作者からのコメント
洗貝新さん、ポイントをありがとうございます。
鏡ミラー文志さん、ポイントをありがとうございます。
wcさん、ポイントをありがとうございます。 
田中宏輔2さん、ポイントをありがとうございます。 
海さん、ポイントをありがとうございます。 
花野誉さん、ポイントをありがとうございます。
ひだかたけしさん、ポイントをありがとうございます。
室町 礼さん、ポイントをありがとうございます。 
田中教平さん、ポイントをありがとうございます。 
おまるさん、ポイントをありがとうございます。


やんわりと書いたが、人々に苦悩がある社会で、詩壇の果たす役割とは何か? 今ある詩壇とは何か? そして詩人たちは、権威ある賞のために詩を書くのか? という問いかけである。

鏡ミラー文志さん、コメントをありがとうございます。
はい。仰るとおり、かなりヤバイことに触れていますが、これをもっとハッキリ書いちゃうと、コロコロされるかも知れません。 )))

ええと、詩人のかなりの人がココロと、クスリと、ヒンコンと、フクシと、シューキョーの闇のなかで苦悩しています。

白さん、コメントをありがとうございます。
ご自身のご経験を書いてくださってありがとうございます。
とても重い背景を率直に語っていただいたことに、まず敬意を抱きました。

おっしゃる通り、貧困は単純な「お金の有無」では測れないものですし、苦悩は誰にとっても、それぞれのかたちで「あるべきもの」として生じるものだと私も思います。完璧に見える人にも、理不尽な環境に置かれた人にも、それぞれの苦悩があるという点にも異論はありません。

ただ、今回の文章で私が考えたかったのは、苦悩の「質」や「正当性」を比べることではなく、それがどのように語られ、どのような文脈の中で意味づけられているのか、という点でした。個々人の体験の真実性を疑うというよりも、その語りが制度や社会構造の中でどう位置づけられるのか、という問いに近いものです。

「苦悩を売り物にする人はいない」という感覚も理解できます。ただ、意図せずとも、苦悩の物語が評価や価値と結びつく構造があるのではないか、という疑念は、個人の倫理とは別の次元の問題として残るのではないか、と感じています。

横道に逸れているとは思っていません。むしろ、こうして個人的な経験の側から読んでくださったことは、とてもありがたいです。
丁寧に読んでいただき、本当にありがとうございました。


---2026/02/22 09:04追記---


丁寧に重ねてくださり、ありがとうございます。率直に立場を示してくださったことに感謝しています。

「利用されているのではないか」という感覚を、ボクは単なる被害妄想や陰謀論とは思いません。社会では、語りや感情が本人の意図を超えて制度や市場に組み込まれていくことがある。そこに黒幕がいるというより、「いつの頃からかそうなってしまった構造」があるのだと思います。

苦悩が称賛され、流通し、当事者にも利益をもたらす――その「Win-Win」こそ見えにくい。悪意というより、苦悩を価値へ変換する回路が出来上がっている。その回路を疑うことは、荒唐無稽ではないはずです。

ボクは体制を単純に否定したいのではありません。ただ、苦悩が称揚されるとき何が前提化されているのかを見失わないこと。それ自体が小さな抵抗になり得ると考えています。

貧困の友は、無力感や分断、「仕方ない」という諦めではないでしょうか。逆に「なぜか」と問うことは、その友ではない。たとえ陰謀論的に見えても、構造を疑う視線は無意味ではないとボクは思います。

こうしてやり取りを重ねられること自体、とてもありがたく感じています。

急がずに、それぞれの立場のまま、少しずつ考えていけたら嬉しいです。










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