作者からのコメント
孤蓬さん、ありがとうございます。
>>海の庭ここは違うと悟り切り真珠は泳ぐひかりをかみて
>7首が1つのシリーズの作品。
>全体的には口語詠の歌群ですが、7首目の結句のみに「かみて」という文語が混じっています。
>木に竹を接いだような印象です。
>素直に口語で「ひかりをかんで」と表現すると、全体のまとまりがよくなると思います。
これは、「光を、だろうか・・見て」のつもりでした。
みる、をどの漢字で、というのを決めかねて、ひらがなにしました。
その場合で意味合いから「をか」を用いました。
あとで漢字は決めて、直します、紛らわしいということがわかりました。
それと、「何をか何して」という表現自体に、口語詠としての不自然さがあるでしょうか、どうか教えてください。
よろしくお願いします、ありがとうございました。
---2017/03/08 21:14追記---
孤蓬さん、ありがとうございます。
>---2017/03/08 20:59追記---
>「光をか見て」ですか?
>変ですね。
>そういう言い方を、現代日本語の口語では行わないですね。
>格助詞「を」に疑問の係助詞「か」を付ける用法は文語にはあります。
>「光をか見む(見るのは光だろうか)」「光をか見し((あの時)見たのは光だろうか)」「光をか見つる((今)見たのは光だろうか)」など。
>しかし、現代口語ではありえません。
>貴台も、普段、そんな言い方はしないでしょう?
「光をか見ん」のように文語の場合ですと「光のほかに何を見るだろうか、光しかない」というふうに、強意と捉えています。
「光をか見て」のように口語(と考えて)の場合ですと「たとえば光だろうか、あるいは自分の知らない何かを見て」というふうに、不特定と捉えています。
いま、根拠は探していませんが、(わたしには)既知のこととして、です。
また現在のわたしの置かれている環境からは「現代口語の普段」を推し量りかねます、過去の経験と記憶にて、としか言えませんが、この口語の場合の用法に関して違和感を持てないことは確かです。
ありがとうございます。
---2017/03/08 21:56追記---
孤蓬さん、ありがとうございます。
>---2017/03/08 21:47追記---
>>「光をか見ん」のように文語の場合ですと「光のほかに何を見るだろうか、光しかない」というふうに、強意と捉えています。
>その御認識は誤りです。
>>「光をか見て」のように口語(と考えて)の場合ですと「たとえば光だろうか、あるいは自分の知らない何かを見て」というふうに、不特定と捉えています。
>この御認識も同様に誤りです。
>>過去の経験と記憶にて、としか言えませんが、この口語の場合の用法に関して違和感を持てないことは確かです。
>単に、貴台の勘違いでしょう。
孤蓬さん、ありがとうございました。
---2017/03/08 22:05追記---
孤蓬さん、追記です、7首目の結び方、考え直してみます。
ほんとうにありがとうございました。
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