コールタールの
  夕ぐれは さびしい匂い
  潮風のながれを瞳にうつしながら
  ちいさな犬を飼いたいと思っているあなただ
  窓に背をむけて
  なにかを書きとめていた
  あなたに小さく呼びかけた
  微かな灯りのともる夏、
  砂のまじったわたしの思いは
  野良猫のとなりで寝ていた
  わたしの心が
  くらげのかたちになったら
  会いにきてくれますか



  手のひらに月をすくい
  くちびるを歌でみたし
  むかえにきてくれますか
  わたしの心 ....
  猿は黙って登ってくるのだ
  かれらにしかみえないおまえの
  躯に穿たれた釘を伝っておまえの頂まで
  それでも数匹は諦めて引き返すし
  また数匹は手を滑らせて落ちてしまうし
 ....
  きみの手についていた指は
  たしかにきみの手についてはいたが
  なんだかきみのものじゃないみたいに
  肩におちた長い髪から 夕暮れの光をとりわけていた
  わかることも わか ....
  部屋には、いつもあなたと
  夏草のにおいがあふれていた
  なにもきこえないほど私たちは笑っていた
  開いていたドアの四角いところで
  陽の光が 涙をこらえていた
  その夏は、
  白い壁に囲まれていた
  ただ、陽射しだけがまぶしく笑い
  ただ、樹々だけが言葉を歌にして
  いつの日も きいていた その壁は
  あなたの声のようにきこえる ....
  あなたの意識の薄明のなかで
  一匹のアルマジロがその躯を{ルビ捩=よじ}った
  川辺には大小様々の板が砂を冠りねむっている
  樹々に秘められた古くからの熱と
  物語の奮えを ....
  破れた袋から
  {ルビ薄暮=はくぼ}がこぼれていく
  それは一度として充ちたことがない
  夕風を控えめな紅に染めはするが
  あのときあなたが入組んだ顔で
  言いかけたこ ....
  ひび割れた手がひとつ
  水の底からあなたを呼ぶ
  あなたの耳は砂の塊ではない
  あなたの魂は揺らめく焔よりも眩しい
  それをわたしたちはよく知っている
  白熱灯が燃えている
  黴の浮いたタイルたちが
  あくまで事務的に焔を点す
  夜は、十分に暗く
  わたしは十分にわたしだ
  少しの隙間も許さないほどに
  ここ数日、
  缶詰という語がシャツにへばりついている
  剥がそうとしても洗い落とそうとしても出来ず
  雨の多い日々を缶詰という語とともに過ごしている
  あなたの住む町では梅 ....
  生きている老人と
  死んでいる老人のあいだに
  いくつかの指がならんでいる
  老若男女あらゆる者から{ルビ捥=も}がれてきた
  それらはまるで枕木のようなのだ ....
  テーブルの隅に重ねた手紙も
  椅子の背に掛けたタオルも
  乱されてはいなかったけれど
  さっきまでここに猿がいたことはわかった
  茶と金の間のような色合いの体毛は
  一 ....
  ともあれ私のなかに
  これだけの鼠がいるのだから
  とうぜんあなたのなかにも棲んでいるはず
  血液の湿り気を好み{ルビ腑=はらわた}の肉を噛みつつ
  身体の{ルビ常夜=とこ ....
  磨かれた床に映りこむ
  月が清潔すぎるからと言って
  あなたはスリッパを履いたのだ
  けれどもいつもと変わらぬそぶりで
  私を抱きしめてくれますか
  どうか抱きしめてい ....
  葉書に書かれるまでは
  それらをたしかに覚えていた
  あなたを抱きしめた秋の夜更け
  蹴って散らした枯れ葉の響き



  葉書に書かれるまでは
  私たちは本当に私 ....
  剥かれた豆の
  殆どは椀に収まったが
  僅かながら溢れてしまう
  階下から聞こえてくる物音は
  すべて嘘だと私にはわかったが
  目の前で語られていたならどうだろう

 ....
  一行の文を
  今しがた、私は読み終えた
  それでもテーブルについているのは
  私のほかに誰もいない、そして
  私はこのまま待つのだろう
  青空のせまいところに
  詰 ....
  四角い夢をみている
  濁った魚が次からつぎへと
  氷上の穴から吹き出してくる
  マスケット、ビリヤード
  バグダッド、カスタード
  カスタネット、レニングラード
   ....
  桜の葉を胸に抱いて
  墨色の風は流れていく
  女に似た雨の匂いが 岩間にひそむ苔を洗う
  うつむくひとの唇から 知らぬ間にすべり落ちた
  わたしの名をだれが忘れずにいられる ....
  耳のなかから歯が{ルビ一片=ひとかけ}こぼれてきた
  それを拾い洗面所に行き鏡で自分の口のなかを見ると
  欠けている歯はひとつもなかった
  歯は依然わたしの手のなかにあった
 ....
  牛乳の空瓶が 端に
  置かれたベンチのもうひとつの端に
  腰掛けていた女は ついさっき
  どこかへ出かけてしまった
  透明な管のなかを、只々
  往ったり来たりしているみ ....
  華やかな街が
  あなたの眼のなかで壊れていく
  そのなかでだけ それは 死なされていく
  小さく硬いなにかが振り回されている
  大きく脆いなにかが燃やされている
  咲き ....
  席はあったが
  わたしは座らなかった
  銀いろの月によく似た
  さみしい言葉だけ胸の奥に置いて
  けれども誰にむけたものかわからず
  きまり悪い笑みをうかべて わたしは ....
  この径は 小学生の頃歩いた径だ
  カモシカの出る薄暗い通りをどういうわけか私は再訪する
  時間をかけて少しずつ完成に近づいていく 一匹の軟体動物
  私の躯で存在を大きくしていく ....
  右へ行ったカワウソは
  けさ、左から帰ってきた
  蘭の花が 腕の真ん中あたりで咲いていて
  よく考えたら ゆうべきみがそこを強く吸ったのだった
  部屋のあちこちに敷き詰めら ....
  門のむこうから
  犬らしき影が近づいてくる
  私は 昨夜みた夢のなかで書いた
  一篇の詩を 門のこちら側に置いて待っているのだが
  犬らしき影は 近づいてくるだけで 決して ....
  外国語で書かれた小説と 掃除の途中で放り出された電動ひげ剃り
  その二つだけが あなたの部屋の丸テーブルに置かれていた
  それらが如何なる数式を形づくっているのか 見定めようと 私 ....
  午後十一時をまわったころ
  庭にはいってきた男は 岩に座って黙っていた
  裸に剥かれた冬の枯れ樹の 枝のひとつひとつが
  別々の動きをしていた それで私は
  かれらは男の思 ....
草野春心(1124)
タイトル カテゴリ Point 日付
コールタールの夕ぐれ自由詩314/7/13 20:57
野良猫自由詩4*14/7/13 10:57
わたしはくらげ自由詩814/7/12 0:17
登る[group]自由詩514/6/29 23:01
よその猫自由詩514/6/29 19:53
ドアのところ自由詩414/6/29 18:54
あなたの歌自由詩314/6/28 21:12
マトラカ自由詩314/6/22 22:10
破れた袋自由詩214/6/22 20:18
ひび割れた手自由詩214/6/22 18:47
白熱灯[group]自由詩314/6/14 21:44
言葉と雨自由詩114/6/14 21:21
枕木[group]自由詩314/6/11 22:45
猿のいた部屋自由詩614/6/9 0:23
鼠たちの声[group]自由詩4*14/6/8 22:35
スリッパ[group]自由詩414/6/8 21:15
葉書自由詩214/6/7 20:27
剥かれた豆[group]自由詩314/6/7 20:06
待つ自由詩314/6/7 19:51
四角い夢自由詩414/6/3 22:49
うつろい自由詩714/6/1 18:13
迷いこんだ歯自由詩914/5/25 23:22
もうひとつの端自由詩214/5/25 20:09
壊れる自由詩314/5/25 13:45
[group]自由詩1014/5/21 23:20
二十七歳自由詩214/5/21 22:49
カワウソ[group]自由詩414/5/21 11:40
門のむこうから自由詩214/5/18 20:01
数式自由詩314/5/11 12:46
庭にはいってきた男自由詩114/5/6 17:11

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