中は痛くもかゆくもない。
「いいのか?」なんてことは大概、
人間一人にとっては充分に長い人類の歴史のなかに
現れては消える世相のひとつ。一種。の一片。
でしかない。のかも。
だから、これでいいのか、と思って
正しい(と自分が思う)ことを
努めてしようとするなら
それは自分のためにしているということ。
けして世の中のため、誰かのためだなんて思わないこと。
と言い聞かせる。自分に。。
そして、そう、自分は当たりまえと思ってやっていることが
他の人にとっては嫌悪の対象だったり
非常識と思われることだったりする。
それも、それであたりまえなのかもしれない。世の中にとっては。
非常識と思われたらやだな〜、と思う自分がいるだけで。
嫌なのは自分だけで。
そして私は
世の中の懐の広さに甘えて
このように長くて整理されてないコメントを
あまつさえ現代詩フォーラムなんてところで
書き込むなんて空気読まないことをしてしまったりもする。
してしまえる。
いや、フクロさん(やもしかしたら他の現フォご覧の方々)の時間(と面積) を頂いた点では、ゆるしてね。
というか読んでて
ハゲシイ中年の方々に囲まれてよくぞまっすぐ育ってくれた!
と思いました。(一番云いたいのはこの3行だけ)
---2007/09/15 19:43追記---
---2007/09/15 19:49追記---