[60]澤あづさ[2014 04/12 20:29]
りしたうえで、以下。

>生成文法論における統語論がなにを語ろうと、橋本文法は橋本文法で有用性があり、それはコンセプト的に無関係だ。

 実際わたしはあの場で「生成文法論における統語論」なんてことには、一切言及しなかったはずです。
 そもそもわたしの目標は、アメリカの弁護士に倣う「中学三年生なら確実に理解できる説明」です。

 なのになぜこの話の流れで、ポスモの言語学の話(それも詩がパロールであるとかの理解しがたい定義)をされ、しかも「生成文法論における統語論」なんていやみ(としかわたしには思えないのです!)を言われなければならないのか、わたしにはボルカさんのお話の趣旨が理解に難いの
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