作者からのコメント
孤蓬さん、みつけてくださってありがとうございます。
「会いたし」⇒「会いたい」のご指摘は、「会いたし」が文法的に「会いたい」とイコールだからご指摘くださったのでしょうか、それとも文語の素人がしばしば陥るミスとして孤蓬さんが知り尽くされているからこそ、「会いたい」と言いたいのだなと「推測」くださったのでしょうか。
教えていただけないでしょうか。どうか、
よろしくお願いいたします。
---2013/08/10 21:20追記---
追記: イコールなのかご推測だったのか、どちらかの一語、置いてくださるのみで構いません。
よろしくお願いいたします。
---2013/08/10 22:03追記---
孤蓬さん、孤蓬さんが個人的な印象のみにて「推敲」くださってもわたしにはこの歌(のようなもの)をつくった際の詩句(のようなもの)のすべてに、未熟ながら意図はありました。
ご意見はありがたくいただきますが、ご意見のみにとどめさせていただきます。
今後は根拠が(たとえて、)「科学的」ではない場合、外へ出て蹴りを入れられてやっと目覚めるまでは、もしくは新しい知を得て「かつて」を訂正したくなった場合以外において自作にとりあえずは執着してみたいと思っています。
ありがとうございました。
---2013/08/11 12:02追記---
孤蓬さん、こんにちは。追記を戴き感謝しています。ありがとうございます。
>私の指摘が「『科学的』ではない」と仰せですか?
かならずしもそうではありません、というよりほとんどすべての場合に孤蓬さんからお教えいただく際(コメントを戴く際)科学的根拠をつまり文法用語をもってご説明くださっています。
そのいわゆる科学的根拠に科学的な確かな理解ができないでいるのはわたしの未熟そして無知です。
>その根拠は何ですか?
今回には上記の欠落がありました、「それは自身で確認せよ」とわたし自身自覚はあります。
かなしいですが「甘え」があることあったこと、これを否定できません。
それなのにそのことを「科学的ではない」と書きましたこと心からお詫び申し上げます。
ただ願いとして素人の心情として「なぜ、どうして」というのが短絡的にあります。
かなえてはいただけないでしょうか、やはり甘いかな、とは思いますが。
先日に「手繋ぎし」へのご指摘を戴きました。
孤蓬さんのような文語・文法の達人(だと思って敬愛させていただいております、一方的なものです、)がこの現フォにいらしてさらにわたしの拙さを自覚させてくださる、そうなると欲はどうしても広がってしまいます、(繰り返して使ってもう価値の無い言葉となってしまっているかもしれません⇒)「申し訳ない」と思いながらです。
「し」の問題はわたしが抱えている大きな課題で、救いようもない ばか なりにいつも考えている件です。
たとえば「帯に短したすきに長し」「命短し恋せよ乙女」など、これらは「し」を用いているけれど過去ではない、との認識があります。
よくよくみてみました、「短い」「長い」そして「会いたい」みな「い」音で終わっています。
手を繋ぐ、これは違う。
せめてね孤蓬さん、「い」で終わるものだから意味合いが「会いたし」⇒「会いたい」なんだ程でも構いません(本当はもっとを希望しますが、)そのような「科学的」なご説明をつけてくださったならと思ったので「科学的ではない場合」の記述をさせていただきました。
いま振り返るとかなり失礼な言い方ではありました、ただどうかお察しください。
追記としましていま角川の「短歌」2012年10月号を読んでいます。
短歌と文語との切っても切れないつながりを痛切に感じています。
文語の素晴らしさと言ったらよいでしょうか。
長々とすみませんでした。
ありがとうございました。
---2013/08/11 14:03追記---
孤蓬さん、ありがとうございました。
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