作者からのコメント
できの悪さについては弁解しない。以下、覚え書き風に。
04.12.14着手。着手日の日付の横には「架空の思い出。しかし時折浮上する私の郷愁そのもの。切実な記憶。当初プランのよさを残したい」とある。
この詩は最後の5行がまずありきで、この(私にとっては)深刻な架空の記憶に、さらに前段をつける、という作業だった。思ったとおり、この洋風の夏の記憶を書くのは上手くいかなかった。
その詩が上手く行かないのは、本当はその題材で書きたくないか、あるいは重大な技法上の問題があるか、いずれかのように思う。私にとって「最終的には皆死亡してしまって誰も居なくなり、思い出だけが孤立して残る」というイメージは相当深刻というか強い郷愁と恐ろしさを同時に感じさせるのだけれども、しかし、この洋風の少年期に憧れて、だが決してこういう少年期を過ごしたわけでない作者には、書きたくないというほどでないにしても「手の届かないもの」というトラウマ的気分があるのかもしれない(未体験だからイメージがわかないというごく単純な理由もあるだろうな)。さらに、ここでいう「恐ろしさ」は、「時間が経てば皆死んでしまう」という至極当たり前のことに立脚しているため、その恐ろしさを表現しづらいと作者は感じているようだ。また、技法の問題として、作者の文体はこのような題材に向けて訓練されたものでは全くない、ということもあるように思う(ふだん無常とか寂寥とか脱力とか荒廃とかの風景ばかり書いているからなあ)。 過去によく使った「古いフィルムに収められた映像」というモチーフはここでは使わなかったのだが、そのモチーフを使った作品でも、今まで満足できたためしがない。また、どこかで書くことになるのか、そしてまた未完のままなのか。人の一生にはこのような「強い関心を持ちつつ失敗し続けるテーマ」もあるのか、などという思いが浮かぶ
。
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