作者からのコメント
>ドクダミ五十号さんへ。
まず、批評については、ぼくもそう想っていますし、それを詠んだものもありますが、投稿はしておりません。また、とても佳い機会を頂いたと想いますので、正直な想いをお伝えしておきます。ぼくは、あなたを尊敬しております。どんなものであっても、必ずそのひとの持っておられる人間性は現れると、ぼくは想うものです。とくに言葉を用いる小説も随筆も詩も、余りに発する言葉に近い理由を以て然りと想います。取り分け、詩は文学のなかに於いて言葉を凝縮する必要性が生じるものと想っていますので、それは詠んだご本人が気づいてなくても、前述の説を信じるものには感知する能力がそなわると考えています。あなたは、このサイトにおられる多くの詩人たちのなかでも、僭越ですがぼくが尊敬し敬意を払っている方々のなかにおられる方です。ぼくは、確かに、かなりその数は少なくなってきましたが、自分で自分を傷つけることがあります。しかし、理由は言い訳になるので記しません。ただ、あなたが仰る、自分をないがしろにしたことは一度としてありません。繰り返しますが、断じて自分をないがしろにしたことは一度としてありません。同時に、あなたを浅学と想ったことも一度としてありません。今回の批評に含まれていることを戯れ言とも想っていません。”疑問と生は連続”し、尽きることは知っているつもりでいましたが、改めて自分以外の方からの指摘は、想っていた以上にその鋭利さも重たさも鋭い痛みとずしりとした重量を感じるものでした。敢えて私信には迷うことなくしませんでした。それは、あなたを含めて尊敬し敬意を払っている方々が、ぼくのなかには確かな存在としていることをお分かり頂きたいことと、改めて自分の詩の世界に於いての立ち位置を明確にしておくためでした。以上が、あなたとこれを読まれる方々へのぼくがなぜ此処にいるかを知って頂くための寸牘です。よって今回のあなたの批評につづく文章を削除されたなら、ぼくは怒りを憶えるとともに、あなたをぶん殴りにいくことも許される正当な行為だと信じます。これがあなたが、ぼくの喉元に突き付けた匕首に対する回答です。微塵も嘘を含んでいないことは、聡明なあなたです。言うまでもなくお分かりになるはずです。
さらに最近は一日一編は私的事情も含め、無理になりましたが、ぼくが投稿した際には、こういうカタチですが、必ず返礼を記すことを憶えておいて頂くと有難く想います。
また評価を頂いた愛すべき方々にお詫びしておきます。ぼくは、拝読した作品には必ず感想(批評のレベルではないので)を残し、同時にこうして頂いた批評には、必ず返礼文を書くことを自身の礼儀としております。ただ、くれぐれも誤解はなさらないように懇願しておきますが、あくまでもぼくのささやかな矜持に過ぎません。お名前だけを残して頂いている方にも感謝は強く抱いていることは、どうかお分かり頂けますようにお願い申し上げておきます。今回は、一度、休息時間を勝手ながら頂きます。とても残念ですし、認めはしたくはないのですが、齢60歳、丁度1ヵ月後には61歳になると頭も気力は衰えを正直に容赦なく教えてくれます。一時の休憩を頂き、また批評を頂いた方々には、改めて返礼を書かせて頂くつもりでおりますので、一旦、中断をどうかご容赦を賜りたいと想います。
>まーつんさんへ。
きちんとぼくの意図を読み取って、下さっています。ありがとうございました。
>ミッドさんへ。
読んで下さったことに、感謝します。ありがとうございました。
>泡沫恋歌さんへ。
またお名前を見つけ、嬉しく想いました。ありがとうございました。
>大原寧々さんへ。
1月の下旬位でしょうか。また評価を頂き、感謝です。ありがとうございました。
>ほかけさんへ。
どうも。今日も評価して頂き、嬉しかったです。ありがとうございました。
---2013/02/22 22:24追記---
---2013/02/22 22:40追記---
---2013/02/22 23:18追記---
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