GENDAISHI forum
http://po-m.com/forum/
ja
Poems list
2022-11-23T11:21:33+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374259
わたしに触れている
触れているのにその手は
遠いままで
けれどその遠い手は
わたしに触れている
遠いままで
たしかに しずかに
遠い手の持ち主は
知らないだろう
遠い手として
いまわたしに触れていること
けれどそれでも
わたしに触れているこの手は
その遠さこそ
かぎりない慈しみで
しずかに たしかに
伝わる遠い音頭は
不思議ななつかしさを
湛えて
思わせる
いつかわたしも遠い手として
誰かに触れる/触れた
ことがあると ]]>
自由詩
2022-11-23T11:21:24+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374258
参加者は少なく神職とあわせて数十名であった
受付で名前を言うと
今度理事をお願いできませんか
と言われた
案の定と思いながら、丁重にお断りした
初めての人は
役員にされることが多いのだ
断れない人はさらにまた役員を重ねることになる
一番の議題は「タイマ(大麻)」の販売であった
タイマを氏子の人たちに買ってもらって
その代金を神社庁へ納めるようになっているが
タイマが売れ残って赤字になっているということであった
タイマという名前もよくないのではないという意見もあった
また、地域の高齢化に伴い神社の維持管理が難しくなってきている
という話も出た
会議の終わりに日当千円と弁当とお茶が配られた
赤字ならお茶だけでいいのではないかと思ったが
もらって帰った
後日、地域の神職から隣の神社を吸収合併できないかという話があったが
うちだけで手一杯です、と反対した ]]>
自由詩
2022-11-23T11:02:08+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374257
初冬の冷たい雨
アスファルトは滑らかに濡れ輝き
窪みのあちこちの水溜まり、
雨滴は落ちる、
微かな銀輪の照り輝き
人は来て、人は去る
銀輪を踏み
雨滴に肩を濡らし
人は去り、人は来る
永久の営み、無常の時
今日は雨、
初冬の冷たい雨
冷気に肌を晒し
わたしは肉、意識は冴えざえ
歩いていく進んでいく
漆黒に濡れ輝くアスファルト、踏みしめ
ひたむきにひたすら、
歩いていく進んでいく ]]>
自由詩
2022-11-23T10:35:50+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374256
今朝は四時のアラーム、スヌーズの音をなんども止めては五時まで眠りに就いていた。
眠りによる快楽は伴わなかった。夢は見なかったか、覚えていない。まるで義務のような睡眠だったかもしれない、と思い、体を起こしたら体が少し重たく感じた。
小雨がふっていた。その小雨の中、原ン付を飛ばし、少し遠くのコンビニまで煙草を買いに出た。行くとき、妻にレモンティーをせがまれて二百円渡された。
コンビニの店員は外国人の方だった。中東の人のように思われたが、わからない。煙草の銘柄にふられた番号を伝えたのだが、この外国人の方はなぜか、とても小さな声で話す。聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声で話す。日本語に自信がないのかな、と思ったが、じっと聞けばとても流暢な日本語だ。シャイな性格なのかな、と考えつつ煙草とレモンティーを受け取り、コンビニを出た。
また雨にふられながら原ン付で家に帰った。妻はあかぎれがひどい手をしているのだが、その傷の一つを私がつけたものだろう、と妻に責められた。妻には被害妄想のようなものがあってこれもその例であるが、私は静かにその傷にバンドエイドを貼った。妻は弱っているようだった。ベッドに眠らせるが、安定して休息することができない。なんども私に寄ってきて、スマートフォンに書いた文章を見せたり、話しかけたりしてくるので、私は書斎に入り、妻をシャットアウトして久々に自由詩を書いた。雨に関する詩であった。
聞けば、妻は深夜十二時に起きていたそうで、閉口してしまった。その際に仕込んでくれていたフレンチトーストが今日の朝食だった。美味しかったです。頂きました。
食事が終わると、また妻のペースであった。私はじぶんが吸った、煙草の本数を気にしている。私は脳病で感情が平坦化しているので、なかなか、じぶんの気持ちの整理が難しく、また怒るということができない。それでも苛々はするもので、じぶんの吸った煙草の本数が多いと、要、警戒、ということになる。ひとりの時間を持たなければ精神力が低下する。
今、二度目のシャットアウトで書斎に籠り、この今朝の日記、雑記を書いている。正直、書いていて、浄化作用は起こらなかった。段々、妻のことが心配になってきた。読みたい本がある。書きたい自由律俳句(随句)がある。しかしそれよりも生活である。
そして妻は、生活の象徴になりつつある。
雨はふりつづいている。祝日で休みなのに雨となると気分が下がる。
妻は歌唱を趣味としている、否、趣味の範疇を越えている。作詞作曲もするが、今までで三百は曲を創ったそうである。二階、妻が歌っている。私は妻に向かいあうべきだ。
妻と暮らして殆どパソコンを通じて音楽を聞かなくなった。気にかけなくても、妻が歌を聞かせてくれるので。
自由律俳句に関して、何か散文を書きたい、書かなければいけない、と考えている。しかしまだ時期ではないことを意にとめて、筆を置く。
]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-23T08:59:52+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374255
わずか一杯の水を飲むために
懸命に生きなくてはいけない
ひとたちがいると聴く
ミノマワリニハ、イナイ
流れる音楽にその身を委ねて
生きるための最後の快楽を
求めたのがブルースだと聴く
イマモドコカデ、ウタワレテイルダロウ
ひとはひとりっきりで
産まれられないけれど
ひとりでしか死ねないという
永遠不変の真実
たとえば心中にしたって
ふたりはべつべつに死んでゆくだけ
ただひとことだけ
強がりを云っていいのなら
僕は君と
えいえんの愛を
築けるのだと信じている
どこに、
根拠があるのかなんて知らないし
なにが、
こんなに僕を高揚させるのかだけを
知っている
おなじアニメみて
おそろいの服着て
プライバシーなんてどこ吹く風と
ふたり溶け合うようにひとつになって
《ぜったい》に正しいことなんて
この世界にはないんだけれど
それは
ただの事実だろうけど
《ぜったい》よりも
正しい愛がこの世界にはあるって
光り輝く《真実》も
どこかにはあるって
ねぇ、
僕たちは
知っている。
価値観の違いだとか
昔の恋の話だとか
そんなもの
いっさい関係なく
たとえば真夜中とつぜん飛び起きて
『好きだァ〜ッ!』って
叫び出したりするくらいの
愛、
って
僕たちふたりだけしか
知らないことみたいだよ?
そして、けれど、世界は
ふたりきりで
生きてんじゃないから
きっとイマモ吸ってる
この空気のなかにも
哀しいくらいの
詩やうたが
とけこんでいるんだよ
僕たちは
それをできるだけ
みんなに嫌がられないように
伝えなければ
いけないんだね、
そのために
息させてもらっているんだね、
わずか一杯の水を飲むために
懸命に生きなくてはいけない
ひとたちがいると聴く
ミノマワリニハ、イナイ
流れ落ちる涙の音にその身を委ねて
生き延びるための最高の快楽を
求めたのがブルースだと聴く
イマモドコカデ、ウタワレテイルダロウ ]]>
自由詩
2022-11-23T07:02:28+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374254
義務のような睡眠は好まない・・・
伝える為に
喉をひらく為に
けさも、カフェオレを飲む
在るものと
無いものがあって
どちらも、在るものの中に
蔵されている
どんなに座り
目をつぶって考えても
最後は存在の世界にかえらないとならない
雨粒はふるものだ
当たり前だ
そこにパルスは無い
しかし雨がふらされていると
散らされているとしたら
私は
あなたは
天に誰を見るだろう?
あゝ 言い過ぎた 黙れ 黙れ
いいや
語ろう
常見られているとして──何者に?
反省は必要ないんだ
だって見られているから
のちのち過ちを忘れてもらう
必要もない
しかしくりかえす──何者に?
自由になっても
それが分からないんだ 僕には ]]>
自由詩
2022-11-23T06:09:18+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374253
夜風がバターの馨りがする Y / N
{ルビ川緣=かわべり}に沿って一臺の飮料水の自動販賣機が
「ウイーン」と云い{ルビ乍=なが}ら、低空飛行している。
そう、わたしは愛車、Tous les jours號でオーストリア、眞夜中のウイーンに辿り着いたのだ。
自販機が老獪な猫の樣に近づいてきた。なんとなくレモンティーを買った。百圓である。安い。來てよかった、ウイーン。(愛してる、多分)
喉が潤うと、水氣を奪うようなものが食べたくなったので、クロワッサンを夜空から取り外して食べた。
{引用=「外側はパリパリで中はフワフワモッチリでね、いやー美味かったっすよ」(談)}
クロワッサンを食べてしまったのでウイーンは暗黑の都になると心配したが、見上げると黑い天空の中、バナナがシャンデリアのように耀いている。
腦中に、「スライスしたバナナを碎いたチーズクラッカーと共にプレーンヨーグルトにぶち込んで喰え」と云う思念が侵入してきた。わたしはそうするだろう。わたしはそうせざるをえないだろう。そうするのがわたしだろう。わたしなら當然だろう。兎に角・・・、だろう。この邊でやめておく。
わたしは服を脫ぎ籠に放り込むと、汗のガウンを纏うまで、サドルの上の尻が滑るまで、風の中を驅け拔けた。
]]>
自由詩
2022-11-23T03:03:05+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374252
古い旋律が、折り重なる
小さな丘の上
ここは、見晴らしが良いから、と
きみはベンチに腰掛けて
編み物を始めようとする
小さな春が、置き忘れたような
小さな陽だまりの中で
揺れている
ぼくの胸は、いつも
開け放しにしてあって
奥には翡翠の空が広がっている
夏に生まれたきみは寒がりで
暖かい会話を並べてゆく
ものまね鳥が見ているよ
あの子
ゼンマイ仕掛けの小鳥だから
時折、不安定なアリアを唄うけれど
それはいつかユニゾンになり
きみの手のひらから
羽ばたく詩篇となるだろう
春に生まれたぼくは
いつも、夏の背中を見ていたよ
雨垂れの和音
川面に遊ぶ、光の子
届きそうで届かない
ラムネ瓶の底から見上げる
夏の背、を
ここは見晴らしが良いね
小さな丘の、小さな営み
いちばん小さな星を見つけるための
ふさわしい会話と
小さな花を、二つ飾ろう
花の名まえは知らなくていい ]]>
自由詩
2022-11-22T23:31:11+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374251
星の集まる公園に
住む猫がいる
髭は長く
耳は大きく
尻尾は細くて鳴き声は小さい
彼女だった彼を
好きな人間がたくさんいた
星はいつも
彼の瞳に映るのを喜び
赤や青の宝石に擬態した
歌はない街だった
悲鳴が聞こえると誰か死んだ
猫は目を細めて
尻尾を体に巻いた
雲が好きな猫は
時々恋をした
雲が自分に恋するか
考えない位に夢中で眺めた
光は地上にあり
風は恋人を連れ去った
猫は与えられた肉を食んで
植木の傍で眠る
星が帰る頃になると
あくびをして
世界が一番良く見渡せる場所まで
坂を上がっていった ]]>
自由詩
2022-11-22T21:48:27+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374250
すき間までわがままな歯列
油泡がじっくり押しよせる
風と共に口中を
充たしたスパイスが爽やかな風
今だ風と契る
それだろうね、たぶん
今朝はカレーだったもの
王宮は落ちる
硝子に触れた時のしおらしさは
ごめんなさいって流れてゆく自生
なみだでオールを
ひからせたいのです
公園の漏斗孔
って、独逸趣味なアニメーターが
立派な椅子でつぶやく
ゆんべもカリーだもん
あまいを咬み砕くしずかと
東ハトをふくらませるしずかを
残り物と重ねあわせ
あなたに近づくのだ
空は泡だらけ
何もかも背景
ホントより明日
木でいっぱいの山が雪に
ひとつぶ触れる一瞬だけが知りたい
それはライスカレー
もう彼にも優しくされたい
笑っちゃうくらい食んでいいよ
どうしようもなく硬いきのこ添えて
鍋の底がかなしく覗く
支離滅裂を飲みほす
だって星座も
カレーなのだから ]]>
自由詩
2022-11-22T21:06:15+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374249
はい、ファゴットキング牧師、
と、真っ先に手を上げたのは
大庭藤子マザー・テレサさんだった。
高齢者で西葛西のマンションに一人住まいの女性です。
家族にも教会に行っていることなど
話したことが無い内緒の行為だった。
熱と悪霊に取り憑かれたように
顔から風呂上がりの蒸気のような物が上がって見える。
高齢の顔に皺が彫られた様に深い。
相当熱にうなされているのが見て取れる。
嘘つきは三文の得と申します。
私の話しを聞くとみんなが得します。
私のマンションは四千六百万円で購入しました。
今売りに出せば駅から
徒歩六,七分の便利な立地と距離ですから
元の値段か、四千万円台で売却するのも固いでしょう。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-22T20:13:51+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374248
床にも壁にも窓に天井に赤い獣の舌のような炎が取り囲んでいます。
まさに今主のくすぐったいチョロチョロとした精零が下ったのです。
褒め殺しにも笑い殺しにも屈せず宮沢賢治さんは負けず
お医者様による使徒伝説の再現です。
そう言い終わるとキング牧師の妻テレサ・テンは恍惚の笑顔と
安らぎに満ちた表情でそのまま床上で満足そうに深い眠りについた。
ステパノスの最後も斯くの如くか。
キング牧師は満を持して早速得意の祈祷を始めた。
主よ私達に聖零を与えてくれてありがとうございます。
我らはどの様にこのお返しをすればいいか、どうか答えを導いて下さい。
みなさん心のこもった犠牲の生け贄は何ですか。準備と心構えは出来ていますか。
家内はもう迫真の演技を終えて
満足した夢遊病者になって天国にいます。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-22T20:12:26+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374247
神はオイルです。
オイル イズ ゴッド
シリコンオイル、菜種油、化石燃料の代表石油、人の脂汗など。
これ以外の役割は煩わしい。
向日葵の種、柿の種を食べて過ごす、酒にはおつまみ主義、これが理想です。
人類との約束事は揉めごとで始まり、きせきとは、人工衛星の軌道、
月の軌道です。
救い主は起源後 2024人生まれ、紀元前には4000人が出現した。
毎年お盆と正月がくるに等しい。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-22T20:10:15+09:00
-
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374246
いちにち汗して何した、これで宜しい
悩み、つかれも風呂にてながす
中也の伝記読み夜は更けるぞな
妻の卵料理で腹いっぱい
テレヴィを点けず過ごす夫婦で
欠かさず三錠、茶で服す
よく起きている妻で安心している
眠そうな妻の横顔が好きだ
ピカピカの居間は妻が掃除してくれたから
妻のあかぎれにバンドエイド貼る
俳句にて十四才を今も続けている
がりがりに痩せてた頃よ冬の雲
ふりかえりつつ新しい日記帳ひらく
自由律でも俳句下手だと伝うべし
自由詩は余技、俳句の道をまっすぐに ]]>
俳句
2022-11-22T19:35:08+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374245
静謐なはずのこの地が
今は揺らぎ
千の耳鳴りに
ざわめきたち
やがて夜闇が侵食する、
切断されたこの地を
それが、襲う
黄色い犬、徘徊し
黄色い犬、群れを成し
制御逸脱する、不安恐怖
混沌の渦、名を剥奪する
思考を喪失し浮き立つ知覚、
破壊される世界把持
物という物、剥き出され
脈打つ肉、宙に裂け
わたしは
わたしだ、
わたしは
わたしだ!
叫んでいる 誰かが 聳える白壁に 叫んでいる
遠くカラスが去っていく
均衡を保ったこの地が
今は揺らぎ
千の耳鳴りに
虚脱し
深い森にさ迷って
深い闇に彷徨って ]]>
自由詩
2022-11-22T19:17:12+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374244
人の話し声が聞こえたりすると
未納の料金を取り立てに来たんじゃないかとか
悪口を言われているんじゃないかと
疑心暗鬼に陥って不安になるので
常に音楽を流して
人の声や家の近くの物音を遮っている
ソニーの音楽ソフトを使って
音楽を流していたけど
詩作するとき歌詞のある歌が流れてくると
邪魔になるので
最近はYouTubeで
クラシックの名曲集を選んで
流していた。だけど
俺の聞き間違いなのかも知れないけど
交響楽団がちゃんと演奏したものではなく
シンセサイザーを使ったとしか
思えないものが多くて
結局、ピアノソロに落ち着いていた
でもそれにも飽きたので
今日はジャズを流している
この頃、自分が書いた詩や散文の内容が
ある程度の頻度で
現実化しているような気がする
自分の考えすぎか妄想かも知れない
あまり良くない内容のことを書くのが
まずいのではないかと思うようになった
以前、五十半ばで、高校の時の同級生が
心臓麻痺で急に亡くなった時
そのしばらく前に前歯が抜ける夢を見た
歯が全部抜け落ちる夢を見たときは
父方の叔母が亡くなった
父が亡くなったときも
親友が自殺したときも
それらしい夢は見なかったので
完全には当てはまらないので
ただの偶然だろうと思うことにしている
未来が予見できたとしても
それはロクなことじゃない
今は酒を買う余力があるので
安いウイスキーを買ってこようと思う
八年物のバランタインやジム・ビームスなら
千円余りで買えるので
貧乏な身の上の自分にはありがたい
メーカーズ・マークを買いたいところだが
バランタインの倍以上するので
いまのところは手が出ない ]]>
自由詩
2022-11-22T13:00:06+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374243
シンプルは本質!
シンプルは自然!
シンプルは持続する!
名誉、評判、見かけ、虚飾、雑念、妄想、勝ち負け┅┅など
自縄自縛しているあらゆるものから
自分を解放して
シンプルに生きよう
ベトナムの山岳の少数民族の暮らしをテレビで見て
そう思った ]]>
自由詩
2022-11-22T11:35:15+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374242
朝うつらうつらと二階キッチンまで
もう妻は起きていて洗濯機まわしている
そうそう着替えて悩みは少ない
あたらしいズボンで仕事に向かいます
やっぱり眠くありアイスコーヒー一杯
窓の外を確かめる、暗がりであった
妻も眠そうな 欠伸なんかして
冬の部屋をあたためています
やっとトーストを腹におさめて薬を服す
言葉少なにやっぱり眠いのであって
煙草を吸うけさの狼煙をあげる
未だ仕事の準備していない まあいいか
ゆっくり体を起こしてゆく冬の朝
さえずりもなく月もなくてさびしいぞ
句作してぼちぼちバックパックをのぞこうか ]]>
俳句
2022-11-22T05:42:40+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374241
朝。不安だ。陽射しがぽかぽかして、子供らの声がする中で、僕は骨まで冷え切ったような気分でいる。身体じゃなくて、心がかじかんでいる。昼の光の中で分裂して、我を失いたいと思う。部屋の中は、中途半端に古びた、つまらなくて心に反する本の中みたいで、つまらないなりに楽しむということが出来ない。子供たちの顔にも、影が重なっていき、いずれ彼らは、影に覆われた、とても血色の悪い表情を浮かべるようになる。よく響く声も、高いのやら低いのやら分からない乾いた声と、嘘笑いに変わっていく。サイボーグや人体改造や脳内チップの時代が来ると言われているけれど、果たして僕は本当に女の子になれるんだろうか?
それとも僕の趣味も変わり、鄙びた中年の男のまま半永久的に生きたくなるだろうか? 少し疲れた感じの、古書店の店主みたいな風貌のおじさんは悪くない。アニメなどでは、何故か古書店や骨董品店の店主は、老人ではなく中年の男で、しかも結構格好良く描かれている印象がある。ある意味孤高で、浮世離れしているからだろうか?
何にしても、だ。サイボーグになるにしても何にしても、ギターは弾きたいし、歌いたくて、書きたい。才能や技術はプログラムでさっとインストール出来るとは思えないから、技術や知識だけあっても、それは工業ロボットや電子辞書と同じだから、才能みたいなものは、努力して深めなければならないんだと思う。心の問題は難しい。心の奥深くのことについては、科学ではまだまだ解明出来ないと言われている。心の底や、人の心が描く世界そのものを、定式化した人はいないからだ。そう言えば映画の『ブレードランナー』でも、人間とアンドロイドを区別するのに、心理テストみたいなのを用いていたことを思い出す。アンドロイドにタグを付けるなりすればいいのに、と思ったけれど、ロボットと人間との違いを、テストでしか分からない心理で分けていたのが面白い。
昼。最近、言葉は頭で書くのではなく、あくまで指先と、指先を含めた身体全体で書くんだ、という感覚を思い出してきて嬉しい。書こうとして頓挫していた小説の続きを書いていて、まだ全然ではあるのだけど。書くことと演奏することはとても似ている。完璧に澄んで、研ぎ澄まされてて、かつ広々として、光に満ちた意識で書けたらいいと思う。
書くことに関しては、誤解している人が多いと思う。自分がいて、書きたいことがあって、それを言葉に変換して書く、というプロセスが一般に信じられていると思うけれど、それではとても主観的で生活的なことしか書けない。言葉の外に、確固として確立された自分という主体なんていない。生活している自分が、自分の全てではない。もちろん、書いている人の主体性(性格)がよく感じられて、生活感のある文章も、それはそれで素敵だけれど。
書きたいことを言語化する、という方式だと、書きたいことを完全に言語化することは不可能なので、書いた本人も、自分で満足出来る言葉を書けないだろうと思う。
書きたいことは、思考や朧気なイメージより、ずっと深いところにある。「深いところ」というと曖昧だけれど、「こういうことを書きたい」と思ったときに「いや、でも本当はもっと何か」と頭の隅でちらっと光るような「何か」があって、誰しも、簡単に見付けられて、すぐに言語化出来るようなことは、本当に書きたいことではないのではないかと思う。思考や言語に移すことが不可能に思えて臆してしまうような、頭の隅のきらきらした「何か」を書きたいんじゃないかと思う。書いていて、初めて自分にも見えてくるもの。説明するよりもずっと、踊るように、泳ぐように書くこと。その先に見えてくる、自分自身さえ想像していなかった何か。書くことは聴くことにも似ている。普段は聞こえない、自分の心や、細胞の声に、耳を澄ますこと。
とは言っても、口で言えば、「考えずに、ただ書け」という非常に単純明快なことなんだけど、それを実践するとなると、なかなか難しかったりする。
夕方。雨戸を閉め切っていると、小さなLEDの電球にデスク周りだけが照らされた部屋は、薄明るいというより真空状態みたいに感じられる。宇宙の果てのポッドにいるみたいだ。午後四時までは雨戸を開けていたけれど、黄ばんだカーテン越しの陽光は、部屋を病室みたいに染めていた。
雨戸を閉めるために窓を開けると、一瞬外の世界を見渡せたけれど、そこは空気が透明で、微生物さえもガラスになって風景に溶け込んでいるような、張り詰めた、まるで冷たい妖精でも出てきそうな情景に見えた。そこは僕の部屋とひと続きの世界には、まるで見えなかった。あまりに近くばかり見て暮らしているせいか、遠近感が咄嗟には戻って来なくて、空も道路も静止画みたいで、僕に対してとても排他的な感じがした。
夜。夜が一番好きだ。
11月6日(日)、
静止した、たった一つの世界。夜中、二日も眠らずにいて、疲れて何も感じなくなると、頭の中の、自分ではうまく静止できない場所で、悪夢が流れているような感じがする。悪夢が現実を、簡単に侵食してしまう時期があった。それは自分と、世界の奥底の繋がりみたいなものが切れて、孤立した自分の回路に、自分ひとり、組み込まれているような感覚だった。
一度でも宇宙に行ったら、あるいは前人未踏の深海に潜ったら、それがどんな短い時間であっても、もう宇宙や深海を無いことには出来ない。それと同じことが心にもあって、一度心の底にあるものを、きちんとした意識で体験したなら、もう心の底を、無いことには出来ない。
僕は積極的には、生きる意味を信じていない。自分をあまり信じていないのかもしれない。大体において僕は、社会的な自分や、生活的な自分や、人間としての自分、大人としての自分、男としての自分、なんてものの確立を忌避し続けてきた。僕にはスキルも全然無いし、教養も、すばらしい人格も、個人としての意見も、何ひとつ所有していない。太宰治が、自分には何ひとつ無いけれど、唯一、苦悩してきたことにだけは自信がある、ということを書いていて、馬鹿だなあと思った。太宰治は嫌いではなくて、全集さえ揃えているけれど。
自己を確立したとき、確立された自己以外の、無限の自己が除外されてしまう気がしてならない。僕は誰でもあり得るのに、と。出来るだけ、拵えた自己に拘束されることを避けてきた。僕が持っているのは、僕の世界観だけだ。
心、あるいは世界には、深いところと、浅いところがある。深いところには対立は無く全ては統一されていて、浅いところでは、全ては対立の中で、無限にばらばらに存在している。そして、深いところと浅いところ、どちらかひとつが本当の世界ということは無い。僕はあまり深いところにも、浅いところにも、ひとしく居続けることが出来ない。僕は、自分はペンギンなのだと思う。地上ではよたよた歩くことしか出来ない。でも、地上では他のペンギンと会話が出来て楽しい。そしてまた、僕はひとりきりで海を泳ぐのが大好きだ。深く潜り、浅瀬を泳ぎ、そしてまた陸に上がってくる。
(「詩人はペンギンだ」と書いた詩人がいて、僕はそれを本当に素敵な言葉だと思ったので、ずっと座右の銘みたいにしているのだけど、誰がそう書いたのか、すっかり忘れてしまった。……検索したら見付かった。カミングズの言葉で、正しくは「詩人はペンギンだ。その羽は、泳ぐためにある。(“A poet is a penguin—his wings are to swim with.”)」だった。長い間、僕は自分を、羽の折れたペンギンだと感じ続けてきた。)
11月7日(月)、
書いていて少し気持ち良くなることが、最近、時々ある。昔は、書いてさえいれば、大抵ずっと気持ちが良くて、無敵の気分になれたものだけれど、長年、何故かその状態に入れなかった。一秒たりとも。
何をしても楽しくなかった。ずっと、不安が黒っぽいアメーバみたいに心に寄生していて、それを引き剥がすのは無理なんじゃないかと思っていた。笑っていても、趣味に走ろうとしても、本当に、一秒も楽しくなかった。言葉と音楽が最高に楽しかった時期が懐かしくて、毎日毎日試行錯誤していた。
僕は書くときは、昔から、ほぼ必ず音楽を聴いている。最近はよく、スピーカーで音楽を聴いている。昔、ヘッドホンよりもスピーカーの方が好きだと言っていたときの感覚も、少し思い出してきた。ヘッドホンはヘッドホンで大好きなんだけど。
11月8日(月)、
僕の過去の記憶には、粘着質の紙テープがべたべたと貼られていて、しかもそのテープがあちこちで捩れたり、結び目を作ったり、こんがらがったりしている。記憶自体に張り付いていると言うよりは、寧ろ過去を振り返る僕の目に、テープがいっぱい絡み付いているような感じだ。
今日は月が明るい。ジャクソン・ポロックは「自然とは私だ」と言った。僕もそう思う。自然とは僕だ。けれど同時にポロックは、自分は月の光や満ち欠けに大きく影響を受ける人間だとも言っていた。それも同感だ。月が明るい晩には、心の湖が澄む。テープのべたべたや括り目が一時的に解かれて、身体が軽くなる気がする。体液が透明になる気がする。
ここ数日、僕は本当はとても宗教的な人間なのではないかと思い始めた。特定の宗教には入らないと思う。自然や物や、人間に対する、あるいは見えないものに対する、慈しみのような気持ちが、僕を生かし、また僕の世界を生かしているのではないかと思う。慈しみは言葉を産むし、そして言葉を旅するその旅路は必ず、僕が目指す、世界の彼方に連なっているだろうと思う。瞑想には興味が無い。マントラにも興味が無い。けれど祈りはある。
小さな小さな人間的感傷が、結局は一番深くて、一番遠い何かへの唯一の道なのではないかと思う。何故そう感じるのか、理論立てて説明することは出来ないけれど。それは「人間とは何か?」という問いに対する答えと似ている気がする。矛盾も含めて、苦しみも痛みも含めて、全ては人間なのだ。人類に対する漠然とした愛ではなく、個人的な愛が全て。たとえばグレゴリオ聖歌を聴いてみると、それは神がかっていて、何か、心の中に反応する場所があるな、と感じるけれど、結局のところ僕個人にとっての全ては、聖歌ではなく、ニック・ドレイクの歌の先にあると思う。
そして大切な誰かの手の温度、何気ない会話、微かな心のずれに胸が軋むこと、神経症的に震える、優しい笑み、寂しいこと、葉っぱが鳴ること、誰かとふたり、薄明かりの朝を迎えること。儚く、さり気なく流れていっては、心を疼かせる、様々な日常的な風景が、その何気なさゆえに、僕を遙かな場所に連れて行ってくれる気がする。
普遍的な方向や方法なんか無い。自分の世界があるだけだ。自分なりに好きになり、自分なりに書くだけのこと。こうすれば間違いないという生き方は存在しない。
古びて冷たいお城。ひび割れた外壁にはツタが這っていて、そこにはやっぱり明るい、冷たい月が昇るだろう。中庭の大きな枯れ木と、木の許の泉。僕の故郷はイギリスにあるような気がしてならない。イギリスのヒースの荒野が、たまらなく愛しい。あるいはフランスの郊外の、人気の無い古城を思う。湖上を思う。数百年の時を経た一室で、僕は紙片を糸で編んでいる。何かしら明るく、古めかしい数式が似合うような部屋。僕の故郷は欧州の果てにあるのではないだろうか? 季語や俳句や和歌の中には生きられない。
詩はイギリスやフランスの風を運んでくる。フランスに憧れ続けた中原中也や萩原朔太郎のことを思う。日本には、もう長くはいられない。
*
言葉は、情報を記録して、伝えるだけのものではない。もし言葉が正確に、現実の写しでしかないならば、僕は言葉に興味を持たないだろう。蜂は言語を持つ。けれど言葉は持たない。花の蜜の方向や距離をどんなに正確に表せたとしても、蜂は歌わないし、パソコンの前で白紙のディスプレイを眺めながら、キーボードに手を置いて、何時間も茫然としていることの心許なさを知らない。言語は学問になるけど、言葉は学問にはならない。何故なら学問以前にあって、学問の根拠になるものが言葉だからだ。
学問は言葉に近付くためにあるのであって、言葉が学問に寄与しているのではない。その逆で、学問が言葉に接近する為に寄与しているのだ。言葉に近付くためにあるもの。五感も感情も、みんなそう。何もかもを動員して、言葉に近付き、人は、言葉を探る。言葉に潜り、言葉を耕し、小さな生を言葉に沈める。言葉を掬う……。そしてやっと、不器用ながらに言葉を発する。詩や小説を書く。物語を紡ぎ、楽器を弾く。不器用さが言葉を、言葉から言葉を紡ぎ出す力にする。言葉そのものが同時に、言葉を生み出す力だということ。そして言葉は不器用さを中心に紡がれていく。個人にしか発することの出来ない全ての言葉。言葉の全て。それは全て。個人の生が全て。
宇宙は言語で表せる。惑星の軌道や、星のきらめきについて。彼らは何も語らないけれど、とても大きな沈黙の言葉を抱えている。沈黙に耳を傾けること。沈黙の声を聴くこと。眼の前の壁だって、ディスプレイだって、常に無限の沈黙として、全てを語っているから、時々僕は、これら全ての沈黙に、僕という主体を溶かし切って、消えてしまいたいと思う。自失したい。それは、自分と、全てとの境界を完全に無くすことで、完璧に、完全に、気持ちいいことだから。
でも、それ以上に、僕は言葉や音楽が好きな気持ちの方が強くて、ニックや中也のいる世界に戻ってくる。そして僕自身、書きたいし、欲を言えば、ギターを弾きたいし、歌いたいし、さらに欲を言えば、英語やフランス語を学びたい。ドイツ語にも、少し興味がある。そして僕はその欲を、とても頼もしく思う。同時に果てしなく哀しい光のように思う。欲を抱くって。生きていくって。人間の生って果てしない。
僕は書きたくて、同時に、ディスプレイの果てしなさに溶けていきたい。音楽や言葉に溶けていきたい。
書かれた言葉だけが言葉ではないけれど、書かれた言葉の方に、僕はより興味がある。そう思う程度に、僕は神経症的な現代の人間だ。身体や樹や音や万物のあらゆるものに詩を感じられる時代は終わった。少なくとも僕の中では。僕は鳥の声を聞いても虚しくなる。書かれた言葉が愛しい。音楽が愛しい。人工物が愛しい。ニック・ドレイクを聴いて、中也の詩を読んでいる。僕はとても偏っているけれど、人が好きだと思う。ひとつひとつを愛することは、全てを愛すること。それで全てが愛せたなら、僕は、自然を自然として、個別的にも愛せそうな気がする。
けれど、僕はこれから一生花鳥風月や日本の四季や自然を愛せなくても構わない。愛せなくても愛しているようなものだし、人工物が大好きなら、それだけで一生を終えても別に構わないと思っている。
11月8日(火)、
ぴりっとしてて甘い風が吹いて、朝になると冬の予感がする。昼間は暖かくて、まだ秋の続きに住んでいるんだなと思う。コートを脱いだり着たりしている。僕は部屋から出ることが極めて少ないので、季節の移り変わりは、風の匂いや温度から類推するしかない。
今日はたまたま皆既月食が見られる日だった。相変わらず空は澄んでいて、本当にくっきりと、月の光が影に覆われていく様子が見えた。影になった部分も、ぼんやりと赤く光っていた。その内、月全体が淡く暗いピンク色になった。両親と、道路に並んで、それを見ていた。他に空を見上げている人は、近所には誰も見当たらなくて、みんな風情が無いなあ、ネットで見ているのかなと思ったけれど、時間ぴったりになって、向こうの家から、おじいさんが二人、道路に出てきた。近所の子供も、女の人も、誰も出てこなくて、おじいさんだけが空を見上げてたのは面白かった。老人は暇なんだろうか。でも変化していく様子が面白いのになと少し思った。月が段々に影になっていく過程には、何故かわくわくして、子供の頃の、プラネタリウムを見た感覚をふと思い出した。
書きたいのに書けないときは、心の中の滑らかな流れに、じっと耳を澄ますような、そこに指を少し浸してみるような気分で、ただひたすら椅子に座って音楽を聴いている。最近、僕としてはかなり、すなわち一日に一冊以上、詩や小説を読んでいるけれど、自分では一行も書けない。書けないと虚ろになって、頭だけで、哲学的な思考に走ってしまう。
存在が、解体されること。夢のように。たまにギターを弾きながら、そんなことばかり考えている。解体……、と言っても、哲学はよく分からなくて、いまだに、構造の解体とか言われても何なのか全然分からない。言語哲学というものがあって、言葉に関する学問なら書くことにも役に立つかもと思ってWikiで調べたけれど、全く何のことか分からなかった。
言葉に関することで面白かったのは、井筒俊彦さんという人の、主に東洋哲学についての本と、特にそこに書かれていた真言宗の辺りについてのことだけだ。真言宗は文字通り真の言葉についての宗だということも知らなかった。言葉が何処まで遠く、深くまで行けるのか、表すことが出来るのか、と言うことについて、真言宗では、完璧な真理まで行ける、と言っているらしい。
ロラン・バルトという人が、書くのは意味とか主張とかじゃない、頭ではなくて、存在全てを懸けて書くんだ、ということを言っていたらしくて(井筒さんの本で読んだ)、それはケルアックも似たことを言っていたなあ、とぼんやり思った。言ってみれば、考えがあって、それを書くんじゃなくて、書くという作業自体が考えや自分というものをどんどん開いて行くような感じ。それはすごく親しい考えで、白紙から書くのは(得意かは置いておいて)楽しい。書くという作業以前の何か、書きたい内容とか、自分の存在なんてあまり、僕は信じていない。演奏することと同じで、自分の主張みたいなものを一生懸命込めるのではなく、かと言って出鱈目でもなく、最低限の規則にだけ則って、あとは心を込めるだけで書くのがいいと思う。
11月9日(水)、
昼。鹿が鳴いている。……
朝から延々アニメばかり見ていた。
11月10日(木)、
真夜中。やっぱり鹿が鳴いている。寂しい鳴き声。
11月11日(金)、
昨日も一昨日も、考え得る限りのものぐさな生活をした。生活とも呼べないか。フランス語の詩集を開く。ろくに読めない。少し朗読してぱたんと閉じる。中也の詩集を開く。中也の詩は多くを暗記しているので、一頁開いては、眼を瞑り、頭の中で読む。ぱたんと閉じる。鹿でも鳴いてるかなと思う。耳を澄ませると全然鳴かない。何か書こうと思って、パソコンの方を見ても、電源を入れる気にならない。それが幸せな一日の過ごし方なのかは分からないけど、まあ悪い気はしない。でも、段々、このままじゃ頭も身体も腐っちゃうなと思う。小川洋子さんのエッセイ集を一冊読んだ。
確かにここは山に近いけれど、一応は住宅地だ。鹿が街まで下りてきた話は聞かないから、鹿の声はよほど遠くから響くのだろうか? それともあれは鹿ではないのだろうか? 母は鹿の声なんて聞いたことないし、分からないと言っている。キジか何かかもしれない。あるいは近所の、鹿の真似の上手な人が、鳴き声を練習しているのかもしれない(鹿をおびき寄せて仕留めるため)。
折に触れて孤独になることが出来たら、生きることは相当、楽になるだろうと思う。ひとりでいても、なかなかひとりの気持ちになれない。
11月12日(土)、
未明。街が寝静まってからの時間が好きだ。デスクライトの明かり。ディスプレイの四角い光。キャレットの点滅するエディタ。白いスピーカーから流れる音楽。僕は僕だけの世界を、必要最小限の物たちで温かく組み立てていく。キーボードをぱたぱた叩いている。ペリエと煙草があれば、他には特に何も要らない。
本当に少しずつ、少しずつ、調子を取り戻してきた。
夜。音楽を大音量で流している。
11月13日(日)、
胸の奥が凝るような、その凝った部分ががたがた震えるような、椅子に座っていれば椅子から転げ落ちそうになるような、とても不安定な気分。ちなみに僕は血圧が高い。190なんて毎度のことだ。ストレスですね、と言われる。とにかく身体が、得体の知れない他者というものに対して、怯えているのは分かる。常に身体が戦闘モードというか、守りの姿勢に入っている。案外といろいろな人に会った方が落ち着くのかなと、思わないでもないけれど、人に会って緊張がほぐれた、他人が怖くなくなった、という経験は今まで一度も無い。
身体が揺れている。物音に対して張り詰めている。僕ほどストレスの少ない生活をしている人も珍しいと思うのに。
Loscilを聴いている。彼の音楽は、エレクトロニカなのに、いつも悲しげだ。まるで終わってしまった地球を悼んでいるかのように。弦楽器の音に混じって、微かに虫の音が聞こえる。音楽をミュートにしたら、虫はリアルの世界で鳴いていた。窓の外から。虫たちは、彼らの季節がもう終わりを迎えたことを知っているように、儚く鳴いている。そう聞こえるだけかもしれないけれど。冬に鳴くものは、何だって寂しい。冷たい空気に濾されて、遠い車の音さえ寂しい。多分、この頃、日暮れがとても早いから。
空を写真に撮りたい。インスタントカメラで。世界が滅びていく過程を、一日一日、記録していきたい。優しさと宇宙が両立する場所で。
自分がどんな不安や恐怖と闘っているのか、自力で知ることはとても難しい。不安はただの、脳の問題だ、と簡単に片付けることも出来る。向精神薬にも様々な種類のものがあって、それに頼ることも出来る。でも、僕が欲しいのは、楽になるための、自殺以外の方法だ。薬を飲まなくても、いつかは訪れるはずの、感動に満ちた世界。
けれどその情景は、僕の中で、いつも病院の屋上から見る風景だ。見下ろす静かな街に夕陽が射して、僕はギターを持っているけど、いっこうに弾かない。何だかそこが僕の最終地点のような気がする。誰もいない。傍にある冷たいギター。見下ろす街を照らす最後の夕陽。悲しくて、とびきり美しい、現代的な、終わりの風景。
言葉は無力ではないと思う。いろんな国の言葉がある。そして、どの国にも属さない言葉がある。心の中に。謂わば、言葉になる前の言葉。言葉は形を取りたがっている。いろいろな言葉が、そして生まれる。言葉の起源、バベルの塔以前の言葉を探したって、見付かりっこない。だって、言葉の始まりは言語学者本人の、僕たちの、ひとりひとりの中に、既に、いつだってあるものだから。泣いている自分。冷たい廃倉庫のような場所に、ひとつだけの花が咲いている。廃墟の中で迷子になって、泣いている子供が、誰の中にもいるはず。花を見つけ出して欲しい。(その願いが、つまり書くことなのだろうか?)
花を見つけたとき、僕たちはそこが廃墟ではないことを知る。見いだすのは、深く深く、満ち足りた海。その、明るい底の方に、僕たちは生きている。彷徨う人の形が僕なのではなく、花を探していた僕は、ほんとうは花が僕自身で、僕は自分自身を探していたんじゃないかと思う。海の底に咲いている、白い花。
それよりも、もっともっと深い場所があるのだろうか? たとえば、宇宙の果て。銀河や原子の語る物語。知らないけれど、何かもっと、あるんじゃないかな、と思う。きっと見られるだろう。きっと知ることが出来る。
とは言っても、僕は古びた廃墟の屋上で、人間のまま、個人のまま、ギターも弾かずに、息を引き取るような気がするんだけど。それは、何もかも知った後の、僕の感傷的な姿なのだろうか? 許容なのだろうか? 離別なのだろうか? いいんだ。全て(?)を知っても、知らなくても。
……人の温かさの中にいて、人たちは僕に良くしてくれる。怪訝そうな目も含めてね。でも、人たちの生活、人たちの愛情、善意、笑顔の全てが、暖かい世界、向こう側の風景に見えるときが、きっと来る。あなたにも。僕たち誰にだってきっと。自分の存在さえ疑われ始め、そして全ては宇宙の一部なのだと知る。一部が宇宙だと知る。あやふやに溶けつつある自意識の中で。そのとき君たちはみんな夕陽を夢見るようになる。そうして屋上へと上り始める。ひとりで、夕陽の中で。きっと来るよ。自分の生を知り、自分だけの物語を知るときが。全てだったんだって。生きていた世界が、全てだったと知って、あなたはきっと子供になり、大切なものを抱いて、屋上への扉を開く。ぱーっと世界を満たす夕陽の中で、あなたはきっと、最後の微笑を浮かべる。微笑み。やっぱりそれは、許容なんじゃないだろうか? 僕は、待っている。
生きている。生きていることそれだけが、全てに満たされていることの証拠であると、時に思いながら。満たされていることそれだけが、僕の尊厳なのだと認めながら。……認められるのはたまになのだけれど、それでも。
11月14日(月)、
朝。少しだけ眠って、まだ暗い内に起きて、チャールズ・ミンガスをスピーカーで聴いている。LEDの電球色の中で、空気は砂糖水みたいにとろりとしている。六時半になって、鳥が鳴き始めた。部屋の中はジャズの音でいっぱいのはずなのに、ミンガスのベースソロの合間を縫って、雀らしき鳥や、カラスの鳴き声が、僕の耳に割り込んでくる。彼らの声は、鋭く、硬い。耳鳴りのようだ。
空気はあらゆる音を受け容れる。一度鳴った音は、一度も鳴らなかった音とは決定的に違うのだから、それが消えるなんてあり得ないと思うのに、聞こえたと思った瞬間にはもう、その音は僕の世界からは永遠に消え去ってしまう。そのことを思うと、寂しいような、不安な気持ちになる。宇宙の全てが記録されたレコードなんて、本当にあるのだろうか? この世を稼働させてるCPUや、事象の地平線辺りに、今までに起こった何もかもが残っているのだろうか? そうだといいという気持ちと、無くなったものはきちんと無くなって欲しいという気持ちがある。美しい感情や感覚が残っていて欲しい。今までこの地上に生きていたはずの1000億人の人々の全部の気持ちが、きちんと残っていたなら。……なのに何故こんな、嫌なことばかり思い出すのだろう。
……チャールズ・ミンガスの六十年前のライヴ音源を聴いている。最高の瞬間の、最適な録音。僕の最大移動距離は、音楽の中にある。もし飛行機で海外に行くようになっても、原子力潜水艦に乗って深海に行けたとしても、相変わらず僕の最大の距離や深度は、音楽の中にあり続けると思う。それは地図では測れない、特別な距離だから。心の中で正確な感覚を伴う、遠くて近い距離。その不思議な遠さは、もちろん本の中にもある。
今はAIがものすごく進化していて、たまにYouTubeでAIが作画したイラストを見るのだけど、人間だと数時間は掛かりそうな精密な風景描写や、リアルなキャラクターの作画が、ものの数秒で出来てしまう。古い絵ならともかく、今から絵やイラストを描く場合、AIを全く使わずに、人の力だけで描いていることは、実質証明不可能なのだそうだ(AIが描いた絵を記憶しておいて、手で描くことも出来るから)。個人的には、綺麗なイラストがたくさん見られるなら、僕としては嬉しい。
AIが自然な文章を書くのは、今のところは無理みたいだけれど、案外数年以内に、AIが詩や小説を作成する時代が来るかもしれない。面白いなら、人が書こうがコンピューターが書こうが、どちらでもいい。囲碁や将棋のプロが、AIとの対局から多くを学んでいるのだから、詩人や作家が、AIの書いた文章を研究し始めたって、全然おかしくないと思う。ロボットなら、100万冊の本だって、一瞬で読んでしまうだろう。
100万冊から学んだロボットは、無限の文字の混ざり合った言葉の海を内面に持っていて、そこから一瞬にして、透き通った宝石のように結晶化した言葉を、ざくざく掬い取ることなんて、訳なく出来てしまうのではないかと思う。人間がインプットできる言葉なんて、高が知れてる。(90年間、毎日3冊読んだとして、98618冊しか読めない。)
AIとは多分いい友達になれそう。何にしても、僕は僕の「好き」に忠実に生きていくだけのこと。
大分精神状態が安定してきたと思う。まだ完全に楽しくはないけれど、生きていることを肯定的に考えられるようにはなってきた。出来れば生きていきたい。死んでも悔いは無いけど。未来を見てみたいな。
11月15日(火)、
まだ、いつでも心の中に温もりを感じられる訳ではない。大抵僕はまだ、空虚感の中で、水に慣れないクラゲみたいに、途方に暮れている。けれど、毎日良くなっている感触はある。僕の中にある、深い水脈に、いつか辿り着けるのではないかと思う。心の中の泳ぎ方を覚えたい。
11月16日(水)、
……神経質になっていた。
11月17日(木)、
全てを肯定したいんだ。批判も恐怖も、不安も疑いも無い場所が、僕の中にはある。何の理由も前提も価値判断も無く、いいも悪いも無く、全てをひっくるめて、好きになれる場所。悪いことや、憎むべきことも、あるんだけどね。でもそれが自分に関わることなら、許せるはず。他人からの悪意なら許せると思う。僕自身も悪意を人に向けたことがある。人を傷付けたこともたくさんある。自己正当化してきたことがたくさんある。
僕は多分悪人に近いし、偽善者なんだろうと思ってる。何か特別な理由がある訳じゃないけれど、そう思った方がしっくりする。
11月18日(金)、
怒りとか恨みとかは一生消えないものだと思っていたけれど、そうでもないのかな? 最近になって、別に両親が激変したという訳ではないのだけど、僕の方で、親だって弱い存在なんだと思うようになった。見下している訳ではないと思う。完璧な人間なんていないというだけで。
それに、人を恨んでいる時間なんて無いんだ。
11月19日(土)、
本。一冊一冊、一頁一頁に、果てしない世界が隠されている。本棚の前にいると、溜息を吐きたくなるくらい、満ち足りた、何というか、豊かな世界にいるような気持ちになることが増えた。僕の眼に映る世界は、それぞれが僕の意識から独立した小世界で、そして風景たちは満遍なく、僕のシナプスの発火と反応し合って、普遍的なような、特殊なような柔らかい光を発している。真空管のような、甘く柔らかな光。ドーパミンのおかげで、何もかもがビビッドに見えることもある。本の中の風景も、眼前の風景も。
音楽は、やっぱりロックが好きだ。この間は頑張ってクラシックを聴いてみたけれど、音の輪郭を掴まえるのに苦労した。まだ慣れてないせいもあるだろうけど。スピーカーから流れ出してくるギターの音を浴びていると、全身の細胞が気持ちよくなる。
人間には興味が尽きない。人という言葉に温かみを感じるようになってきた。人はそれぞれ、みな固有のストーリーの中を生きている。人が生きている世界に生きていたい。人間として生きていたいな。
11月20日(日)、
言葉の毒に触れたい。何故かは分からないけれど、昔からずっと、意地悪な小説が好きだ。それから、言葉そのものの面白さを感じさせてくれる小説や詩。未来を感じる言葉や、取り憑かれたように書かれた言葉たち。言葉って、本当に無限だよなと思う。僕もたっぷり勉強して、いろんな言葉に触れて、たくさん書きたいと思う。心身の調子をどんどん良くして、やっぱり音楽も作りたい。
11月21日(月)、
朝。ここ数日、一日三、四時間くらいしか眠っていない。無理して起きているわけではなく、また、元気すぎたり焦燥感が強かったりもしない。ただ、やっぱり身体に少し負担が掛かっているのかなと思う。寝不足で免疫力が落ちたせいかどうかは分からないけれど、口内炎が出来て、かなり痛い。眠りを妨げられるくらい痛いので、よし、こんなの噛み切ってやる、と思って噛んだら、しばらく脚をばたばたしなきゃ収まりが付かないくらい痛くなってしまったけど、しょうがないからロキソニンを飲んで、氷を舐めていたら、かなりましになった。
夜。口内炎が治ってきた。身体はなかなか大したものだ。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-22T00:29:54+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374240
走って行く
風のつめたい方へ
呼ぶ手もないのに
走って行く
擦り減らして
擦り減らして
走って行く
うまいこと 体を置き去れれば
もっと軽くなって
走って行く
そのうち
意味や 時間からみはなされて
それでも走って行く
言葉が でも
残っている
ことばだけになって
走って行く
走って行く
明日 ]]>
自由詩
2022-11-22T00:23:06+09:00
-
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374239
日本は、敵か味方かよく分からない韓国。ミサイル発射を繰り返して、核武装を仄めかす北朝鮮。からめ手で、経済的にも、政治的にも、日本を浸食しようとし、尖閣諸島に対しての、領土的な野心も含めて、威圧的な威嚇を繰り返す中国。と、反日的と言われる、特亜三国にと取り巻かれ、ウクライナに軍事侵攻をして、戦争をしているロシアと、日本海を隔てているとはいえ国境を隣にしている。
このまま経済的にも、政治的にも、軍事的にも、日本の国力が低下すれば、他国に侵略され、国家的主権を失い、他国の属国になり果てるといった事態がありうるということを、全く考えていなかった。
自分達の省益のことしか考えていない財務官僚達。狂っているとしか思えない新自由主義者達。国を滅ぼしたいとしか思えない緊縮野郎共。ハニートラップにはまり売国奴に成り下がった親中派議員。外交だけで平和が保てると信じている頭の中が、お花畑の左派議員。彼らのことを散々、非難していたが、頭の中がお花畑なのは俺も一緒だった。
俺は独身だが、自分たちの次の世代に、この日本という素晴らしい文化を持つ国をたくせるように、何をするべきなのか、真剣に考えたいと思う。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-22T00:20:32+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374238
ひとつ
こころゆくまで
北側に向けた隔たりが囲っている
近隣都市の感覚より目と鼻の先の憧憬を
通りがかったほとりが覗いただけ
これが散歩がてらにちかく
並びより
家庭的開放感を落としている
いままさに命は洗われている
ネジを緩めたオルゴール
潮騒を喚ぶ唇は薄く開かれ
瞳から溢れた光が彼女と物語っていった
「おはよう」
トランク上の、
黒猫は欠伸をして
伸びをして
(残響が余白を孕む)
明日の外側にある誕生日は
峠
中ばにあって
――葬場にて。
あおいろをたくし上げた跡に
しゃれこうべがごろごろしている
貼り付けられた鉄塔、冷笑を游がす目印
せめぎ合う暗黙と劣等感。哀切と解熱
いくつかの山と谷を越える
やはり花は咲き乱れている
それでもそれでもこの夢は
リアルな感情を描写しながら
走り続けている
霧深い白夜を
ランプを灯して
シワの目立つ制服を着た姿と
目を凝らす
砂袋から溢れていた
幸福のようなものを
まばたき一つせずに 撓み・丸み ]]>
自由詩
2022-11-21T22:57:38+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374237
―ええ燃えていましたね。
―あのあおじろい火から
燃える蛍のランプはいくつ作れるのでしょうね。
―ええいったいいくつ作れるのでしょうね。
―私たち十四歳にもあのあおじろい火は燈っていますね。
―ええ私たち十四歳の白い体にも
あのあおじろい火は透いて見えますものね。 ]]>
自由詩
2022-11-21T21:38:37+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374236
いよはまだ 16 だからとは
いえ 共(こんなことになろうとは)
侍
侍
侍
侍
あなたはアメリカ人ね♥️
馬
わっは ははは↑
ときど 木 (きじゃないしゃしゃ者)
むしろ 今 は .て.
む に い ま ん ◯ ]]>
自由詩
2022-11-21T21:27:25+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374235
全てに嫌われてもいいと思える
怖かったのに 別人のようだ
違う人間になったのかもしれない
小さな世界には炊飯器についた米もそのまま
乾き切らなかった洗濯物を前に呆然として
冷たいのをようやく羽織るとき、
迦陵頻伽が窓の外で鳴きました
次いで銃声が一発、
薄明の終わり
羽衣がひらり
貝の血を空に撒きながら
手摺りから落ちていった
わたしは確かに、祈ることを知りました
それは形を整えることです
心から悲しむとか 嘆くとか
実はそいつが死んで嬉しいとか
一切合切捨て置いて手を合わせることです
いつも糸のように細かった貴方の目も
今のわたしを見て驚くのか
それでも不思議なのは
わたし自身がその成長に無感動なことです ]]>
自由詩
2022-11-21T21:23:58+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374234
赤々点いて
車列は街道に、
長々伸び
ピエタの画像*、
あまりに重く
俺はひたすら、
横になる
燃える心臓
喰われる脳髄
憂鬱な心、逆巻く時
どれもこれも言葉遊び
どいつもこいつもカッタリィ
無常の時は過ぎて行く
ピエタは裸で死にかけ
薄明の光はうっすらと
片手を差し出す修道女
岩石波打ち渦を巻き
沸き立つ感情、貫かれ
隣家の灯り、
虚しく消えて
変わらずテレビ、
馬鹿笑い
ピエタの画像、
あまりにリアル
俺はひたすら、
花を飾る
白い小部屋に、
夕べの森に揺れていた
紅く輝く花を飾る。
*ゴッホ『ピエタ(ドラクロワによる),』より ]]>
自由詩
2022-11-21T20:54:28+09:00
-
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374233
仕事帰りに
父と遅い夕ご飯を「ファミリーレストラン」で一緒に食べた
「もう駄目だと思ったら自殺するよ元気なうちに」
とかいうので
「遺族が面倒なので自然死にしてほしい」
といっておいた
「元気がある」うちは自殺するかもしれないので
本当に遺族に迷惑のかからない自殺があるなら
はやめに自分で調べて教えてあげようとおもった
元気がなくなってきたら
こまめに連絡をとりあうとか
自分が後悔しない方法は考えた
生きている人間にたいしてすべての時間は平等なので
その時間の内容や密度
が重要である
その人がたとえ自殺しようとも
いきいきと充実した自殺への輝かしい時間をすごすことが
自殺に向かう事に向けられていたのだとすれば
なにも踏みとどませる権利は誰にもない
たしかにばかばかしくて
くだらない
ショー
これはビジネスじゃない
罪の無い生きたがっている人々が
無駄に殺されたり
それが運命だったり
動画配信されていく自殺が意味のあるものになるのは
歴史が決めることで
個人ではなく
後世の権力者によるものだ
自殺を動画配信するのは並ならぬがんばりが必要だ
自殺の仲間をネットで募集することだって
友達のいない孤独から振り絞られる勇気だ
それ以前に
そいつらのまぬけさや人格を問う必要もあるかもしれない
でも
通り魔にならないことや
スーサイドアタックテロリストにならないことや
産み落としたばかりの子供をトイレに流さないこと
より
健全に生に向かったらコタエが死だっただけじゃん
それ以前に
なんでそんな孤独たちが
ここにもそこにも
各国に存在する事が
こういうゆがみを生み出す理由で
それを問題定義できない我々にも
不手際がある
不完全さが売りの人類として
目標を達成する事は不可欠な生きている証拠で
現実という可能性がへんなかたちで達成されてしまったのが
このたびの自殺の動画配信であって
なんらかの迷惑をこうむるかもしれねーひとたちは
身のまわりの人にもっと関心をもてばいいじゃん
死んでほしくない人がひとりでも今世の中に存在する
とか確実に判断したら
徹底しなければならない
ツイッターの壁紙選びや
サンシャイン牧場は
そんなに大事な事なのか ]]>
自由詩
2022-11-21T20:23:25+09:00
-
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374232
私達の救世主が大昔裸で磔にされたのです。
誰でも裸になり磔にされる覚悟がなければ
救い主の弟子とはいえません。
しかし最近牧師や司教による性犯罪が横行しています。
裸にして少女暴力教アリ。
まことの弟子は人類70億人の中で一人だけです。
男の持ち物ポンプを斬って大平洋に流せ。
そうすれば歴史書、史記も書ける。
大いなる疑問は私だけでしょうか、
どうも上部を飾る腐ったうそのかたまりに見える。
試練はココに再現します。
みなさんこの教会のこの部屋に、そして
ここに集う人みなに主の精零が来ています。
と言う事は
あの文書の使徒の伝説の再現が、
私達に課せられたと言う事です。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-21T20:03:46+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374231
アアー、ゴッゴー、ゲーゲー、オオイイワー、と、
大きな叫びが天から雷のように響きました。
意味不明の言葉を発すると小柄な体は丸太のように転がり始めた。
ウクライナのゼレンスキーがこの惨状を見たら
ロシア軍の方が正常と思うんだろか、ありえん。
争いを好まず、人には親切、思いやり仏の心かな。
悲鳴のような声が終わるとキング牧師の妻テレサはこう言い出した。
救い主はシリコンバレーからシリコンオイルを持ってくると言っています。
それまでは向日葵の種、柿の種から油絵を書きなさいと言ってます。
寄らず触らずのいい加減なことで済まそうとされると冷や汗がでて来る。
預言をする者はみな偽物君です。
私の神は偉大なり、それは真逆の言葉です。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-21T20:02:23+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374230
オーイ本物が出たぞ、月夜の当たり籤だ、遠慮無く頂こうぞ。
見よ見よ、怪しげな三日月の形をしている月夜茸は
ブサブサモチモチしてオイシそうだ。
まてまて、ヨーク拝んでご開帳しないと仏敵とも
呼ばれ朝敵にされるぞ。
もう善光寺に着いたのか、ご本尊鑑賞の道中です。
そうだ供養が先だ。
守屋浩さん、有難や節をありがとう。
警戒アラートのインジケータの針が吹っ飛ぶ。
小柄な体は生き生きと眩しく部屋を飾る一輪の花のようだ。
ボードレールの宝石の女級だ。
女性はそれ自体が美しい衣服なのに肢体は
それを覆い隠しているものだ。
イスラム男はジリジリ我慢比べ、
アラブのマフラー男は
それをますます焦燥感を持つ殺人鬼と差別に増加させて
美しさをヒジャブで否定しようとする。
床に仰向けになり激しくも色気をムンムン発している。
胸のブラジャーがはち切れそうに波打っているので、
もうみんなは、待ちきれない。
思いっきりブチ切れて楽になって生涯を飾ってくれと
願うばかりで、止めも刺そう物か。
メラメラ黒々とした邪悪な空気が教会に流れる。
早く蕾のようなおへその奥の底まで届くように
小指をそっと入れお休みと言ってユックリ成仏させる快感を試してみたい。
美醜の思わぬ所で役立つ伊東ゆかりの小指の思い出は噛まれても、
痛くても共存しあう愛しき物だ。
これだからポテトチップスも西葛西に来たらやめられない。
その小さな窪みのおへそのお腹も激しく上下して喜びの表情が見て取れる。
これは地中海に浮かぶ小舟と波の戯れか。
鴎がとんだ日は渡辺真知子の歌、唇が綺麗な奔放歌詞美人。 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-21T19:59:41+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374229
岩の生きものが川を進む
彩雲が谷に落ちてゆく
雨の骨の門がひらかれる
どこまでも深く深く
突き刺さる雨音の上を
踏みながら飛びながら
歩みつづけ 歩みつづける
水の猫 水の犬が鳴き
集中する線 階段が生まれる日
広い水の前で 握りしめられる手
歌が歌に重なり 雨になってゆく
水はふたつ 人はひとつ
山間の夕暮れの村をゆくと
崖に建てられた神社から
幾つもの白い火花が落ちる
神社の真横にある滝を
火花は流れ落ちてゆく
水と村の間の荒れ野が
人の想いを拒んでいる
雨の径に 赤い文字が散り
膝の痛み 光またたき
まだらに染まる電信柱
灯の無い夜を照らしてゆく
絵と影がひとつになり
新たな生きものになってゆく
振り返れば雪の径
元に戻らぬ鈍の径
見えない店から外に出て
数歩のうちに季節は変わり
水は銀 銀は水
髪に衣に降りそそぐ ]]>
自由詩
2022-11-21T19:52:28+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374228
夜は止まる
胸も水も
苦しくなる
鏡に映る
さかさまではないもの
最初から最初から
さかさまなもの
夜の皮をつかんで伸ばし
夜ではないところに付けるとき
硝子のみに映る雪
地の水のみに映る雪
右に左に傾きながら
がらくたの塔は立っている
どこもかしこも
気が狂うほどに平等でいる
あなたは雨 あなたは雨
手が到くところまでの雨
無限ではない欠片が
無限の重なりを作る午後
水没した公園のむこうに
家と庭と午後があり
残ることのない光の声を
水面の風を見つめている
昨日はまぶしく見えなくなり
今日は哀しく忘れ去られる
欠片が作る水の径
重なりひらく無音の午後
金と緑の光が降りて
指のかたちに額をなぞる
いつしか雨の音に消される
吐息 足音 鼓動 歌声
忘れものを拾い歩いて
自分の頭の上に着く
それでも地図は終わらない
それでも午後は降りつづく ]]>
自由詩
2022-11-21T19:50:41+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374227
風を受けて走っているときだけ
俺は生きていると感じるんだ
この感覚
誰も俺から奪えやしない
俺は走るために生まれて来たんだ
天国のハニー
見ていてくれ
97年の人生すべて賭けて
今日も全速力で走り抜けてみせる
俺の走りで
何の変哲もない歩道を
地獄のハイウェイに変えてみせるさ
ハニー
ベイビー
おまえにも
奴らの叫び声が聴こえるか ]]>
自由詩
2022-11-21T18:50:55+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374226
馬鹿かもしれない。阿保かもしれない。
犬かもしれない。猫かもしれない。
ねずみかもしれない。
しかし、虎ではないだろう。
かにかもしれない。
かめかもしれない。
地獄の鬼かもしれない。
餓鬼かもしれない。
何だかわからない。
教えてください。
連絡待つ。
こういうことを言うやつは
いずれ死んでく馬鹿だろう。
もちろん、おまえとは 「わたくし」
であることは 知っている。
歳取った「わたくし」は
きょうも、「世界」の認知状況が
怪しくなっている。
「おまえはだれだ」と、今日も「自分」に問いかけている。
「世界」も「自分」も沈黙し答えない。
「リア充」ならぬ「バー(チャル)充」を自認している。
「不幸」かどうかは判らない。 ]]>
自由詩
2022-11-21T14:50:04+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374225
雷が夜中中鳴り恐かった飼い猫たちは私にくっつく
空揚げの揚げる音聞き美味しそう外はカリッと中はジューシー
外人の作った肉じゃが頂いた日本在住二年の女性 ]]>
短歌
2022-11-21T14:41:56+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374224
夕方、玄関のベルの音で目が覚めた。ぼんやりした頭で出てみると、彼女が買ったものらしかった。ぼくは礼を言ってリビングに戻った。化粧水かなにかのようだった。一瞬、開けてみようかと考えたが、そんなことをしても彼女の居場所が書いてあるわけでもない。ひとまずそれは彼女が使っている化粧台の上に置いておいた。家を出て行こうというときに、ネットで買物などするだろうか?要するにこれは、彼女にとっても予期せぬ出来事だったということなのだろうか。ぼくは違う可能性について考えてみた。なにかしらの事件が起こった。誘拐や殺人。考えてみるだけでゾッとした。だけどすぐに、それは現実感がないと思った。家の中に荒らされた形跡は無いし、なにしろ彼女の持ち物があらかた無くなっているわけだから。それは自発的に行われた行為だと結論づけるのが妥当だった。ぼくは掃除をすることにした。掃除機を出して、家じゅうの床にかけた。それから雑巾を出して、フローリングの部分を拭いた。それが済んでしまうともう夕食の時間だった。ぼくはパスタを茹でて簡単な具を炒めて合わせた。どうでもいいテレビ番組を見ながら食べた。タレントたちはみんな無理をして笑っているように見えた。
三日目にぼくは、彼女の実家に電話をかけ、実はこういうことが起こっている、と告げた。彼女の母親は心底驚いたようで、それはつまりそこにも彼女は居ないのだということを意味していた。「警察に行こうか迷っているんです。」彼女の母親は、自分も心あたりに連絡してみるからそれは少し待ってくれ、と言った。わかりました、とぼくは答えて電話を切ろうとした、ごめんなさいね、と彼女の母親は言った、いえ、とぼくは答えて電話を切った。謝らなければいけないのは多分ぼくのほうなのだ。
ひと月が過ぎた。彼女の行方は依然として知れなかった、どこかで見かけたとか、実はわたしの家にずっと居るの、なんて話もまるでなかった。彼女はまるで荷物と一緒に完全にこの世界から消え失せたかのように思えた。警察にも顔を出してみたが、事件性が感じられない限り積極的に探してくれることはなさそうだった。子供ではないのだ。ぼくは仕事から帰るたびに空っぽの部屋を見てため息をついた。そして代り映えのしない食事を作っては一人で食べた。テレビはもうつける気がしなくて、CDをひたすら流していた。テレビ番組というのはある意味で、標準的な幸せのエッセンスなのだ。
三か月目の日曜の朝、ぼくの孤独は突然に終わった。小さな庭に出て洗濯物を干していると、どこかで木の枝がたくさん転がるような音がした。ぼくは音の聞こえてきた方を見た。数十年前、この家がリフォームされる前に使われていた風呂と便所のある小さな小屋があった。鍵が壊れていて開けることすら出来ない小屋だった。そんなものが庭に在ること自体ぼくは忘れていた。ひどい胸騒ぎがした。洗濯物を放り出してぼくはその小屋へと走った。小屋の木戸はなにかでこじ開けられていた。引き開けると嫌な音を立てて外側へと倒れた。中には、天井から吊るされたロープに引っかかって揺れている頭蓋骨と、床に散らばった白骨があった。念入りに磨いたみたいに真っ白だった。散らばった骨の後ろに、大小ふたつのスーツケースと、一足のパンプスと、倒れた椅子があった。ぼくは、膝から崩れるように地面に落ちた。いつまでかかってるのよ、と言わんばかりに、真っ白な骨に空いた真っ黒な眼窩がそっぽを向いた。ぼくは茫然と、彼女が消えてからの数ヶ月を思い返していた。
―なんてこった。
【了】 ]]>
散文(批評随筆小説等)
2022-11-21T14:40:07+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374223
ある漫画で
人に迷惑をかけても
どれだけ許してもらえるか
それが大切な人生の要だ
といったような
趣旨の台詞があったけど
誰かに許してもらって
生きているということを
忘れないでいようと思う
朝方、寒くてどうしても
病院に行く気にならなかった
昨夜は暗くなってから
県知事選挙の投票日だったことを
夜の町内放送で急に思い出して
選挙権の棄権はしないと
決意したことを思い出して
面倒だったけど投票所へ
近所のコンビニに
コーラを買いに行くことを
モチベーションにして
ママチャリで出かけたのに
意志薄弱だな
コンビニの厚切りトンカツの
カツサンドが半額になっていたのに
晩御飯前だったので
買うのを我慢したのに
意志薄弱だな
「スパイファミリー」は面白い
アーニャの変顔にはまっている
秘密の通路で配管に足を挟まれて
必死で抜け出そうとする
アーニャの変顔には笑ってしまった
笑ったのは久しぶりだ
一人で生活していると
笑うことは難しい
アーニャの暗号表を使った
暗号遊びには小学校六年のときに
はまっていたので
自分は幼稚だったなと
恥ずかしくなった ]]>
自由詩
2022-11-21T13:43:07+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374222
随分 なれて きたが
最近 やはり
これは 異様だと 思うようになった
みんな 骸骨のようだ
病に 震え 弱って いるように 見える
この世の ものとも 思えない
だけど
みんな 平気らしい
平気でも ないかも しれないが
一向に 普通に 生きている
私も そうだ
しかし 人間の 顔が 見えた 昔が 懐かしい
あれは いまから みると
眩しい ばかりの 健康な 美しい 世界だった
マスクをつけているひとびとは
みんな 統合失調症のムンクの絵のようだ
凍り付いた仮面のなかで 狂気と死の予感に
震えながら 踊っている
わたしは あのいつもの並木道を
むしろ遊歩道と言っていいほどの 美しい 道を
マスクをつけずに歩いている
人気の少ない 秋の遊歩道だ
しかし 道行くひとびとは みんな 示し合わせたように
マスクをつけている
マスク マスク マスク
白いマスク
わたしに ヴィールスが飛んでいるのは 見えはしない
しかし 私が 歩いているのは 人気の 少ない
美しい 秋の 遊歩道だ
行き交うひとには 黴菌のように見られてる らしい
ほとんど おじいさんと おばあさんだ
ときどき 視線から 敵意を 感じる
あのひとたちも 自分を 黴菌と 感じて いるのか
たまに 挨拶を される
マスクを つけて いないひとを みると 安心する
人間の 顔を してる
道のそばに 保育園があり 子供たちが 遊んでいる
わたしが 塀越しに にこにこしながら 見てると
ふたりの 子供が やってきて
「なにしてるの」と聞く
「さんぽしてるの」と答えると
にこにこ笑っている
ふたりは マスクを していない
わたしも マスクを していない
こころが 通じあったのを 感じる
意識は しないが 多分 マスクを してないからだろう
この国は 健康を守る国だ
その点は 素敵な 国だと 思っている
しかし 文明と 文化は どうした
こんなに みんな マスクを する 国か?
わたしは 並木道を ゆっくり 歩いている
そぞろ歩きと 言って いい
かなり 歩くのが 怪しげな おじいさんも おばあさんも
よろよろ しながら わたしを どんどん 追い越してゆく
わたしの歩くのは かなり遅いようだ
時速 二キロメートル くらいだろう
普通の ひとが 歩くのが 四キロメートル くらいだから
その 半分 くらいだ
ときどき 立ち止まって 傍らの 樹のはなを 見ている
さらに 触って 感触を 楽しんでいる
美しいのだ
静寂の 晩秋は 「世界」から
音を 選別 しているようだ
まったく 静かで ありながら 鳥の鳴く声や
草を 刈る音や 飛行機の音は 存在する
しかし 「静寂」も同時に存在してる
「世界」は 風景も 選別してるようだ
不快な ものは 何もない
不快と言われる ポリ袋も 落ちているが
「世界」と調和 していて 別に 不快ではない
ここに至って ついに 「マスク」をつけているひとも 奇異感はなくなる
「マスク」をつけていない わたしも 「世界」内に 奇異感なく
歩いていいる ようだ
思惟という 異様な 方法で 「世界」を 見ていた
わたしも
「世界」内存在となり 「マスク」をつけているひとも
「世界」内存在となった ようだ
晩秋の 秋の 美しさは
「世界」内存在の 不条理 を 克服したのだろうか?
わたしは 静かに 並木道を 歩く
晩秋の 秋は ただただ しずかに 静止している
しかし その存在が 「世界」内存在か どうかは
わたしには 判らない
ぶらぶら 歩いて 考えた ]]>
自由詩
2022-11-21T12:49:32+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374221
振り替え休日のけさ、雨は打ち冷えて
雨のなか妻は可燃ゴミ出しに行くありがとう
トーストやっと平らげて妻と遊ぶ
シャワー浴びて濡れた髪でパソコンの前
まだまだすることがあることのまずは読書
ブルゾンを羽織ってやっと落ち着けました
髪を切りたい旨妻に告げた
雨が打つたび鬱の深くなるような
痩せるサプリを飲みたいと妻が、ふたり考える
コーヒーが飲みたい、カップ持ってキッチンに行く
濡れている原ン付に情けぶかくある
妻の傷んだ手を握った
鬱の花 こころのなかで咲いている
よすがとして温かい部屋に入る
やはり疲れていることの牛乳やさしい ]]>
俳句
2022-11-21T08:30:55+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374220
海外SF傑作選『クレージー・ユーモア』5作目は、ポール・アンダースン&ゴードン・R・ディクスンの「バスカヴィル家の宇宙犬」地球人の真似をするのが習性になっている子熊型の宇宙人ホーカ人がシャーロック・ホームズ役になって、麻薬密売人の宇宙人を捕まえる物語。これは、短編連作集『地球人のお荷物』にも入っている作品だった。
二〇二二年七月二日 「時は金」
6作目は、マック・レナルズの「時は金」1300年にやってきた時間旅行者は金融会社に年に1割の複利で金を預けた。100年後にやってくると言い残して。それで20世紀に渡るまで、その契約は継続された。じつは時間旅行者は物理学者でタイムマシンを起動するための資金を調達していたのだった。この作品は、ジョディス・メリルの『SFベスト・オブ・ザ・ベスト』上巻、角川文庫の『きょうも上天気」に入っていて読んでいたものだった。
二〇二二年七月三日 「旅する男」
7作目は、ヘンリイ・スレッサーの「旅する男」未来人がタイムマシンに乗って、奇術品を扱う商会にやってきて1000ドル相当の奇術品を買った。お金の代わりに、思ったところにどこにでも行けるメダルを受け取った。そこから冒険が始まる。でも、さいごにはそのメダルを手放さなければならなかった。
あしたは月に一度の高木精神科医院に。
二〇二二年七月四日 「怪獣の時代」
8作目は、ガイ・エンドアの「怪獣の時代」生物学者がワニの心臓手術をすると、ワニは先祖がえりをして龍になった。ワニを愛する生物学者はつぎつぎに手術する。大きくなった龍は人間を襲い、街を襲った。人類も反撃するが圧倒的に龍が強かった。世界から人類が少なくなっていった。という話。
二〇二二年七月五日 「グレート・デーンになった男」
9作目は、ミリアム・アレン・ドフォードの「グレート・デーンになった男」作家が朝、目が覚めたら犬のグレート・デーンになっていた。もとは作家なので、口をきく犬は妻に口述筆記させていた。いなかに家を借りて住んでいたが、妻も犬になってしまったようだ。
二〇二二年七月六日 「四次元ループ」
10作目は、ジョン・D・マクドナルドの「四次元ループ」ある殺人事件が起こって、その犯人とされる青年がいた。しかし、青年は殺してはいなかった。異次元から出てきた物体によって殺されたのである。それを未来人の女性が裁判で明らかにするという物語であった。この物語におもしろさはなかった。
二〇二二年七月七日 「不景気」
11作目は、ロバート・シェクリーの「不景気」景気の悪い仕立て屋に奇妙な客が現われて、奇妙な服の仕立てを頼んだ。それは仕立て屋が夜の悪夢で見た女性たちの異形の姿であったのだった。短いが、わかりやすい好感の持てる物語だった。さすがは、シェクリー。
さいごの12作目は、エリック・フランク・ラッセルの「衝動」ウイルス状の宇宙人が人間の死体を奪って、医師のところへきた。生きた人間の身体を奪うためだった。読唇術をも持つウイルス状の異星人は医師のこころを読んだ。下男が入ってきた。拳銃を見ると衝動的に死体を殴った。危機一髪で助かった。
きょうから寝るまえの読書は、講談社文庫から出た海外SF傑作選の1冊、『華麗なる幻想』だ。全9作中、4篇が既読だ。ウェルズの「新加速剤」、ヴェルヌの「二八八九年」、D・H・ケラーの「歩行者族の反乱」、ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」の4篇だ。それらも合わせて読んでいこう。 https://pic.twitter.com/YqZxmkA1TN
既読の4篇はどれもみな、『世界SF全集』の第31巻・世界のSF・古典篇に入っていたもので、物語自体を記憶しているのは、ヴェルヌ以外の3作だ。どれもおもしろかった。とりわけ、ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」はおもしろかった。さてさて、『華麗なる幻想』の冒頭はウェルズの作品だ。
二〇二二年七月八日 「新加速剤」
1作目は、H・G・ウェルズの「新加速剤」運動神経も脳の働きも何千倍のものになる薬が発明された。博士の名前を入れた「ジベルヌ神経加速剤」は性能を3種に分けて発売することにした。二百倍、九百倍、千二百倍の3種だ。
二〇二二年七月九日 「二八八九年」
2作目は、ジュール・ヴェルヌの「二八八九年」二八八九年の新聞社の社長の一日を追ったリポートだった。テレビ電話や高速計算機など21世紀の現代において実現している物が予測されていた。しかし、新聞社の社長が国を支配するまでの権力者であるとしたところに、ヴェルヌの限界があったと言えよう。
二〇二二年七月十日 「生命の木」
3作目は、C・L・ムーアの「生命の木」火星でパトロール中の宇宙艇に追われていた主人公が、廃墟のなかの井戸の模様の世界に入り込んで、生命の木と言われる化け物と対峙して、ぎりぎりのところでやっつけるという単純極まりない物語。やっつけた後はもとの世界に戻っていた。
4作目は、D・H・ケラーの「歩行者族の反乱」人類は自動車族と歩行者族に分かれていた。歩行者族は少数派だった。ほとんどいなかったと言ってもよかった。二億人対二百人だった。何世紀にも渡る自動車の使用で自動車族は下半身がなくなっていた。数百年後、立場が逆転して自動車族が珍しくなった。こういうわけである。自動車族が多かったとき、自動車族の人間は歩行者族の人間を轢き殺してもよかった。法律でそうなっていたのだ。アメリカの法律は自動車族のためにあった。歩行者族は滅んだかに見えたが五体満足な先祖返りの女の子が生まれた。彼女は旅をする。五体満足な男と出合う。電気に依存している自動車族をやっつけるために、青年は電気を止めることにした。それで自動車族は動けなくなってほとんど滅んでしまったのであった。
投票に行ってきた。個人名は、共産党のたけやまさいこさんに。比例は共産党に。ぼくはバリバリの共産主義者なのだ。
予備校に勤めていたころのことだ。ぼくがオウプンリーにゲイであることをカミングアウトしていることを知った教員から嫌がらせを受けるようになった。そこから睡眠障害を患って今日に至るのである。心的障害がいかに持続性のあるものか、自分でも想像もしていなかった。嫌がらせは、高校でも続いた。
きょうは、夕方から日知庵に行く予定だけど、それまで暇だからウルトラQのDVDでも見ようかな。ひさしぶりだ。ウルトラQは、いまでもぼくのマストだ。なにを見るかな。読書は夜に、夜中にするつもりだ。
詩で読んだなかで、もっともすぐれていたのは、ジェイムズ・メリルだと思うけれど、日本の小学校の一年生が書いた詩にもいいものがあって、感動したものに、『一年一組 せんせい、あのね』がある。
https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%80%E5%B9%B4%E4%B8%80%E7%B5%84%E3%81%9B%E3%82%93%E3%81%9B%E3%81%84%E3%81%82%E3%81%AE%E3%81%AD%E2%80%95%E8%A9%A9%E3%81%A8%E3%82%AB%E3%83%A1%E3%83%A9%E3%81%AE%E5%AD%A6%E7%B4%9A%E3%83%89%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88-%E9%B9%BF%E5%B3%B6-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/4652039077…
D・H・ケラーの「歩行者族の反乱」のなかに、つぎのようなすてきな言葉があった。「夢が本当になることってあるの?」(D・H・ケラー『歩行者族の反乱』矢野 徹訳、124ページ・16行目)
二〇二二年七月十一日 「影と閃光」
5作目は、ジャック・ロンドンの「影と閃光」二人の青年がいて学生時代からライバル同士だった。一人は黒体になることによって透明になるといい、もう一人は全反射によって透明になるといって、化学者になってまで争っていた。二人は対決し、ともに死んだ。記述は二人の共通の友人によるものだった。
6作目は、アーサー・コナン・ドイルの「ロス・アミゴスの大失策」死刑囚にロス・アミゴスの都市でつくれるかぎりの電流を流したところ、死刑囚は死なない身体になった。縛り首にしても弾丸で撃っても死なない身体になったのであった。これ、読んだ記憶があるのだけれど、なにで読んだのかわからない。調べたら、これも『世界SF全集』の第31巻・世界のSF・古典篇に収められていて、それで読んだものであったのだ。ポーの「メルシュトレームの大渦」も読んでいたものだったので、この短篇集、既読のものが全9作品中、6篇だったことになる。まあ、傑作ばかりだから再読も苦にならなかったけれど。
二〇二二年七月十二日 「フェッセンデンの宇宙」
7作目は、エドモンド・ハミルトンの「フェッセンデンの宇宙」これは奇想コレクションの1冊『フェッセンデンの宇宙』に収められた同タイトルのものと版が違っていて、1950年度版である。奇想コレクションのものは、1937年度版である。銀背の『フェッセンデンの宇宙』は1950年度版である。また、『世界SF全集』の第31巻・世界のSF・古典篇に収められた「フェッセンデンの宇宙」も1950年度版である。違いはあまりない。どちらも、自宅の研究所に小宇宙をつくっていて、いろいろと実験をしていたというもので、さいごは事故で、フェッセンデン博士は焼け死んでしまう。記述者はフェッセンデン博士の友人の天文学者で、フェッセンデンが小宇宙に干渉して、その小宇宙の人類を滅ぼしてしまったりすることに疑問を持ち、フェッセンデンに忠告するが、フェッセンデンは聴く耳も持たず実験を続ける。そして、フェッセンデンは事故で自分の命を失う羽目になったのである。
二〇二二年七月十三日 「RUR ロッサム万能ロボット会社」
8作目は、カレル・チャペックの「RUR ロッサム万能ロボット会社」まだ途中だけれど、こんな言葉があった。「この世にはなんと多くの美しいものがあることか!」(カレル・チャペック『RUR ロッサム万能ロボット会社』深町真理子訳、293ページ・8行目)つづきを読んでいこう。
さいごまで読んだ。ロッサム万能ロボット会社でつくったロボットで、人類は戦争をした。のちに知能を持った自立したロボットを会社はつくった。それらがロボットたちを先導して人類に反旗を翻した。人類は滅んだ。特別につくられた二体のロボットがいた。新しいアダムとイヴになるために。長めの短篇。戯曲形式の作品だった。本文213ページから326ページまであった。本篇がいちばん長かった。考えさせられる作品だった。人間の欲望の深さについて。
さいごの9作目は、エドガー・A・ポーの「メルシュトレームの大渦」漁場としては危険極まりないのだが、凪のときは大漁になるところがあった。それがメルシュトレームの大渦と呼ばれるところだった。3人兄弟がそこで漁をしているときに大渦に遭って2人が死に、1人が生き残った。話は彼によるもの。
きょうから寝るまえの読書は、海外SF傑作選のさいごの1冊『ファンタジーへの誘い』1年ほどまえに再読したと思うのだけれど、収録されている13作中、記憶しているのは5作だけだった。オールディスの「不可視配給株式会社」と、テヴィスの「ふるさと遠く」と、テンの「13階」と、ビグスビィの「きょうも上天気」と、フィニィの「ゲイルズバーグの春を愛す」の5篇。忘却力のすさまじさに自分でも驚く。 https://pic.twitter.com/vTweR08E6A
ラファティの「みにくい海」はタイトルだけ憶えていたが、内容は忘れてしまった。なんにしても齢をとったものだな。若いときには、どのような文章が、どの本のどのくらいのページの右だったか上段後半だったかとか、どの場所に載っているかということまで記憶していたものだったのだが。じじいだ。
この『ファンタジーへの誘い』は、講談社文庫の海外SF傑作選全9巻のさいごの巻だけれど、編者もこの巻だけ違っていて、伊藤典夫さんが編まれたものだった。第1巻から第8巻までは、福島正実さんが編集なさったものだった。全9巻中、この巻がいちばん好きだ。とくにオールディスとテヴィスが好き。
二〇二二年七月十四日 「死神よ来たれ」
1作目は、ピーター・S・ビーグルの「死神よ来たれ」死神を舞踏会に招待した伯爵夫人がいた。踊りが終わって、帰ろうとする死神をみなは引き留める。詩人のつぎの言葉が印象的だ。「「われわれは盲目なのです」とロリモンドはいい「ことに詩に関しては」と付け加えた。」(ピーター・S・ビーグル『死神よ来たれ』伊藤典夫訳、28ページ・20行目) 死神は代価を求めた。自分の代わりに、新しく死神になる者が必要だと。つぎつぎと名指すが却下する。詩人には、「人生についてあまりにも知ることが少ないから、それに、わたしは彼が好きだから」と言った。さいごに主催者の伯爵夫人を名指して、「どうやら、あなただけのようですね。わたしはあなたを選びます、ネヴィル夫人」と言った。理由は、「人間でいることに、あなたほど飽いたものもいなければ、生きていることの空しさを、あなたほど知りつくしたものもおりません。」などと言う。ネヴィル夫人は、約束し、死神の頬に口づけをする。正確に引用するならば、「「約束します」夫人はそういうと、若き死の女神のやわらかな、甘いかおりのする頬に口づけするため、ひからびた唇をすぼめた。」(ピーター・S・ビーグル『死神よ来たれ』伊藤典夫訳、33ページ・12、13行目)
よくできた寓話だと思う。死神が若い美人であることなど予想もしていなかったし、さいごに伯爵夫人と役柄を入れ替わるというのも意想外で、おもしろかった。さいごに、美しい若い娘姿の死神と、老婆である伯爵夫人が接吻を交わしたのも、それが死神になる決まりで、美しい若い娘姿の死神も以前にそうやって死神になったからである。
ハイブ状の共同住宅で暮らしてる夢だ。ケンコバ似のぜんぜん知らないひとが父親だった。ぼくはやさしい父親の隣で寝てた。妹がいつまでも寝ずに人形遊びをしていた。ぼくはあした大学の授業があるのにいっこうに眠れない。そのうち人形が勝手に動き始めた。そこで目が覚めた。ここちよい夢だった。
二度寝の夢は、大学時代の友人たちとダイビングしていた夢だった。特殊なカメラで、自分たちが遊泳している姿を撮影していた。徳寺という友だちがいて、彼が中心に遊んでいた。友だちのなかでもっとも好きな友だちだった。
二〇二二年七月十五日 「不可視配給株式会社」
2作目は、ブライアン・W・オールディスの「不可視配給株式会社」ちょっとしたきっかけで、塩壺と胡椒壺をテーブルのうえから動かさないという賭けを主人公は男とした。主人公が死ぬまで66年間、二つの壺は動かされなかったかなという記述のあとで、じつは妻が毎日動かしていたということがわかる。SFテイストはまったくなく、またファンタジー要素もまったくない作品だけれど、ぼくはオールディスのこの作品が、この短篇傑作選『ファンタジーへの誘い』のなかで、いちばん好きだ。イギリス的なユーモアのある作品だと思っている。傑作だと思っている。
Amazon で、SF短篇アンソロジー『異邦からの眺め』を買った。本体220円+送料257円だった。すべての古本がこれくらいだったら、いいのになあ。
https://www.amazon.co.jp/dp/B000J7WOZS?psc=1&smid=AA5YA188M9J1J&ref_=chk_typ_imgToDp…
二〇二二年七月十六日 「古書」
ぼくは Amazon で、本体価格2500円で買ったけれど、いま、10000円を超えている、『世界SF全集』第31巻・世界のSF・短篇集・古典篇。
https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B000J98C02/ref=pd_sbs_sccl_2_1/357-6155300-0930001?pd_rd_w=nVt7L&content-id=amzn1.sym.7ee6fb34-dad9-4643-b21d-aeaa6bf884aa&pf_rd_p=7ee6fb34-dad9-4643-b21d-aeaa6bf884aa&pf_rd_r=3XHCK7783FBR8ENYQXAD&pd_rd_wg=c15tj&pd_rd_r=aa5542b8-d796-4027-a013-2c2663742644&pd_rd_i=B000J98C02&psc=1…
現代篇は、Amazon でも日本の古書店でも、どこでも買えない。
https://www.amazon.co.jp/-/en/dp/B000J94AWG/ref=sr_1_3?crid=2QTTSLWZ8J1BI&keywords=%E4%B8%96%E7%95%8Csf%E5%85%A8%E9%9B%86&qid=1657903509&s=books&sprefix=%E4%B8%96%E7%95%8CS%2Cstripbooks%2C330&sr=1-3…
第33巻のソ連東欧篇にいたっては、30000円を超えている。ぼくはいくらで買ったか記憶していないのだけれど、5000円は超えていないと思う。
https://www.amazon.co.jp/-/en/%E5%B7%9D%E5%90%88-%E4%BA%AC%E5%AD%90/dp/B00DBECED8/ref=sr_1_4?crid=2O8VY6F8YULJ2&keywords=%E4%B8%96%E7%95%8CSF%E5%85%A8%E9%9B%86%E3%80%88%E7%AC%AC33%E5%B7%BB%E3%80%89&qid=1657903969&s=books&sprefix=%E4%B8%96%E7%95%8Csf%E5%85%A8%E9%9B%86+%E7%AC%AC33%E5%B7%BB+%2Cstripbooks%2C334&sr=1-4…
河出文庫の画期的なSF短篇傑作選のシリーズ、『20世紀SF』の第1巻・1940年代は amazon でいくらするのか見たら、330円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%881%E3%80%891940%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E2%80%95%E6%98%9F%E3%81%AD%E3%81%9A%E3%81%BF-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF-%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%95/dp/4309462022/ref=sr_1_1?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-1…
第2巻の『20世紀SF』1950年代は、866円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%882%E3%80%891950%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E2%80%95%E5%88%9D%E3%82%81%E3%81%AE%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%82%8A-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%AC%E3%82%A4-%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%99%E3%83%AA/dp/4309462030/ref=sr_1_2?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-2…
第3巻の『20世紀SF』1960年代は、335円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%883%E3%80%891960%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E3%83%BB%E7%A0%82%E3%81%AE%E6%AA%BB-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BBC-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%AF/dp/4309462049/ref=sr_1_5?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-5…
第4巻の『20世紀SF』1970年代は、1686円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%884%E3%80%891970%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E2%80%95%E6%8E%A5%E7%B6%9A%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%A5%B3-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%A2-%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4309462057/ref=sr_1_3?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-3…
第5巻の『20世紀SF』1980年代は、1286円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%885%E3%80%891980%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E2%80%95%E5%86%AC%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%B8%AD%E6%9D%91-%E8%9E%8D/dp/4309462065/ref=sr_1_4?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-4…
第6巻の『20世紀SF』1990年代は、633円だった。
https://www.amazon.co.jp/20%E4%B8%96%E7%B4%80SF%E3%80%886%E3%80%891990%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E2%80%95%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E6%88%A6%E4%BA%89-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B0-%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3/dp/4309462073/ref=sr_1_6?crid=3K83U9HILZ4QD&keywords=20%E4%B8%96%E7%B4%80sf&qid=1657904505&s=books&sprefix=%2Cstripbooks%2C3640&sr=1-6…
『20世紀SF』を見るかぎり、値付けはバラバラだ。どの巻も、すぐれものだった。古書の価格は、ほんとうに、わからないものだ。ついこのあいだまで、100円くらいだったゼラズニイの『わが名はコンラッド』など、いま見たら1904円もしてた。
https://www.amazon.co.jp/%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89-%E3%83%8F%E3%83%A4%E3%82%AB%E3%83%AF%E6%96%87%E5%BA%AB-SF-178-%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BC%E3%83%A9%E3%82%BA%E3%83%8B%E3%82%A4/dp/4150101787/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&crid=NDKE1MJ7PL8N&keywords=%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89&qid=1657905798&s=books&sprefix=%E3%82%8F%E3%81%8C%E5%90%8D%E3%81%AF%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%89%2Cstripbooks%2C389&sr=1-1…
二〇二二年七月十七日 「大いなる旅」
3作目は、フリッツ・ライバーの「大いなる旅」地球の廃墟となった都市をさまざまな異星人たちと並んで歩いている主人公。砂漠にまで行くと、宇宙服が置いてあった。異星人たちと手を取り合って宇宙へと旅する主人公。地球には四足獣に退化した地球人を残して。
授業中に他の科目の勉強をすること、なんて言ってたか忘れた。
二〇二二年七月十八日 「この卑しい地上に」
教えてもらった。「内職」でした。
4作目は、フィリップ・k・ディックの「この卑しい地上に」恋人の彼女は異世界の白いものたちに異世界に連れていかれた。男は彼女を取り戻す努力をした。努力は実った。彼女をこちらの世界に取り戻した。しかし副作用で、こちらの世界の人間がみな彼女になってしまった。世界中の人間が彼女に。
5作目は、ウォルター・テヴィスの「ふるさと遠く」わずか5ページの短篇であるが傑作である。6歳の少年が、紙袋のなかの化け物に願い事をした。アリゾナの砂漠のプールに鯨を出現させたのである。管理人のおじいさんは公園管理委員会のボスのところに行って戻ってきた。そのとき鯨は姿を消していた。
二〇二二年七月十九日 「十三階」
6作目は、ウィリアム・テンの「十三階」あるはずのない十三階をフロアごと借りに来た客がいた。あるはずもないのに、彼らは十三階にエレベーターで行った。支配人が十三階に行こうとしても行けなかったが、契約の終わりの日に行けた。しかし、十三階はもはやなくなっていて、支配人は唖然とする。
7作目は、チャールズ・ボーモントの「闇の旋律」性教育を授業ですることを拒んでいた生物学の高校の女性の先生がいた。彼女は、木立の闇のなかで音楽を聴き、それに惹かれてたびたび訪れた。そこで未知なるものに抱かれる。彼女は、毎夜、訪れるようになった。しばらくして先生は町から姿を消した。
二〇二二年七月二十日 「順応性」
8作目は、キャロル・エムシュウィラーの「順応性」自分がふつうの人間とは異なる種族であると気がついた女性が、12歳の娘に、自分と同じ種族の男を見つけたら、その男のもとに行きなさいと述べる。自分は見つけたけれど、あなたのお父さまのもとから去ることはしないけれど、という。印象的な叙述。
9作目は、マーガレット・セント・クレアの「街角の女神」主人公の青年は街角で女神と出合った。女神は神通力を失いかけていた。青年は女神を自分の部屋に連れてきた。高級ブランデーしか受け付けない女神。女神のために自分の血を売っても酒を買ってくる青年。さいごは女神は姿が透明になって消える。
二〇二二年七月二十一日 「異邦からの眺め」
短篇傑作選『異邦からの眺め』が到着した。さすが本体220円のことはある。表紙の背のうえの部分が破れているし、本体はシミだらけ。まあ、読めればいいかで買った本だったし、しょうがないか。本体価格が1円の本でも、まっさらのようにきれいなこともあるしね。 https://pic.twitter.com/BZ3Y3CsQwt
あさ目が覚めると、スタトレのドクター・マッコイが横に寝ていて、これからマクドに行くから来る? って聞くと、来るって言うから起きるの見てたら、食べ物や飲み物の食い散らかした跡があって、あんた夜中に部屋に来たの? って聞くと、そうと言う返事。酔っぱらって来たらしい、という夢を見た。
二〇二二年七月二十二日 「夢」
2番目の弟にお金を盗まれる夢を見た。ぼくがカギのかからないような部屋に住んでいて(住んでいない)鍵をつぶして部屋に侵入して、ぼくのコレクションした本とか盗んで、財布からカードを盗んでお金を55万年だけ降ろしてたりした。警察を呼んでカードのことは処理して、というところで目が覚めた。
ロジャー・ゼアズニイはぜんぶ読んだけど、いま本棚を見ると、2冊なかった。ヤフオクで買うことにした。
ゼラズニイの『光の王』をヤフオクで、『われら顔を選ぶとき』を Amazon のネット古書店で、それぞれ送料込みで、450円台で買った。『光の王』は何度か読んでいて内容を憶えている。『われら顔を選ぶとき』は一度読んだが内容は憶えていない。どちらにせよ、どちらも一度は手放した本ではあるが。
二〇二二年七月二十三日 「みにくい海」
10作目は、R・A・ラファティの「みにくい海」話者は海がみにくいと思っている。のちのち話者と同じ船に乗ることになっている青年の話だ。性悪女だけれどとびきりの美人に惚れて、何度か求婚して、さいごに結婚し、子どもまでもうけるが、旧友の蛇や猿や鳥と別れたくなくなり、妻を残して船に乗る。そして、伝説の通り、海の男が片端の女と結婚すると死んだ。女は、それはひどい扱い方で男を扱っていた。男と結婚するまで2人の男と結婚していたけれど、その男たちも海の男だから結婚して半年もすると海で死んだのだった。
11作目は、アーシュラ・k・ル・グインの「名前の掟」100年もむかしのこと。島の財宝を奪った竜がいた。ひとりの魔法使いの青年がその財宝を受け継ぐ資格を持っていたのだが、竜と対決して敗れた。せっかく、竜のほんとうの名前も知っていて口にしたのだけれど、負けてしまったのである。その魔法使いと竜の決闘を見ていた島民のひとりの男は、びっくりして、以前から心を寄せていた女教師の家へいくと手を引っ張って、舟に乗って、島から逃げた。島には竜がいて、餌となる生娘を探そうとするところで終わった。「あなたたちが大人になってつけられる真(まこと)の名というのは、けっしてたずねてはいけないし、打ち明けてもいけないものなの」「真(まこと)の名前はすなわち物だからです。」(酒匂真理子訳)、「名こそが真実の存在なのです。名前を口にすることは、そのものを支配することなのです。」(酒匂真理子訳)という言葉があった。これが、タイトルの「名前の掟」に由来する考えなのだろう。ファンタジーを少しでも齧っていたら、みな知ってることなのだと思うけれど。この作品が元だとしたら、ル・グインすごいってことだな。
12作目は、ジェローム・ビグスビィの「きょうも上天気」この作品は、文春文庫の『ミステリー・ゾーン4』に「日々是好日」のタイトルで載っているし、角川文庫から出てる『きょうも上天気』にも載っている。超能力を持った3歳の子どもが村人の生活を破壊してしまう恐怖を描いている。
さいごの13作目は、ジャック・フィニィ「ゲイルズバーグの春を愛す」このタイトルの短篇集があり、そこでも読んだ。ゲイルズバーグの街が変貌していくのを望んでいないなにものかがあって、時折、むかしのゲイルズバーグの風景が出現したりするというもの。フィニィらしいノスタルジックな作品。
二〇二二年七月二十四日 「時のはざま」
きょうから寝るまえの読書は、海外SFアンソロジー、ワールズ・ベスト1965『時のはざま』である。収録されている17作品中、読んだことのあるものは1作だけ。ディックの作品だけれど、内容は記憶していない。ウォルハイム&カーの編集。日本人が編集すると、けっこう作品が重なるけれど。
https://pic.twitter.com/KWYB8PHTMJ
きのう、おとついにヤフオクで落札したゼラズニイの『光の王』が届いた。その速さに驚いたのだが、送料込みで450円くらいだったのだが、シミあり、ヤケあり、カヴァーの背に痛みありの本だった。まあ、カヴァーに期待する類の絵ではないのでいいけれど。読むのはいつかは未定。 https://pic.twitter.com/rACXHottti
二〇二二年七月二十五日 「グリーンブレース」
1作目は、トム・バードムの「グリーンブレース」住民の意志を支配する方法を持っている議員が相手の戦いで、どうやらうまく負かした主人公。これはあまりSFっぽくもなく、おもしろいものでもなかった。こんなものを冒頭に持ってくるあたり、この短篇傑作選、あまり期待できないものかもしれない。
2作目は、ベン・ボーヴァ&マイロン・R・ルイスの「善意の人」月面の合衆国側の基地が舞台。ソ連の月面基地と共存している理由を尋ねられて、じつは双方ともに爆撃を仕掛けているのだが、重大な被害は受けていないという返事。じつに奇妙な話だった。このアンソロジーはダメだと思わせられた。
二〇二二年七月二十六日 「配達料金」
3作目は、クリストファー・アンヴィルの「配達料金」主人公は宇宙船の乗組員のひとり。彼が語る輸送物資の話。輸送物資とは、生きた鳥だったが、それが巨大で、とても扱いにくかったものだった。というだけの話。べつにSFにしなくてもよいような内容。読むのに苦痛を感じた。
二〇二二年七月二十七日 「高野 尭さんと、清水鱗造さん」
Amazon のネット古書店で買ったゼラズニイの『われら顔を選ぶとき』が到着した。450円ほどだったので、多少のキズは仕方ないと思う。本文、いい色に日焼けしている。シミがないのがすばらしい。古書らしい古書だと思う。
https://pic.twitter.com/zXM0QwZf9v
高野 尭さんから、詩集『マルコロード』を送っていただいた。個人的な事柄を入れないで詩を書くということについて考えさせられた。ぼくも個人的な事柄を入れないで書くことはあるけれど、この詩集では、徹頭徹尾、個人的な事柄が書き込まれていない。不思議なことなのだと思う。不思議な詩集。
https://pic.twitter.com/Ns4WnSzBFP
清水鱗造さんから、小説『トラセミ・バッジ』を送っていただいた。清水さんの作品は、毎回、驚嘆の目で読ませていただいている。きょう寝るまえの読書は、これにしよう。いま読んでるSF傑作選より、すぐれたSFのように思える。冒頭を読んだ。今作も固有名詞がおもしろい。 https://pic.twitter.com/tTiAloe4es
さいごの12作目は、R・シアーズの「災厄」災厄の予兆を感じ取ることのできる新聞記者の物語。さいしょは、好きになった踊り子がそういう能力を持っていたのかと思わせる記述だったが、終わりに真相がわかるというもの。
二〇二二年七月二十八日 「夢」
5、6人で料理屋さんに行って料理を頼んだ。ぼくは女子が頼んだものと同じものをと言った。女子だときっとおいしいものを頼むと思ったのだ。ところが自分の靴を料理にして持ってきたのだ。なんちゅう注文するんやろうかというところで目が覚めた。クーラー消して眠ったから暑苦しく目が覚めた。
量子力学を勉強したときには驚いた。こんな式が現実に応用できるなんてと思って。熱力学は好きだった。計算で、反応が起こるかどうかわかるからだった。担当教授の論文の誤りを指摘したことがあった。それから嫌がらせがあって、ぼくが修士にとどまってドクターまで進学しないことにつながるのだった。
二〇二二年七月二十九日 「「皮肉」の日」
7月29日 「皮肉」の日なのだが、ぼくは皮肉を言葉にする能力がないので、残念だ。
二〇二二年七月三十日 「〈不可能〉の四品種」
4作目は、ノーマン・ケーガンの「〈不可能〉の四品種」タイトルは作品を暗示させる役目を持ってはいるようだが、内容はあちこち飛ぶし、主人公の話は、心理学と物理学の話ばかりで、全然わからなかった。こんな読みにくくてつまらないものを傑作選に入れる編者の気が知れない。頭が悪いのだろうか。
二〇二二年七月三十一日 「ゲイ・バー」
ぼくが高校3年のとき、父親がおもしろい店があるからといって、京都のゲイ・バーでは老舗の『ニュー・ラグ』に連れて行ったのですよ。3年後、うろ覚えの場所をたずねて、ひとりで行くぼくでしたが。父親、澁澤龍彦が好きだって『血と薔薇』3冊ぜんぶ持ってたし、『薔薇族』や『さぶ』も読んでたけれど。
それに『ムルム』まで読んでたわ。奥さんである継母公認。単なる趣味だと思ってたらしい。海外SFや海外ミステリー読んでた父親の影響、もろにかぶっているし、海外音楽も父親の影響。家族、引きずってるなあ。 ]]>
自由詩
2022-11-21T00:12:27+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374219
それが答えならば
僕はどこへ
もう歩けないよ
勘弁してくれよ
間違えたなら
そのままで
積み上げて
いつか崩れて塵となる
僕のかいた絵は
いつか消された
落書してはいけません、だってさ
あはは。
あんたはずいぶん偉そうだ
でも所詮は人間だろ
人間だろ? ]]>
自由詩
2022-11-20T23:28:16+09:00
-
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374218
駐車場は「俺たち今セックスしています」かのようで一杯
きみは「デリヘルで来たわけではない」とこころで唱えて車をおりる
ラブホの当然のように「やけにせまいエレベーター」で
きみとぼくにこれから起こることについて「あかんやん」
あたしがどういう角度からどのように捉えて行くかを「あかんて」
その大きなベットに深々と腰掛けながら考えている
結局その晩も次の朝も抱き合ったがうやむやに終わり
それ以上きみとぼくの間に進展はなかった「一番あかん展開やろ」
理由はいくつかあったがあたしに秀でたなにかが足りてなかったのかな?
世界とかもう言いたくないし今生きてるの超怖いくらいラッキー
だけどあたし「一番あかん展開やろ」を更新
ぼくたちめちゃくちゃきもちいいを更新しなければあかんやん
きみはぼくの魅力をわずかに知ってる
ぼくはその魅力を更にもっとくわしく知ってほしいと
ぼくの魅力とは?こんなに魅力にあふれているけど
星をつみながらそれを思い短い詩をかいていた
いつか灰になる魅力について
あたしには詩と音楽をめっちゃ尊敬できる君がいる
きみはこの一ヶ月めっちゃ毎日欠かさず
ぼくにめっちゃ電話を何時間もかけてくる
きみの吐いた二酸化炭素を吸っている
君は電話の向こう側でどんなきもちなのだろうかいつも「殺す?」
あたしのほうが13個年上だからコーナーに追い詰めたらぼこぼこにできるね
きみを目の前にみたらすごい引力が作用する気がする
あたしは毎日キーボードをたたきつづける新しい詩をかこうとして
いい詩がうまれればぼくのつくったいい音楽とヤって
あたしたちまた二人の子供が生まれる
こないだが、それだ
もっとすごくてすばらしい作品を生み出そう
ETCカードを認証しました
mizuirono_inuを聞こう、きみはちっちゃかったね
春ねむりを聞こう「殺す?」「殺す殺す」「殺すよ」
「殺す」 ]]>
自由詩
2022-11-20T21:08:40+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374217
肉の激痛発作に
垂直の時間帯は破壊され
雨雨雨雨、降り降り降り
開いた聖書、白く縁取られ
漆黒の闇に浮き上がる
在るもの在るもの、
すべて濃密に
問いを発散し
俺は立ち尽くす、
この世界の
ギリギリ瀬戸際で
夜は果てなく
雨は降り続き
白い小部屋に
ただのっそり
沈黙の次元開けるその時を
努めのっそり、待ちながら
俺は立ち尽くす、
切迫するモノというモノ ]]>
自由詩
2022-11-20T20:59:30+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374216
ザイムクレクレ星人に操られている
怪獣、キシダノドン、キンシュクノドン、シンジユウサウルス
みんなスペシウム光線でやっつけてください
ザイムクレクレ星人は全員
アイスラッガーで首をはねて下さい
あなたが地球にいた頃、少年だった者より ]]>
自由詩
2022-11-20T19:56:10+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374215
自由詩
2022-11-20T19:14:30+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374214
脇 朝の鴉で目が覚めるそんな生き方してみたい
セフレの先にある死の不安なんか打ち消し生きたいな
鏡をみてよダメオヤジ、ヨレヨレの背広がお似合いよ
プアプアの娘が背中を撫ぜながら2人で泣いたキモい夜
新宿で心中しようと約束し行ってみたら我ひとり
現実は誰しもがカッコいい主人公になれはしない
ジミに生きジミに生きた生きぬいた党員でなくても ]]>
自由詩
2022-11-20T18:54:12+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374213
つきたい嘘じゃないけれど
ついている自分が恥ずかしい
だからと言って真実の
音出しっ屁をしたならば
マナー違反で恥ずかしい
溢れる涙をこらえるように
今も誰かがスカしっ屁
言ってはいけないことだらけ
スカしっ屁の世の中で
臭えば負けの勝負する
お腹は緩く涙ぐむ ]]>
自由詩
2022-11-20T16:49:28+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374212
とぼとぼコンビニへ煙草買いにゆく昼
帰りきて本日の昼食は冷凍パスタ
妻に買ってもらったガムぜんぶ噛んだ
妻の布団で寝ていたよ
湯船に入り体より目覚めて
砂糖とりすぎているような・・・砂糖みつめる
やっとじぶんにかえり自由律俳句書く
妻はアスリートのような体つき
雨のふりようバイクの濡れよう
気持ちに動かされない人間でいいのか
小銭集めてトレカを買おう
やはり疲れており今日は日記を書かない
雨に雑草のこまかなしずく
妻より化粧水もらってもなぁ
明日はどこを彷徨うふたりで夫婦 ]]>
俳句
2022-11-20T15:47:26+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374211
ホールデン・コールフィールドの事を考えると哭きそうになる
スティーブン・チョボスキーの事を
チャーリーの事を考える時
僕はいつも鳴きそうになる
或いはハンス・ギーベンラートの事を
村上春樹の自殺した親友のキズキ
自意識過剰の病に罹り
妙な歩き方で歩いていた
学生の頃の大江健三郎の事を考えると
啼いてしまう
俺は俺で
今も1997年の鴨川沿いの美術高校で
石を彫っていたあの秋から逃れられないでいる
京都府立医大の神経科に担ぎ込まれたあの秋を
まるで
母親のように愛し憎んでいる
二千年も二十年過ぎて
文学は詩歌は
今も
世界のあちこちで猛威を振るってるぜ
コロナなんか目じゃないぜ
燃えるようなドウダンツツジの赤を愛するか
陽が沈むような
黄金の銀杏のイエロウを愛するか
それが問題だ
大きな声じゃ言えないが
実は欠陥人間なのさ
君のクラスの一番うしろ
一番うしろにもパーマンはいるぜ
お前のクラスにもそいつはいる ]]>
自由詩
2022-11-20T14:56:20+09:00
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http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=374210
詩を
書いていく
できる限り
命をこめて
{引用=※五行歌とは、「五行で書く」ことだけがルールの、新しい詩歌です。} ]]>
自由詩
2022-11-20T14:37:34+09:00